好き、嫌い、それ以外

 好きと嫌いしかない。

でも、友達に言うと、「普通」はないのか?意見も白と黒しかない。「グレー」がない。

 だから協調性が無いと小学校の通信簿で書かれていた。嫌いな人と話さないからだ。だって、同じクラスだからって話す必要はあるのか?ってずっと思ってた。いちいちつまんない話に返事するつもりもない、っていう今思えば極悪非道な子供だった。相手はどう思っただろう。嫌われているのか?とか。考えたかもしれない。

 好きな子だけとしか話さない学生時代を過ごして、そして就職。そしたら、驚いた。ほとんど男性。で、席も決まっている。みんなどうでもよい感じの人。仕事さえ覚えたら話さないで済む、と考えた。

だから一回しか教えてもらって、メモって同じことを2回聞かないことにした。物覚えの良い子がはいったね、ってみんなお世辞を言っていた。

 そういうわけで、わからないことを聞くのがとても苦手。人に話しかけるのが好きな子以外苦手。

 「あの、お忙しいところ申し訳ありませんが、今お時間ありますか?前も聞いたと思うのですが、」と話しかけて聞く。いちいち大仰だった。

 自分で判断できないことが多い。で、会社にいるときが苦痛だった。なんでここで自分が選んだ人じゃない人と机を並べて仕事をするのか。

 そして呼ばれたら返事して、「はい、何でしょうか」といつも仲良くならないように話していた。「ジュディさんはまだだれにも心を開いてくれないんだね、この仕事嫌い?」とか「まるでお人形さんみたいだ」とか。言われてもにこっと笑っているだけ。

 人付き合いが苦手だった20代前半、私は、人形で、返事はスポンジ式。

「休みの日は何しているの?」

「特に何も・・・」でおわり。

これがスポンジ式返事。話を広げないのだ。だから大勢がとても嫌い。私の隣に座ってしまった人は地獄だ。だから、話しかけないでください、って思っていた。お酒も飲めない、食べ物の好き嫌いも多い、そんな人間が歓送迎会、忘年会、懇親会、新年会、最低限の飲み会にしか出なかった。同じチームにいる女性はよく話す社交的で、そして悪口をよく話していた。どこからそんな話を聞いてきたのだ?というぐらい知っている。私より1年後輩。

 そしてまるで興味のない話だった。その時気づいた。本当に興味のあること、好きな人以外は私にとっては要らないのだと。空気とかではない、邪魔。うるさい。その子が席で話し始めると、耳をふさいでいた。相当おかしい。私は後天的だが、片耳が聞こえない。だからそのせいにしていた。

 上司が読んでも、3回は無視。聞こえないふり。いきなり呼ぶほうが悪い。

で、全員が私を見る、「○○さんが呼んでいるよ」って。言われて立ち上がる、というまじで変わっていた。それが5年。良い会社だった。父のコネで入った有名企業で良い会社だったが、もういいだろう、5年勤務すればコネの期限も赦してくれるだろう、と。新入社員の時に、肝臓の機能低下でぶっ倒れて半年入院したけどね。お酒も飲まないのに、人と話すストレスがそして風邪がひどかった。インフル、41度まで熱が出て、起きることさえできない。

で、病院行ったら、即入院になった。

心の中では「あ~~~、これで休める」って。

もっと自分を見つめて自分に合う仕事を見つけるべきだった。全部親に言われるまま学校へ行き受験し、就職してきたが、なんか合わない気がしていた。でもその時もそれからも何年も親が全部結婚相手も決めてくれると考えていた。自分で好きなことは絵を描くことと編み物、手芸。ピアノ。それだけ。

結婚するころ、親と私は人生は違うんだ、と気づくんだけどね。価値観の違いに。うそでしょ?って感じ。だったなぁ。

若いうちに独立して上京する人なんて、今でもすごいな、って思う。海外へ行く人も。私は到底できない。今でも。

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