第9回 仕事責任ジャグリング

2019/12/08 日記
 最近朝が遅い。こんなこと誰でも知っているが、一度遅く起きる習慣がつくと、それを早起きのサイクルに戻すのは非常に難しい。
 僕は今主な金銭的収入を翻訳の仕事で得ている。それほど大きな額ではない。しかしそれでまぁ家賃光熱費水道代食費分にはなる。(この家、もとい「寝泊りしても社会的に問題が起きない囲い」は、家賃がものすごく安い)それ以外にいくつか仕事も掛け持ちしていて、多い時はそっちの収入が7、8万になる。というわけで、今のところ致命的な金銭欠乏に陥ったことはないんだけども、生活に緊張感はない。
 「責任」というものも意識してあまり背負わないようにしているので、(油断するとありもしない責任に怯えてしまうので)ゆっくり起きても焦らないようにしている。起きた時間に合わせて、仕事を始める。
 この「仕事」という言葉に関して、僕は最近坂口恭平さんという人のあり方を徹底的に参考にしている。仕事とは「お金を稼ぐ」ことではなくて、自分自身の「働き」である。
 でも、徹底するのにはそれはそれで勇気がいる。まずは保証のなさを覚悟した上で、それでも、自分の欲をよく感じ取って、それに忠実に生き始める、ということだからだ。一般とは順序が逆なのである。
 普通は、「お金がないと生きていけない」ということを大前提として、そこから選択をしていく。でも、それが必ずしも個にとっての幸せとは限らない、というようなことは先日書いた。いつだっけ
 で、起きて、最近は本を読んでいて、まず積んである本で気分に合致するものをじっと読む。それから、気が済んだら「仕事」に取り掛かる。
 相変わらず、今はインタビュー記事に取り組んでいる。すごく遅れていて申し訳ない、とは思うのだが、自分自身の行動を自分で制御できるというのは幻想じゃないか、という気分が近頃拭い去れず、中途半端な責任感でやっている。けど、一応、半分ぐらいはできてきた。もう少し意識を沈潜させれば出来上がる気がする。
 で、あ、ジャグリングしなきゃな、と思い、近所の公園に出向いてボールとディアボロを触る。逆立ちもする。ボール、最近は7ボールをやっている。今まで、「分かり易すぎる目標」を避けていた。でもそれはこだわりでもなんでもなく、ただ「わかりづらいけど自分にとって切実な目標」と、「誰にでもわかりやすく、批判的思考のいらない目標」のふたつをどちらも追い求めて、ふたつとも自分の中に持つ、という意識の欠如という、どちらかというとそれこそが怠慢であった。
 昨日も相変わらず、カレーパスタ。夜は辛ラーメン。

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