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格好いい大人になりたいわたしの戒め垂れ流しメモ

できれば爽やかな自分で在りたい。頼まれ事や仕事を振られたときに「ありがとうございます!」「すぐ納品します!」「なにあかればいつでも言ってくださいね」なんて即レスするのが理想of理想。

4月からライフスタイルをがらりと変えた。
朝はまだ人気がない時間から電車に乗り、仕事へ。昼過ぎに帰宅したら、まずは溜まっていた洗濯物を回して、少し休んでから原稿に取り掛かる。翌日に持ち越すのがニガテだから、割り振られた分は全て当日中にUPする。終わったら部屋を掃除をして、夕飯を作り、彼の帰りを待つ。

描いていた理想の限りなく真ん中に近いところに居る。ここからまた少しずつアップデートしていく楽しみもある。幸せだ。幸せでしかないはずだった。

先週、なぜか元気がでない日が続いた。元気というか、覇気?「よし!」と気合を入れて取り組む活力が極めてゼロに等しい。朝の仕事から帰宅して(洗濯機が止まるまで)と布団に入り、気付けば夕方。洗濯機の中でシワシワになったやつらをみて自己嫌悪。寝ても寝ても寝足りなくて、余裕だったはずのUP時間に追われながら原稿を捌く。追加の発注を受ける、捌く。21時を過ぎたあたりでようやく目処がつく。いまからなら彼の帰宅に間に合うと頭では計算できていても、冷蔵庫はからっぽなのに夕飯の買い出しに行く気力が湧かない。掃除もやりたくない。

すっかり暗くなった部屋でひとり。誰が悪い訳でもないとわかっていてもなぜだか涙が止まらない。そんな1週間が続いた。


「爽やかでいたい」
22.3歳ごろに勤めていたアパレルショップは、歳上ばかりで、なんだかみんな物凄く大人に見えた。お客さんにイヤな態度を取られても、やっかいな接客に当たっても、笑顔で余裕綽々といった感じ。常に余裕があって、何事も爽やかにそつなくこなす姿に憧れた。

今思えば、彼、彼女たちも色んな気持ちに折り合いをつけて店頭に立っていたのだろう。幼かったわたしにはそれが分からず、とにかく無敵に見えた。

わたしにとっての格好いい大人は、周りに爽やかを提供する頼りたくなる存在。先輩たちのようになりたい、なるんだ!と強く願い真似るうちに、心が幼いままのわたしは、いつの間にか見返りを求めるようになっていた。ボロがどろどろと溢れ出したのが先週のこと。

無理な発注がイヤなわけじゃなかった。自分にできることは精一杯させてもらいたいというのは本音だ。だけど「頼りになる」とか「助かる、ありがとう」とか。相手が喜ぶことよりも、そんな言葉たちに自分が満たされることを優先するようになっていた。結果、思っていたリアクションがないと、粗末に扱われた気になり、虚しくて、悔しくて、ひとり泣いた。建前では「役に立てれば」と言いながら、本音は「褒められたい、認められたい、いい子でいたい」そんないやらしさで埋め尽くされていた。仕事だけに限らず、プライベートでも同じで、彼との予定が合わないとか、誕生日の過ごし方を提案してくれないとか、モヤモヤは募るばかり。自分を大切にすることも、こだわりを持つことも大事だけど、それが故に嫌な気持ちになる、させる、なら本末転倒だ。

周りへと向けた矢印は、屈折して自分に返ってくる。自分にばかり矢印をむけていると、虚しくなってしまう。そうすると、気力も活力も生まれない。そんなことに気がついた連休3日目でした。

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