キラリちゃん

 その街は、至る所に監視カメラがついていた。

 それには、監視カメラというと堅い感じがするので、“キラリちゃん”という名が付いている。

 ここの街は、ここに住む人たちの希望によって作られた街だ。

ここに住むには厳重な身元調査と精神鑑定が必要だ。

その人自身が常識人であることはもとより、その親の3代前まで、何処の何者で、どういう人生を送ったかまで調査される。

 だから、現在が優秀であっても遺伝性の病を持っていると思われる者は、ここには住めない。

 街の管理費が高いので、ある程度の収入がないと住めず、高学歴でない者も審査で外される。

 なので、不審者はこの街には居ない。

 ここに住む人たちは、環境が大事で、自分たちも環境の一部であるという認識だ。

 だから、何処に誰が住んでいてどういう暮らしをしているかは、自分も知られているが、町の人全員のことも知っている。

 ここの町では、挨拶をしない人は一人も居ない。

誰に会ってもニコヤカな笑顔と挨拶が返ってくる。

 町ぐるみで定期的に行われるお祭りも、みんな積極的に参加し、協力的である。

というより、それが生きがいであるかのように見える。

 監視カメラのキラリちゃんは、その様子を静かに見つめる。

 子供たちは、全員携帯電話を持っている。それには、発信機がついている。

だから、家にいるお母さんは、子供の居場所に監視カメラ、おっとキラリちゃんにチャンネルを合わせると、何時でも、子供が何処に居て、何をしているのかが分かる。

 だから、お母さん方は安心して家事にいそしむことが出来る。

そのお母さんの様子は、会社で働くお父さんにも分かる。

 何故なら、家の中の様子を何時でも見られるテレビキラリちゃんをお父さんも観ているからだ。

 キラリちゃんは、家の中にも配置されている。

そして、お父さんの様子はお母さんも分かる。

 会社にもキラリちゃんが、居るからだ。

 子供の情操教育には、動植物は必須アイテムだ。

その為、どの家庭にも犬か猫が飼われ、ガーデニングが盛んだ。

 でも、汚いものは子供に見せると良くないということで、少しでも枯れて汚くなった植物は、時期を待って生き返させることはせず、廃棄処分になる。

 汚いモノがあることは、街の景観を損ね、周りの迷惑となる。

ここの街で、何よりやっていけないのは、周りの迷惑になることだ。

 だから、喧嘩もいけない。それを聞いた人の気分が悪くなるからだ。

 ここに住む人たちは、心配性である。だから、少々窮屈な思いをしてもここに住んでいるのだ。

 ペットとして飼っている犬猫も家族の一員で、目が届かないと心配(面白くない)。

しかし、犬は繋がれているからいいが、猫はそうはいかない。

 家の中から出さずに飼ったり、紐をつけたりする人も居たが、うまくいかなかった。

 そこで考えたのが、猫の身体に発信機のチップを埋め込むこと。

 子供達のように発信機を持たせようとしたのだが、猫は異物を付けられることを嫌い、どうやって外すのか、外してしまった。

 そこで、猫の身体に手術でチップを埋め込む。これは大成功だった。

これで、もう猫の居場所も行動も、何時でも把握出来るようになった。

 そして、発信機つきの携帯電話を忘れて持たない子供には、

「あなた、そんなに電話を持っているのを忘れるなら、ミケみたいに手術してチップを埋め込みますよ」と脅しにつかえるようになって、一挙両得だった。

 ペットも汚くなったら、植物と同じで処分される。それは、ポアと呼ばれている。

汚くなるとは、病気になったり年を取るということだ。

「汚くなってまで、苦しい思いをしてまで生きていたくないでしょ?」とそこの人達は言う。

「汚いものは教育に悪いのよ」

「子供にはキレイなモノだけ見て苦労しないで真直ぐに育って欲しの」とそこの人達は言う。

 学校から戻った子供は、朝には居たペットが消えていることに

「あれ?ポチ、ポアになったの?」

と、ちょっと泣くが、すぐに忘れる。

 死に直面したことがないので、死に対しての悲しみがそう深くないのだ。

 ここの子供達には、恐怖も少なく、喜怒哀楽が少ない。

それを大人たちは、気持ちが安定していると喜んでいる。

 ここの子供達は、きちんと挨拶をする。大人に対して敬語が使える。

が、この間、ちょっとした事件があった。

 キラリちゃんの死角、見えない所に友達を連れ込んで、証拠が残らないように痛い目に合わせた子が居たというのだ。

 痛い目に合わせたというその子に事情を聞くと、痛い目に合わせられた子から、誰にも分からないように嫌なことを言われ、何かされたのだという。

 そこで二人を呼んで、事情を聞いたが、二人とも自分はやっていないが、自分がやられたことは事実だと言い張った。

 しかし、結局、事実は闇の中に消えた。

キラリちゃんが、見ていないから分からないのだ。

 事実は、キラリちゃんで決まる。

キラリちゃんが、見ていないということは、なかったことになるのだ。

 キラリちゃんの前では、誰もがまるでホームドラマの主人公であるかのようにいい人を“演じて”いる、おっとこれは言ってはいけないことだった。

 話している相手の目を見ず、カメラを意識し、どう言ったら、どう動いたら、見てくれがいいかを常に考えて行動している。

 キラリちゃんは、その様子をカメラに収める。

そのビデオは、仲良し家族で何回も再生して見られ、良いと思われたモノは保存される。

 保存されたビデオはどの家庭でも膨大な量になっている。

そこにあった事実より、キラリちゃん、思い出が大事なのだ。

 でも、最近、この街に変な風が吹いている。

暖かくてキレイで、みんなニコヤカで、心配のない理想の街なのに…。

 何やら、不穏な、生臭い臭いの風が…。


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