パエトーン

<ギリシャ神話の本を探す>
 世界の神話に共通性があるという話は昔からある。
オーパーツと同時に神話や昔からの言い伝えなど、燕や白鳥伝説などにそれがある。
 紀元前の国交もない時代にどうしてそんな同じような話が世界中にあったのか不思議で面白くてもっと知りたいと思った時があった。
 ギリシャ神話と古事記にもよく似た話があって、民俗学や河合隼雄のユング論で神話について述べられてあってもう一度読んでみようと思い立った。
 子供の時に読んだ世界の名作文学全集の中にそれがあったのを思い出した。
 古事記はすぐに見つかってすぐに読んだ。

 しかし、何処をどう探してもギリシャ神話が見つからない。
捜しながら気が散る性分の私は、違うものを読み始めてしまったりして、諦めかけた時思い出した映像。
 小学生だった私が、夕方に本を読んでいる。
そこに母が何か言ったらしい。
 らしい。というのは、私は本を読み始めると本当に周りの声が聞こえなくなるのだ。
 だから、言った“らしい”としか言えない。聞こえてないんだから。
 

 そして、怒りだした母は私の読んでいた本を取り上げ引き裂いた。
そうだ、引き裂きバラバラにしてしまったのはあの本だったんだ。
 うかつにも、私はそれをキレイさっぱり忘れていたのだ。
そういえば、と1巻から50巻までキレイに並んでいる世界名作全集の第1巻がずっとなかった。
 自分って記憶が部分的に欠落していることを知る。とそこに至るまでの遠回りにある意味感心しながらその後古本屋でギリシャ神話を見つけて読んだ。
 そこには、人間の分を弁(わきま)えず滅びるパエトーンが居た。
地獄の王プルトーンが居た。それが、あのプルトニュウムの名前の由来だった。
 もんじゅが、三人寄れば文殊の知恵と言われるあの文殊の名を原発で使ったように、人間はどれだけ不遜で恐れを知らない生きものなんだろう。
 よーし、このギリシャ神話の話を書いてやろう。と思った時には、民俗学じゃなくてかっk核に手を出した人間の不遜がテーマになっていた。
 なのに、どんどん月日が過ぎちゃったんだよなぁ。
その気持ちが再燃した時が何度かあった。
 2010年5月に再版された1988年に描かれた山岸涼子の漫画を読んだ時だ。
 自分が言いたいことがこんなに分かりやすく端的に描かれているなんて…。と、嬉しく驚いた。
 その年の秋、広瀬隆氏の講演会に行った後、またこの話を書かなければ!と思いながら、年を越し、あの2011年の3、11が来てしまった。

 そして今(2012年1月27にち)遅ればせながら山岸氏の漫画を元にこれを書いている。
 何だか話があちこちしてる。
つまり何かと言ったら、この話を書きたくてきた。つうこと。

<山岸涼子の漫画“夏の寓話”より、「パエトーン」>
 ギリシャ神話に出てくる“パエトーン”は、神と人間の間に生まれた子だった。
 パエトーンは自分を侮辱した友人エパブス(彼も神と人間の間に生まれた子だった)に、自分が彼より神に近い存在である証を示す為、父親である太陽神に頼む。
「父上、僕にあの日輪の馬車を一日だけお貸しください」と、
父である太陽神は

「それだけは叶えてやれない。あの馬車を駆るのは人間には許されない。
あの火の車を御する事だけはあきらめてくれ、あの馬車を扱うのは人間には許されないのだ。いや、人間だけではない神がみにさえ許されないことなのだ。
あの全知全能のユピテル神ですらあつかうことが出来ない。
唯一太陽神であるこのわたしだけが出来るのだ。愛する息子よ、あの火の車を御すことだけは諦めてくれ」と何度も何度も言って聞かせたが、
パエトーンは引き下がらず、日輪の馬車を頭上で走らせること以外にエパプスの鼻をあかす方法はないと思い込んで、その野望を捨てることはなかった。
 ついに根負けした太陽神から、天の金色の馬車と4頭の駿馬(しゅんば)を引き出すことになる。
 しかし、神がみですら御す事の出来ない物を驕(おご)った人間に扱えよう筈がない。
 たちまち駿馬は狂奔し、炎の軌道を外れて暴走した。
地上に近づきすぎた日輪は広大な地域を焼き払い、森も山もその住民たちとともに煤塵(ばいじん)と化した。
 パエトーンは手綱一本扱えずただ恐怖ですくみあがり、いたる所で破裂する大地と干上がる海、干からびる熱砂の町を見るだけだった。
 この時、全能の父ユピテルはこのままでは万物が滅びてしまうとパエトーンに稲妻を投げ付ける。
 パエトーンは炎と化し御者を失った馬車は粉々に壊れ、あたり一面に飛び散って消えた。
神になりかわれると思い上がった人間の話だ。

