〈上越タイムス創刊30年 地域を守る〉産業編(8)伝統産業 内職から派生 伝統の手工芸 東京に販路求め活路 吉田バテンレース

 上越市の伝統産業として有名なものに、バテンレースが挙げられる。現在も生産を続けている吉田バテンレース(同市東本町2)の吉田節子代表(69)に、時代による変化とその対応について聞いた。

 バテンレースは手工芸品のレースの一種で、テーブルクロスやピアノカバーなどに使われている。『地方工業の研究・新潟県上越地方を中心として』(赤羽孝之、西山耕一編著・1990年)によると、上越市での生産は明治31年に始まり、冬場の女性の手内職として広まった。大正3年の最盛期には高田の元請け業者は23軒、上越地域の取次店は2700軒で、内職従事者は8000人に達した。

 かつては嫁入り道具にバテンレース一式を入れていた時代もあったが、生活様式が変化し土産や引き出物が簡素化するなど需要は減少し、20~30年ほど前には生産の中心は中国に移ったという。苦しい時代にも古くからの縁が深い問屋からの仕事が入り、「細く長く続けてこられた」と吉田さんは振り返る。

 同社は約35年前から、東京の百貨店に出向いて対面販売も始めた。近年は中国も経済成長により手作りの仕事に従事する人が減っており、丁寧な縫製を続ける同社が希少な存在になったという。東京ではバテンレースを知らない人も多いが、逆に新鮮さを感じて喜ばれている。定期的に東京に出ることで見方が広がり、刺激を受けたという。

 現在は3人で生産している。吉田さんは「バテンレースは手作りなので設備がいらない」と利点を話す。技術の継承については教室を開講しているほか、市が旧今井染物屋で計画している体験・教室に協力することとしている。

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〈写真=新たに布マスク生産に加わった人にやり方を伝える吉田さん(中央)〉

 今後については、後継者候補はいるが経済の流れもあるので、先のことは決めていないという。新型コロナウイルス対策の布マスク生産を始めたところ、近所などから手伝いたいという人が多く集まっている。「(裁縫を)やりたい人は意外に多い。伝統について深く考えたら続けられない。伸び伸びやった方がいいと思う」と話した。つづく

※この記事は2020年4月8日付上越タイムスに掲載されたものです。文中の年齢などは当時のままです。ご了承ください。


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