映画「インセプション」感想
*ネタバレあります。
小さい頃から、怖いテレビや本を見た後はすごくすごく心細くなってよく母にくっついたまま離れられなくなっていた記憶がある。
一人が嫌で、温もりを感じて安心していたかった。
「インセプション」
気になっていた映画だったので観た。
相手の夢に侵入して潜在意識に隠された情報を探るプロの“コブ”が仲間たちとターゲットの夢に潜り込んで、
ターゲットにインセプション(思考の植え付け)をする話。
夢の中で殺されてしまったら虚無の世界に落ちてしまうから、なんとしてでも生きて目覚め、家に帰らなければいけない。
子供たちの元に帰りたくて、必死で夢を邪魔する敵を倒し任務を遂行する。
任務が終わり、コブは目覚めて子供たちの元へ無事帰るが、、、、実はそれはまだ夢の中だった。
そんなラスト。
あらすじ説明が雑すぎるけど、今の感情を忘れる前に書き留めたいので割愛。
コブはずっと現実世界での幸せを重要視していた。
そんな発言を何度も何度もしていた。
現実の子供達に会いたい。
夢の中の子供たちと幸せになったところで現実世界の子供たちは取り残されたままだ。
夢から覚めるんだ。
って。
何度も何度も夢の中での誘惑と闘っていたのに。
死んだはずの最愛の妻が「夢の中にいよう」と言って引き留めるのを胸が張り裂けそうになりながらも断ち切っていたのに。
でも、最後は自分の意思に反して夢から覚められなくなる(私はそう解釈した)。
彼は不幸になったのだろうか?これってバッドエンド?
観終わった後、やや混乱している。
確かに現実世界に取り残された子供たちや、計画をともに実行していた仲間たちはコブが戻らないことを嘆くかもしれない。
でもコブ自身はどうなんだろう?
夢の中で、家に戻ってきて子供たちと再会できた。
私にはこれも一種の幸せのように思えた。
幸せってなんなんだろう。
またそんなことをついつい考えてしまう。
話中にコブから「思考の植え付け」をされたターゲットが出てくる。
彼は会社の跡取りだが、コブはその会社を潰させるためにターゲットに「会社を潰したくなるような植え付け」をした。
夢の中でターゲットの父親が死に際にターゲットを見てこう言った。
「お前自身に失望したんじゃない。お前が私の真似ばかりをすることに失望したのだ。」
植え付けのターゲットはずっと抱えていたわだかまりが解けたような晴れやかな表情になった。
実際この父親はコブによって意図的に作り出された幻影だし、彼はまんまと嵌められただけだ。
でもその一言のおかげでターゲットは自分の人生を歩む決意をできた。
会社を潰すことによって。
幸せってなんだろう。
今のところの意見だけど、結局は自分が心から満たされていればそれは紛れもない幸せと呼んでいいと、私は思う。
周りの観客たちのジャッジによって当人の幸せって決定できないんじゃないのかな。
それがどんな形であれ、心から満たされることを否定する資格を観客たちは持ち合わせていない。
というか本人が幸せと感じたならそれは本人にとっては幸せでしかない。
ただ観客たちは自分が描いていた理想の結末とのギャップに悲しむだけだ。
そしてその感情さえジャッジできる人なんかいない。
幸せってなんだろうな。
私はこの映画を見終わった後、すっごく寂しくなった。
コブたった一人だけにとっての幸せな世界を見たときに、どうしようもない孤独を感じたからだろう。
私はまだ孤独と仲良くなれていない。
*映画の解説読んだら、現実世界に戻っている説も、真相はわからない説もあった。
でも結局私が映画から受け取った感情は大切にしたい。
クリストファー・ノーラン監督か、インターステラーと同じだった。
彼って天才?