脳内垂れ流し

ツイッターは呟くにはいいんだけど長文を吐き出すのには向いていないという事実に、今更ながらぶち当たった。切ない。やる気が削がれた。

しかし、やる気がなくても腹は減る。腹が減ったら飯を食う。
私の主食は文字という何のカロリーも無い情報だ。主食のみを食べてると餓死するという問題を抱えている以外は、不便さを感じたことは無い。
今のところ主食は9割がツイッターや掲示板、残りが適当な本だ。

実は人間の体はデリケートで、ウンコッコをいっぱい溜め込むと腸がウインナーかチョリソーみたくなって死ぬ。
死なないためには定期的にウンコッコを出さないといけないわけで、同じように餌情報をたらふく食ってしまってる以上、私も何かしらのウンコッコを定期的に出さないと体はともかく心がいっぱいいっぱいになって死んでしまう可能性がある。
満腹中枢は既に壊れている。
今も若干いっぱいいっぱいパンパンなようで、マヂむり、張り裂けそう、生きたすぎてぴえん、と心が叫んでいるのが聞こえるような気がする。
叫びというより断末魔のような気もするが、悲壮な割にはその声も最近までは聞き取れなかった。

とにかく私は指先の肛門から駄文という、誰の役にも立たないウンコッコをひり出すことにした。
だが困ったことに私は、文明に調教されてしまったらしくウンコッコをするときは便座及び便器が必要だった。今更知った。切ない。
これが物理ウンコなら、本能の赴くまま凍土の上でもジャングルでもモリモリ出せるのに。そして世界に循環させられるのに。
困った私はnoteを便座もしくは便器に見立てることにした。


noteを便座か、さもなければ便器扱いすることに運営が怒ったなら、ごめんなさいをして再びTwitterの海に潜り誰も知らない場所でひっそりとウンコッコを垂れ流そうと思う。
だが、許されるのであればここを私のトイレにさせて欲しい。誰にも迷惑はかけないので。もし迷惑を被ったと主張する人がいるならば、ウンコが臭いのはあたりまえだろバカ一生自分のウンコ食ってろ、と追い出すくらいのことはするので。

私の思念的ウンコは、それが迷惑かどうかは別として、物的ウンコと違って食べても死なない。
死んだらそれは、多分別の病気を抱えてたせいなので私のせいではない。


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