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破局翌日の雨天アスレチックが教えてくれたこと

破局。望んでいたとしても、予定通りだとしても、むしろ安堵の気持ちがあったとしても、なんかスッキリしない。

私は先日、人生初の「破局」を経験した。彼女の方から別れを切り出されたのだが、私も別れ話をしようと思った時があるし、いつ別れても仕方ないと思って付き合っていたため、「ついにきたか」という気持ちだった。

別に断るつもりもなく、むしろよく1年2か月も続いたなとも思った。ここ最近は月1回ほどしか会ってなかったし、面倒だなと思うことも多かったし、そもそもずっと合わないなと感じていたので、寂しさや後悔の念などが沸き上がることはないと思っていた。

しかし、彼女と最期の時間を過ごして一人で電車に乗った時、心の奥底から沸々と寂しさと自責の念が沸き上がってきた

「何故だ。想定通りだろ。そういう態度を取ってきただろ。他のカップルを見て羨ましく思っていただろ。他の女性といる方が楽しいと思っていただろ。結婚は考えられなかっただろ」

確かに想定外のことはあった。私は彼女の気持ちが完全に冷めたからだと思っていた。だが、そうではなく、将来を見据えてのことやこちらの生き方も考えてのことだった。彼女曰はく、円満別れだとのこと。

「嫌いになってくれたら、もっとスッキリした気持ちになっていたのだろう。じゃあもっとひどいことしておけば良かったのか?」

そこでピンときた。情だ。曲がりなりにも1年以上付き合い、思い出や彼女側からの愛のストックが多くなっていた。それが彼女側から消えたわけではなかったから、寂しさが緊急発生しているのだろう。

その日はそれが消えることはなかった。


翌日。天気は雨。身も心もどんよりする。そして予定はない。昼過ぎに起きてカップそばを食べる。味覚の点では美味しいのだが、総合的に捉えると美味しくない。

予期せぬ寂しさや自責の念は、まだ全然残っている。寝れば多少溶けるかなと思っていた。

一般的には2.3か月ほど引き摺るものらしいため、「翌日にスッキリするわけねえだろ!」と自称恋愛評論家からお叱りを受けるだろうが。

そして気付いたら傘を持って外を歩き出していた

雨の中、左耳にイヤホンを付けて音楽を聴く。スピッツが染みる。そういえばお互いスピッツが好きなことだけは一緒だった。

右耳は開放して街や雨の音を聞く。雨の日の夕方の街は人通りが少なく、若干趣があった。


歩くこと15分。小さい頃、足繫く通った大きな公園の前に来た。流れに身を任せて公園の中を進む。その先には、アスレチックがあった。

ふと懐かしさを感じる。雨で土も遊具も濡れていて、遊ぶ者は誰もいない。

しばらくアスレチック内を巡回する。昔からあるターザンロープやハンモック、昔はなかった特殊な滑り台、姿を消したミニボルダリング。

しかし雨も降っていることだし、一通り巡ってアスレチックを後にしようとした。だがその瞬間、寂しさや自責の念が唐突に心に沸き上がる。

吹っ切れたい。我を忘れて目の前の何かに力を注ぎたい

そして私は傘を放り投げて、雨に濡れながら一人でアスレチックに挑んだ。



最初に手を付けたのはターザンロープ。思ったより握力を使う。一回のトライでだいぶ手が痛くなった。

次にロープのタワーみたいなのを登ってみる。不安定な足場に怯えそうになる。でも意外と登り進めると楽しい。どんどん高くなって足は少し震えているのに。雨が触れる距離も近くなるのに。1分も経たないうちにこの高さまで来たことを、少し誇らしく感じた。

あれは最初にやったターザンロープだ
放り投げた傘も小さく見える


他にも木のブロックを渡ったり、滑り台を滑ったりした。悪条件の中、邪念を祓って無心で一つ一つのエリアをクリアしていった。

全エリア共通で、クリアすることは容易だったが、体や服は雨に濡れて、手や靴など汚れが目立った。

でも、クリアしたことよりそっちの方が嬉しかった

側から見れば惨めかもしれない。バカかもしれない。良い年した大人なのに情けねえなと思われるかもしれない。アスレチックに励む瞬間、そしてその余韻に浸っている時間は、そんな周りの目なんかどうでもよかった。

体、時には頭を使いながら、目の前の障害物をクリアする。そこに私の神経が注がれていた。

家に引きこもっていると、体力と知力を両方消費して邪念を祓うコンテンツがほぼない。こんなところに、子供の頃親しんだもので無我夢中になれるとは。


帰り道、今度は左耳でラジオを聴きながら、右耳で街の音を聞く。気づけば雨も上がっていた。アスレチックのおかげだろうか。

帰宅後、「調子乗って遊ばなければな」と、汚れた靴と服を見て、自責の念に駆られるのである。

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