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母の生い立ち2

リライトが出来たので、今回の原稿はこれで終了です。では、続きです:

 仕事を習う根は人一倍あったのですが、慣れるにつれて男ばかりの中で世間ずれしていない私はからかいの対象になり、今でいうセクハラを受けたりするので、そこを止めました。そのことは誰にも言えず、いじめに遭っている子供の心境と同じでした。仕事は八分通り覚えただけでしたが、独立して家でやってみることにしました。新聞にトレース募集と出ているところへ出かけて行き、仕事をもらいました。何度も突き返されて描き直しをさせられたり、仕事先の倒産で一か月分の報酬をもらえなかったりということもありました。こんなときに相談する相手も知りませんでした。それでも頑張りの甲斐があって、その頃は母と2人の生活になっていましたが、やっと私の収入で暮らせるようになり、親孝行出来る喜びを感じました。


 そんなある日、魚を行商しているおばさんが窓から覗いて私の仕事を見ていて、家にも絵の好きな子がいるのでやらせてやってくれないかと言われ、18歳の息子さんを連れて来られました。教えてあげたいけど、私には余裕がなかったので、新聞広告に出ている型屋さんに行ってもらいました。しばらくの後、また私のところへ彼が来て、ここでやらせてほしいと言われるので、家に通ってもらって5年間共にがんばりました。その間に、私の外出を手伝ってもらったり、映画やサーカスなどに負ぶって連れて行ってもらったりしている内に愛が芽生えました。プロポーズは彼からでしたが、無論のこと周囲の反対がありました。しかし、彼の決心が固く、しぶしぶ認めてくれました。結婚後、珍しいケースと見られたのか、新聞や週刊誌、テレビなどが取材に来て、それを見て周囲の人も納得してくれたようです。


 私が最初に妊娠した時、親やお医者さんでさえ、私のような体の者が出産するのは無理だ、と中絶させられました。でも、二度目に妊娠した時は、産んでみたいと思いました。5カ月待てば大丈夫だろうと言われ、小さいお腹ながら5カ月無事に過ごすことが出来て、出産予定日より20日早く、自然分娩で2,500gの女の子を産みました。2歳半になった時に保育園に預けました。私は仕事もしなければならないので、保育園の行事は母や夫に行ってもらっていましたが、4歳になった頃、娘が「何でお母さんが来てくれないの、お母さんが来てくれないからつまんない。」と言いました。私は胸を突かれ、こんな母親でも車いすに乗ってでも行ってやる方が良いかなと思い、なるべく行くことにしました。車いすの周りに寄って来る友達に、娘は「私のお母さん、足が悪いの。だからこんな車いすに乗っているの。」と説明していました。私たちは、娘には自分たちのありのままの姿で生き様を見せてやろうと思いました。その後は小学校、中学校にも出来る限り行きました。教室が2階にある時は、抱え上げてもらったりしました。幸い娘は順調に育ってくれて、これも良い先生方や皆様のご理解があったおかげと感謝しております。3年前に娘は結婚して別に暮らしております。


 今までの生活を振り返ってみますと、いつも何らかのバリアがありましたが、まずは自分が動くことによってハード面においても人様のお力添えを得られたように思います。今は夫と二人の生活ですが、家事を分担して、夫:朝ごはんの支度・布団の上げ下ろし・部屋の掃除・3日に1回の買い出し・敷布など大物の洗濯など 私:昼と夜の食事の支度と自分の身の回りのことを今のところは出来ています。

 日本家屋の構造では、車いすでの行動はとても無理です。私は畳の上を這っているので、ベッドや洋便器、台所の流し台などはそのままでは使えません。そこで考えた結果、工業用のリフトを購入し、流し台の前の床と、トイレの床に埋め込んでもらいました。こうすることで、自力でこなせるように出来ました。考えを少し変えるだけで、お互いの負担を無くせることもあると思います。


 この頃、私は地域とのコミュニケーションを考えるようになりました。回覧板で「ふれあいサロン」が社会福祉協議会主催で行われているのを知り、参加させてもらうことにしました。場所は近所の広沢小学校に併設されていて、建物の近くまでスロープがあるのですが、時には車でふさがれていたり、自転車が置かれてあったりします。そして、たどり着けてもやはり入口に段がありました。電動車いすに乗って初めて出かけた時も、ストレートに入ることが出来ませんでした。校舎をぐるっと回って給食室から入って、そこにたどり着きました。次からは、夫に作ってもらったスロープ台を持参し、どうにか入れていただきました。皆さんは快く受け入れてくださるのですが、ハード面で阻害されてしまいます。私も今年は65歳になり老人のお仲間入りをさせていただけますが、地域の中にあっても皆様とのふれあいをさせていただきたいと願っております。ふれあいサロンでは午前・午後とお食事を挟んで催しがされますが、身障者用のトイレがないので、私は午後からのみ手芸などに参加しています。今、講堂を建て替え中で、身障者用のトイレも出来ると聞いて待ち望んでおります。


 私自身が動いて郵便局や近くの医院・歯医者へ一人で出かけるのですが、車いすマークが付いていても入口までのスロープがあるだけで、中に入ると大概は段になっています。こんなところでは、私は車いすを降りて行けませんので、お願いして受付の人などに上げてもらいます。こういう場合、電動車いすでは重くて無理なので、手動車いすで行きます。しかし、道中、平坦な道であれば良いのですが、急激な坂や線路のあるところはとても大変で、また危険を伴います。手動車いすの前輪キャスターは、線路の溝にちょうどはまってしまうことがあるのです。その時に誰かおられる人があれば、助けを求めることは出来ますが…。私たちが一番求めているのは、ままならない外出が何とかならないかということです。


 リフト付きバスがあると聞きますが、まだどの路線にもあるという訳ではなく、一度も乗ったことがありません。京福電鉄で夫と共に四条大宮まで行くことは良くありますが、途中下車はすべての駅で出来ません。最寄り駅は車折神社で、四条大宮へ行く側のホームには少し奥行が広い段が4段あり、どうにか1人のサポートがあればホームへ上がれます。しかし、帰りのホームの段は同じ4段でも急なため、2人のサポートが必要になります。仮に私が電動車いすで京福電鉄に乗ろうと思うと、段差のない始発の嵐山駅までまず出向き、そこから終点の四条大宮へ行きますが、倍の時間がかかります。ソフト面で補ってもらう場合でも、ハード面をもっと考えていただければと思います。日本の福祉はまた当たり前の生活すら出来ない状態だと思います。


 3年前にアメリカのサンディエゴにて、現地の障害者の家庭に一週間ホームステイさせてもらって、リハビリテーションセンターやシーワールド、動物園などを見学するツアーに夫と参加して参りましたが、どこへ行っても障害者への配慮がされていて、違和感なく行動することが出来ました。また、障害者の姿も多く見かけました。ソフト面においても、ドアがある場合など、子供でも開けて先に通してくれました。障害者自身の気持ちもあるでしょうが、日本においても、思いやりの精神を子供のうちから育てていただきたいと思います。

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