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2.昭和20年8月6日 汽車内の様子

 韓国人の方は早朝出発し、アルシャンの20008部隊、五叉溝の20001部隊、20002部隊に入隊する者は同じ汽車に乗り、吉林の警官が引率して行くと聞かされた。
 満人の仲仕が、大きなズックのパン袋をたくさん車中に積み込んでいた。9日、部隊に到着するまでの食糧らしい。
 今日は見送りは余りいない、新京出身者の見送りが少々いただけだった。
 新京より白城子までは直通の列車だが、普通列車であって、一般の客は少なかった。
 途中の駅々で、満人の呼び売りの品物を買ったり、欲しくもないのにパンを支給してもらい、走り出した汽車の窓から、沿線の満人に投げたりして気を晴らしたり暇をつぶしたりしていた。
 常識を通りこした速さの普通列車で、1時間も2時間も、何でもないような田舎の駅に停車していたり、半日も、引き込み線に入れられたりしていた。
慢々的マンマンデーで、大陸を豚に乗って横断しているような旅行気分を、充分に味わわせてもらい8日の夕方、白城子に到着した。
 白城子で下車、部隊から迎えにきていた将校や下士官に、「ご苦労、明日の夕方は部隊に着くぞ。」と、慰められ、氏名点呼と検便があった。
 うまくもないパン食の食事には誰もあきあきしていたが、やっと、夕食には白城子の兵タン部(食糧とか、衣料とかを確保しているところ)の炊事でご飯を食べさせてくれた。
 「汽車は明日でないと発車しない。」と聞かされたから誰も外出したかったのに、白城子の町は、伝染病が流行しているから外出禁止と言い渡された。

 汽車というのは、これが走っておれば蚊も虫もやってはこないが、夜間、長時間にわたって窓をあけ、停車しておれば、これらの蚊や虫がどんどん車中に入ってくるものであって、窓をしめれば暑いし、虫には刺され放題だった。
 明日はいよいよ入隊かと思えば、なかなか寝つかれず、暑さの上に虫に悩まされ、2時、3時頃、外が薄明るくなるまで起きていた。

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キンクーマ(祖父のシベリア抑留体験記)
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