杜ゆう子

子供のころからの覚えている色んな事柄を、今更ながら書き出してみようと思い立ちました。そ…

杜ゆう子

子供のころからの覚えている色んな事柄を、今更ながら書き出してみようと思い立ちました。そう大したことでもないことをチマチマと覚えてる小さなにんげんです

最近の記事

母からきっと嫌われている。

母と買い物に行くと、お菓子を買って欲しいと思っていてもとても言えず、横目でチラチラ見ながらお店の中をついて行った。 たまに、本当にたまに「好きな物買い」と言ってくれることがあるが、何にしよかな~と嬉しくて選んでいると、「早くし!」と怒られる。 おまけ付きの、例えばグリコのキャラメルとかを選ぶと、「そんなもん!」と言い、「これにしとき!」と結局母が選んだ物になる。 自分の欲しいものは買ってもらえない。 わかっているのに、次に「好きな物買い」と言われたら、ドキドキしながらも、ちょ

    • 「本を読め」と私は言わない。

      前にも書いたけど、子どもの時から母に「本を読め」と言われ続けて、それでも本が面白いワケがないと読もうとしなかった私だけど、大人になって自分の子どもができたら、絵本を読んであげたいと中学生の頃にはしっかり意識していた。 その時代”声優ブーム”があり、クラスの友だちと休み時間にはそんな話で盛り上がっていたし、公言はしなかったが、実はひっそりと自分も声優になりたいと思っていた。なれるワケがない。声優になりたいなどと母に夢を語れば、どんなに罵倒されるか考えただけで恐ろしい。傷つきたく

      • 「本を読め」というけれど。

        私は、幼い頃から絵本も読まなかった。姉は、小学校の頃、漫画雑誌を読んでいたけど、私は漫画雑誌も読まなかった。 母から聞いた話では、私は幼稚園に入る前から平仮名は読めていたという。 しつこく、しつこく「これなに?」を連発して、文字を覚えていったとか。 だからといって、じゃあ子どもに絵本でも買ってあげようかと思わなかったのか、家に絵本があった記憶がない。 幼稚園の時、『わんわん物語』というディズニー映画に連れて行ってもらい、帰りに『わんわん物語』の絵本を買ってもらった。その本は

        • お利口さんの姉と、じゃない妹。

          母にはどんな些細なことでも言い返すことはできなかった。 まだ子どもだった私は、自分の思ってることを上手く言えず、何か言おうものなら遮られて、何十倍にもなって返ってくる。 最後にはきまって「お母ちゃんの言うこと聞いといたらええねん!」と言われ、どつかれる。 恐ろしいことにそれは、大きくなっても変わることはなかった。 そうすると、だんだん当たり障りのないことしか言わなくなっていく。 だんだん誤魔化すようになっていく。 母の顔色を見、空気を読み、『さわらぬ母に祟りなし』になっていっ

        母からきっと嫌われている。

          携帯電話がなかったむかしむかしの話

          父が入院し、母は病室に付きっきりで週一回自宅に戻るということが、しばらく続いていた時の話。 その頃私は、学校から誰も居ない家に帰ってくる日々。 ある日、制服を着替えていたら電話が鳴った。 受話器を取り「もしもし」と言うと、間髪いれずに「ゆうちゃん?」と言われた。年配の女の人の声。 私を『ゆうちゃん』と呼ぶのは親戚のおばさん達しかいない。 「お母さん居る?」と聞かれたので「病院に行ってる」と返した。 「え?どこか具合悪いの?」 「いや、お父ちゃんが入院してるから。」 「ええ!

          携帯電話がなかったむかしむかしの話

          父。

          私は父が好きだった。 母には叱られてばかりで、怒鳴られ、どつかれ、蹴られたこともある。 洋裁の、あの少し厚みのある物差しで叩かれ、見事に真っ二つに折れてしまったこともあった。 でも、父には叱られたことはなかった。かといって、甘やかされていたわけでもなかった。 仕事をしている時の父は、厳しそうな感じが近寄りがたかった。 でもそれが、カッコよくもあった。 家での父は、楽しくて面白い人だった。 幼い頃、お風呂は絶対父と入った。湯船に浸かりながら機嫌良く歌を歌っていた父。その歌を聞

          怖い母と救世主の父

          私が小学6年生の時のこと。 母が「これからは靴下、ハンカチなんかの小物は自分で洗いや」と言い、裏庭に、といっても洗濯機と大きなソテツの鉢植えだけが置いている狭い狭いところなのだけれど、そこに連れて行かれた。 そこにはもうタライと洗濯板が用意されていた。 母は私に洗濯板の使い方を教えた。 ただでさえめんどくさいのがキライな私には、もはや苦痛でしかなかった。 それからというもの、小物の洗濯は一切してくれなかった。 仕方なく、日曜日になると裏庭に行き、タライに水を張り、洗剤を入れ

