薄く広まっているhip-hopと教養
popyours2024で kzmがhip-hopが薄く広まっている感じ、という話をしていて、
それについて、盛り上がってない場面と皆が知っている流行っている曲で盛り上がっている場面を比べて「まさにこの状況が」みたいな意見たくさんあるけど、私はちょっと違うな〜って思った
私が思う、薄く広まっている感じ は ミーハーが増えて多くの曲を知っているファンが少ないよね みたいな単純な話では無くて、hip-hopが持つ意味みたいなものを素通りして、他の色々な要素が付いて、hip-hopを聞く人たちの希釈の仕方が変わって来た みたいな感じ
電車の隣の席にいた大学生くらいのカップルが「油そば食べたい」「油そばって私食べたことない、どんなの?」と会話してて、男の子の方が、え、食べたことないの?油そばって説明ムズいな。うーん。なんて説明すればいいんだろ。と言いながら油そばをスマホで検索して、そこに出た文章を読み上げてて、俺なら今別れる、と思った。
(この油そば検索する大学生みたいな感じ)
例えば、どれだけ自分が置かれている状況と違うリリックだったとしても 自分に向き合わせて考えて得ようとすること、解釈しようとすること、想像して自分のものにすること が薄れてる アーティストの持つhip-hopを自身の内面に問う時間が少ないのかな とか クラスの俺だけが知ってるみたいな感覚って、今までそういう自分と向き合う時間の中で生まれてきたんだよ
だから、あまり知られていないコアな曲をどれだけ知っていようが、自分と向き合う時間が一瞬も無い人は話していて薄いな〜とか(知識と教養は違うなとその度思う)
Twitterで見た
ファッションウィークを見れば見るほど、私には教養がないと痛感する。教養とは無差別で、それは名画なり小説であったりするし、民族や社会活動だったりする。ゾンビ映画や音楽であったりもする。私の教養はそのどこにもない。文化的背景を持つものを盲目の豚が買い漁る様はさぞ風刺が効いているだろう
ってツイート、ハッとさせられて 教養とは無差別で何かを通じて自分が考えて得てきたものだと気付いた(小さい時に何気なく見てたクレヨンしんちゃんとかだったりする)と同時に、hip-hopも教養と少し似ていて 過酷な環境、辛い状況だけじゃなくて いつもの帰り道や何気なくぼーっとする時間から得られる気持ちだったりすると思うから、自分と向き合う ってことを忘れちゃいけないね
(ちなみに、自分にとってhip-hopとは?は未だに答えが見つかってなくて、ずーっと探してるけど、ラップスタア2023valkneeの何がhip-hop?暮らしを良くする向上心、の思考深さに、心射抜かれた)
クラスの俺だけが知ってるみたいな感覚、もう大人だから忘れかけてたけど、こういう事を考えながら聞くTEENAGE VIBEがめっちゃ良くて泣いた
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