 この話は、1988年だから1986年のチェルノブイリ原発事故から2年後に出ている。
 その作品を出して間もなく彼女は広瀬氏の「危険な話、チェルノブイリと日本の運命」に遭遇する。
 それを読んで恐怖でイッパイになった彼女は本屋に走り、そこでまた武谷三男氏の“原子力発電”を見つける。
 それはチェルノブイリ事故危険をその10年前に予測していたものであった。
 広瀬氏の言っている事がより確かなことである。ということの裏付けとなるものだった。
 最後に山岸氏はこう述べている。
「わたし達は、原子力発電の安全性も解決できぬうちにつっぱしってしまったのです。
その傲慢(ごうまん)さを恥じながらも、今、わたし達にできる事は、原子力発電の即時停止を実現することだと思うのです」
 
<必要なモノは向こうからやってくるのか>
 思えば本やモノ、人との出会いは、それを求めているからやってくるのか、必要だから何かに与えられことになるのか、驚く程タイムリーにやってくる。
 3,11の後、今度こそ全てを書くぞ!と決意し、机に座ると、
“ミツバチの羽音と地球の回転”のパンフレットを見つけた。
 何時、誰に貰ったのか?と首をかしげながらも、何から書いていいか、書きたいことだらけで迷っていた私は、そこにあったメッセージを書き写して載せた。
 チェルノブイリの劇、アレクセイと泉、六ヶ所村ラプソディ、数々の原発やチェルノブイリに関する本や映像が偶然のように私の元にやってきた。
 中でも広河隆一氏の“チェルノブイリ報告”1991年に書かれたそれは原発事故の恐ろしさを現実のものとして教えてくれた。
 広瀬隆氏の原子炉時限爆弾は、ある人が届けてくれ、恐ろしくて読みたくなかったのにどうしても読む羽目になった。
 1999年の東海村臨界人災事故があった時、世の中の大多数の人が核の恐ろしさを現実のこととして見ていない、その知識もないということを知った。(私もそう知っているわけではないが)
 やはり買わかなった広河氏の写真集“チェルノブイリ『消えた458の村』”がきたのは、臨界事故の直後だった。

<チェルノブイリ原発事故報告>
 チェルノブイリの発電所は出力100万キロワット。
ソビエトがその安全性を世界に誇る最大級の原子力発電所だった。
 それが、原子炉の異常を示すサインが出てから、わずか4秒で大爆発する。
そして200種を超す放射性物質(死の灰)を、推定数億キュリーという途方もない量で世界に放出した。
 ヘリコプターから撮影され、映し出された燃え盛るチェルノブイリ原発、画像は白っぽくチラチラして見えない。
あまりの高放射能でフィルムが感光していたのだ。
撮影していた監督とカメラマンは放射能障害で死亡。
この時の周辺は1時間あたり150レントゲン、600レントゲンで人は死に至るので4時間いると死亡となる。
 燃え盛る原子炉をセメントで塗り固める為に、多くの軍人や作業員が動員される。
どれだけ多くの人が亡くなったか定かでない。
 その時の内部は4000度を超す、いつ爆発するか分からない状態。
高濃度汚染のプールに飛び込んで栓を抜くその映像は、恐ろしくて見ていられなかった。

<やっぱりきた、原発人災事故>
あの地震、津波、福島原発人災から、もうすぐ1年になる。
あの頃、2月に入ってからの胸騒ぎは半端なく夜も眠れなくていた。
その時、新しい事業を始めることになっていたので、それに対しての期待感と緊張から
そういうことになっているのかと思っていた。
 でも不思議なんだよねぇ。
階段の途中に飾っていたミニチュアの自転車が落ちてバラバラになっているのを見た時に
(あー、この話は進まないな)と思って諦めていた。
だから、地震のために新しい事業が取り止めになった時、それが当然の事のような気が
して全く残念でなかった。
 そして、その頃、「原発は早くオワリにしないと大変なことになる」と誰彼かまわず言う
ようになっていた。
 それまでは、原発に反対だと表だって言わないようにしていたし、言っても通じない
誰も分からないと諦めていた。(昔はムキになって言ってたんだけどね)
 それが、急き立てられるように言わなければならないという気持ちになっていた。
でも通じない。
何度か話すうちにエキサイトした私は「いまに見てろ、大変なことになるからな!」と
怒鳴っていた。
 その1週間か2週間後、福島原発が水素爆発した。
それを聞いた瞬間、(あー、やっぱり、ついにきたか!)と思った。
でも、原発についての正しい知識を持ち、本当の意味での平和について話す事の出来る
人が沢山居ることも知った。
 そう、原発を推進している人達は、原発についての知識がなかったのだ。
どれだけ沢山の使用済み燃料が日本全国に置かれていて、行き場もなくなっているか。
地震についての研究が握りつぶされ続けてきている、という事実を知らなかった。
知らされてないということすら分かっていなかったのだ。

 マークI(ワン)が欠陥品であることも、そこで働いていたディール・ブライデンボウ
が、日本にそれを売り続ける会社に抗議して退職したことも知らなかったんだ。
 そうかぁ、私は分かりやすくそういうことを書いていったらいいんだ。

 よし、次回はその“マークI”の話を書こう。

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