          怖い母と救世主の父

          人見知りと、緊張と、恐怖。

          私は、小さい頃から極度の人見知りで、馴染みのない人、馴染みのない場所には緊張しまくっていた。 父の仕事関係の人の家に招かれたことがあった。 父と母は幼い私を連れて訪問した。 そこは広い庭に黄色や白の大輪の菊がたくさん栽培されていた。 きっと父に自分が丹精して育てた菊を見せたかったのだろう。父が庭で菊を見せてもらっている間、母と私は部屋でお茶を頂いていた。 目の前に出された菓子鉢には、美味しそうなお菓子が数々入っていた。 その前で私は緊張で固まっていた。隣に母が座っているだ

          人見知りと、緊張と、恐怖。

          ゴックンし過ぎて胸が痛い

          小学生の頃の話。 学校帰りに友だちと遊ぶ約束をしては、お互いの家に行ったり来たりした。 友だちの家はどの子の家も居心地がよかった。 行くと、友だちのお母さんがおやつやジュースを出してくれた。 帰りに友だちのお母さんに「ありがとう」と挨拶すると、優しい声で 「もう帰るの?またおいでね」と言ってくれた。 うちに遊びに来てくれても、おやつやジュースは出てこない。ましてや 夕方5時頃になると、母は友だちに「もう5時やで。はよ帰り」と言う。 (友だちになんでそんな言い方するんや) 私

          ゴックンし過ぎて胸が痛い

          私の中の跡形

          私は幼い頃からの記憶が数々あります。 深い悲しみや辛い出来事があるわけではなく、日々のちょっとした出来事をこまごまと覚えているのです。 そう大したことでもないことをチマチマと覚えているのです。 でもずっと大したことはないと思っていたことが、私の心の中に跡形を残していることに気がついたのです。それも随分大きくなって。 そのほとんどが母にまつわる事で子どもの頃からのモヤモヤがずっと心の奥底にあったのです。 もっと言うと、母と姉に対して、ということなのですけど。 『毒親』とい

          私の中の跡形

          褒められる、褒めるということⅡ

          『子どもは褒めて育てる』とはよくいわれること。 親から褒められたことのない私は、自分の子どもは褒めて育てようと常々思っていた。 息子が幼稚園の時のこと。 園で描いた絵を持って帰ってきたので「上手に描けてるね」と褒めてみた。 息子はキョトンとした表情で私をみている。 (この人、何いうてるねん)と言わんばかりの表情で。 その時は、褒めてるのになぜ喜ばないのか理解していなかった。 しばらくしてまた絵を持って帰ってきた。 その絵を見て驚いた。細かいところがすごくよく描けていて、もと

          褒められる、褒めるということⅡ

          褒められる、褒めるということ

          「私はほめられるのキライ。だから人も褒めない」 「子どもは褒めたらスグ図に乗る。だから褒めない」 これは母の言葉。 子どもの頃からいつも聞かされていた。 なので母から褒められたことは一度もない。 ズボラでだらしない私のどこに褒めるところがあるの。ということらしい。 母から「ありがとう」と言われたこともない。 あれは小学校3年生の時。 母の日が近くなると、学校内に『お母さんありがとう』と書いたカーネーションの造花を売りに来ていた。友達はみんな買っていた。 子どものお小遣いで十

          褒められる、褒めるということ

          「めんどくさい」ということ

          私は子供のころからめんどくさいのがキライだった。なんでもかんでもめんどくさかった。ま、やりたくないことを「めんどくさい」部類に入れていたズボラなこどもだったのだけど。そんなわけでいつも母には叱られてばかりいた。 私は片付けることができない子供でもあった。学習机の上にはいつもノートや本がごちゃごちゃに置きっぱなしで、部屋も遊び道具やマンガ本が出しっぱなし、消しゴムや、鉛筆削りではけずれないほど短くなった鉛筆がそこらに転がっていた。 「片付けなさい!」「物を使い終わったらすぐ

          「めんどくさい」ということ

          最初の記憶

          あれは多分2歳。その頃は家族4人、父、母、姉、私は小さなアパートで暮らしていました。家には風呂がなく、夕方になるとみんなで近くの銭湯に歩いて行っていました。その日はすでに日が暮れていて、父に負ぶわれた私は父の背中に身を委ね、右側に建っていた何かの工場の窓をじいっと眺めていました。 建物の上の方にある窓は、石を投げ込まれたようにバリバリに割れていました。割れた窓は一つや二つではなく、けっこうな枚数が割れていたのでした。割れた窓の向こうは真っ暗で、本当に真っ暗で、本当に不気味なほ

          最初の記憶