おとうさんだいすき


たった今お父さんとバイバイした、水道橋の電車の扉ひとつ隔てただけなのにまた関東と東北の距離感に戻ってしまったようだった。



はせがわじゅんのお父さんは畳屋さんで、
仕事場が家に併設しているので
お父さんはずっとお家にいました。

ずっとお家にいて、仕事ばかりをしているわけではなく、
一緒にゲームをしたり、ご飯を作ってくれたり、わたしにパソコンを貸してくれたり
とても自由に過ごしていました。
(ごめん子どもながらそう見えただけでむっちゃ仕事してただろうけど)

そのときみんなDSとかスマブラとかWiiとか、最新のゲームを持っていて
当時のじゅんさんも、当然それをねだりました。
お父さんが気に入ったゲームや、1ブーム去ってすこし値下げされたものは買ってもらいましたが、

お父さんにやらせてもらえたゲームは、「トゥームレーダー2」、「ポピュラス ザ・ビギニング」、「ダンジョンマスター」…
画質がガビガビのゲームばっかりでした。
トゥームレイダー2のララ・クロフトなんて今見たら1本の線かと思ったわ
クオリティーどうなってんだ

ただ、でも、その頃にさせてもらったゲームってずっと覚えてて
なんだかたまにとてつもなくやりたくなるし、とても愛おしかった記憶があります。


お父さんの肩にぶら下がって回ることが好きだった。
「疲れたからもう終わり」なんてお父さんの口から聞いたことはなかった。
わたしの世界はいつだってどんな速度でだって何回転もできた。
たいてい、わたしの目の方が先にまわった。

周りのみんなのお父さんは授業参観に来なかったが、お父さんは来てくれた。
わたしのことを見つけると、いつも畳を作ってる、かたくてでっかい手を、こちらに振ってくれた。

小学校の帰りも、荷物が多い日はスクーターで迎えにきてくれて
お父さんが押してくれるスクーターに跨って、荷物もハンドルに引っかけて、下校班を無視していちばんさきに帰った。


小学校の頃から誕生日で板タブを買ってくれた。
お絵かき掲示板に入り浸って何枚も何枚も、荒らし認定されるんじゃないかってくらい描きまくった。
ペン先はすり減った。

お父さんの知識は、わたしの脳みそのキャパをゆうに超えていた。
わたしが「この映画、知ってる?」というと、その映画の監督の名前まで出てくるくらいだった。
この前、やっとお父さんが見たことない映画を見つけて 自慢したけれど、1週間後には映画監督の豆知識と共に感想が返ってきた。
わたしが考えたこともない考察付きで。


わたしの家には本が山積みになっているだけの部屋があったり、階段に本棚が併設されていて、埃をかぶった小説がたくさん置いてあった。
むずかしい単語を飛ばしながら読んだ「斜陽」と「"it"と呼ばれた子」と「ボッコちゃん」
わかるところだけひたすら読んだ。


18歳、わたしは東京に行くことになった。
わたしの意思で決めたことだ。

わたしは夢に向かって一歩一歩進まなければいけないが、
そうするたび、家族とは、遠い場所へ、なんだか、離れていかなきゃいけなくなった。


離れていけばいくほど、嫌なことから目を逸らしやすくなった。

父が倒れた、おじいちゃんが死んだ、お姉ちゃんが入院したよ。

文字の羅列だけだと、温度が無くて助かった。
人の声や表情には温度があり、わたしはそれに触れると同じ温度になってしまう。


そうなると困るのだ。
いろんなことにつられると、すごく生きにくくなる。


生活をしなきゃいけないため、わたしは平熱36.3度を保った。
間違いだっただろうか。
わからない


ただ、別に今容態がどうとか、体調が悪いとか、なんだか、全然そういうことはないし なんなら元気なのにこんな話をしているとフツーに失礼なんだけど
お父さんがいなくなることが怖いなと思った。

たまにこのムーヴくるよね
人間って


あかんな
涙がでてきたよ


はやく結婚がしたいというのは
同じ速度で同じくらい時間を共にしてくれる確実な家族が欲しいんだな

だってわたしの家族は絶対わたしより先に全員いなくなってしまうから
普段は曖昧なことがすきだけどそこだけは確信が欲しいんだな

なんだかはせがわじゅんであるという意思が強すぎて、最近エッセイが描けない。


2時間前、
お父さんと一緒にジェットコースターに乗った。


受付のお姉さんが見せてくれた、注意書きの文字を目を細めて必死に読む父の隣
「65歳以上ってジェットコースター乗っちゃいけないんだって!」と笑う

「俺、これで最後のジェットコースターかもなあ」


最後に可愛い娘と乗れてラッキーぢゃん✌️と笑った。
実に笑えなかった


わたしたちはいま、高校生の時うまくできなかった親子の会話を、ひとつひとつ消化するかのように、繰り返している。
高校生のときのわたしは、ほんとうにひどかった。
ただ血が繋がっているだけで、なぜ誹り笑ってもいいと思うのか。

「駅がちょっと新しくなったよ」「最近仲良くしてる子がね、」「メガネ変えたんだ」「昔あった商業施設覚えてる?」


あーでも、あのとき、こんなふうにしっかり話していたら、いまごろ、話すネタ無くなっちゃってたかもしれない。
わたしたちはひとつひとつ消化していく。


いつか死ぬのだろうか
いや、確実に死ぬ。
怖い

高校生のわたしがすり減るまで、死なないでくれ
高校生の時のわたしは、本当は、とっても面白かったんだ
家ではあんまり喋らなかったかもしれないけど、
学校では毎日みんなで笑ってたんだ
それを演じてるかのように、いま笑顔で生きてる
23歳の本当のわたしと向き合ってくれるようになるまで、死なないでほしい。


まてよ

東京ドームシティのジェットコースター乗れるくらいクッソ元気だったくね?
やっぱあいつマヂまだいけるやろ
「おれはバイク乗りだからジェットコースター余裕!」とか言ってたくせに乗ったあと「おしっこ漏れてない😅?」て言ってきたぢゃん

ジェットコースターくらいあと5回は行けんべ?
お前に最後なんか無いんだよ!!!!!!!!!!!!!!

乗れ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
漏らすときはせーのでいこうな!!!!!!!!!!!!!!!

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