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6 ただ継続して

 昨日も体育館でひとりジャグリングをしていたが、なんだか初めの方はちょっときつかった。台湾に向けて演技をずーっと作っているんだけど、全然作れないから。でも考えてみたら、僕はジャグリングを使って演技を作る、ということに関してとにかく素人なのである。し、傑作なんか作れたことがないのである。僕は自分でそれをさんざん自覚してきたはずなのである。中学3年生の時にジャグリングを始めて、それ以来何度か、多分100回ぐらいパフォーマンスはしてきたけど、でも今そう考えて思ったが、その程度である。100回なんて忙しいプロが2,3ヶ月でやる量じゃないか。
 それで、僕はジャグリング好きじゃないのか、というとそういうことではなくて、むしろとても好きだ。ただジャグリングに何か嫌なことが付随してきたときに「なんだかジャグリング嫌かもしれないなぁ」と、関係ないことで嫌になっちゃっている。ジャグリング自体はずっと続けたいと思っている。ジャグリングのアクション自体はとても楽しい。つまり、ボールを投げるとか、ディアボロ思い切り飛ばすとか、そういうことは好き。演技をする、ということはとにかくジャグリングの行為に付随する喜びとは全く別のベクトルのことなんだ、と了解すべきだ。
 「ちょっと大きい舞台も出たいな」みたいに欲が出てくる時もあって、そのことにどう対処していくか。それが、まさにジャグリングを一生続けていくための勘所なのだ。やっぱりジャグリング自体は好きなのである。
 変に欲を出さない、ということだと思う。どうしても、真剣に演技を作ることに集中し出すと「どこに出しても通用するものを」みたいに、なんか余計な欲が出ちゃうのである。そんな実力ないのは自分でわかっているのに、である。なんかいけそうな気がしちゃうんだよね。でも、実際にはそれはとても厳しい道のりで、本当に、血の滲むような努力、というか、ちょっと自分の欲とは反する方法を取らなきゃいけなくなる。そうすると、固まっちゃって、こわばっちゃって、悲しくなっちゃうことが多い。悲しいと空回りする。
 それよりは楽しい努力を見つけたいね。「努力するとどんどん楽しくなっていく」方向ってなんだろうなー、と考えるわけである。とにかく他人の評価を気にしないで、自分のゲームを気にする、それだけなんじゃないか、という気がする。多くのプレイヤーの中で目立ってやろうとか、うまいことやろう、というふうにそれを真っ先に考えると、なんか考える要素が多すぎて、うまく力が入らないなぁ、と思う。自分の手元にある喜びを繊細に追求する時間を膨大に積み重ねた(継続した)結果、気づいたら周りと全然違うこところにいる、というのはありうる。
 というわけで、昨日から、振り出しに戻る気持ちで、昔からやってきたディアボロの演技を中心に組み立てよう、と思って、その練習をしていたらこれが非常に楽しい。余裕を持って取り組むために(余裕は創作の継続にとって本当に大事なことだ)どんどん「固定」をしていく時期に入ったのである。


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