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人生に迷って抜け出せない!そんなときにはコレ‼︎

少し時間ができて自分と向き合うことが増えました。
私は自分で言うのも何ですが、繊細な性格なタイプで小さい時からちょっとしたことで落ち込んだり、不安になったりすることが多かったので
何をするにしてもその不安や心配事からできるだけ遠く距離を離れるような選択をしてきたんだなと振り返って思います。

小さい頃から繊細がゆえに、心が弱くて、臆病で自身の気持ちが揺さぶられるような事態が近くにあったり、嫌な気持ちになることを恐れてました。
自分が傷つくことを過剰に恐れてその事象が起らない様に逃げることに全振りしていたのです。

人生には色々な不都合や予期せぬ事なんて多くあり、全てを避ける行為なんてできるワケがないのに、全力でアンテナを張って自分なりの全力で回避しようと頑張っていました愚かな事だと思います、、、。
しかし心が傷つく、不安になる、心配事があることが本当に嫌だった

ある時から自分の心との同調が取れなくなってきているのを感じます。
心で思うことは自分自身の精神であり本心でそれに抗うようになっていました。
言い換えれると自分の心の声に耳を貸すことをしなくなっていて自分の精神と体は別れている様な状態であったんだと思います。

その重大さに全然気づくことができませんでした。

例えば仕事です。自分は社会人になってからある印刷会社で働いていました。
印刷に興味があったのか?ありませんでした。学校の先生から求人案内を出されて内定を貰っただけで、製造も工場も肌に合わず、入ってみれば体力仕事と、体育会系の従業員とパワハラ体質の上司、過重労働と残業時間で生きる為に働くはずが常に倒れそうな現状でした。

私はここで7年間働くことになるのですが、後に体を壊して辞めることになります。
この時も心の声つまり本心は無視していたのです。
この時の心の声は、「ツラい」「キツい」「なんでこんな事をやらなきゃならないの」「コレって本当に自分の人生を賭けてやること?」と悲鳴は聞こえていました。
しかし、自分は「せっかく正社員で入った仕事なんだ」とか「辞めたら次はどうする?」とか「生活できなくなるだろ」とか「定年、、、」とかって言いながらソレでもここで10年立ってここで働いている自分が想像出来ないという考えは頭に過ぎっていたのを覚えています。

結果、身体と精神共に壊してそこから立ち去りました。
辞めてから心に残ったのは解放の一言でした。涙すらしました。

自分はリアルの現実を見るあまり、そこから外れたときの不安衝動に駆られてそっちを大事としてしまい、心の声に共感しなかった。
心は何よりも、自分であってどう在りたいのか、どういう生き方をしたいのか持っていて自身の舵は心なのだと身に染みて理解しました。

心に耳を貸さずに、無視することそれは

自身への裏切りであり、非協力者であり、敵対であり

何よりも不安や心配などから距離置いて良い道を歩む為の最善は
心に耳を貸し、聞き入れて、信じるだと思います。






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