方言について考える

住職です。

方言について話すのが好きです。どんな人とでも盛り上がる話のネタの鉄板です。

僕は京都の出身で岐阜県の高山市に住んでいます。移住したての頃は周りに馴染もうとして飛騨弁をしゃべってました。でも、あることに気付いてから地元の方言、京都弁をしゃべるように気を付けています。

方言はアイデンティティそのものである

地元と違う方言を完璧に使いこなすのは無理だと思っています。幼いころに育まれた考え方や話し方はなかなかしぶとく残ります。そうなると、違う方言をしゃべっているときに、自分の言葉が嘘っぽく感じることがあります。自分の言葉で話していないような感覚と、頭で考えていることがダイレクトに口を通して言葉に現れていないような感覚。

このように文章を書いている時でさえ、違和感を覚えます。話し言葉である方言で文章を書くことは難しいからです。

言葉というのはコミュニケーションツールの中でも特に重要なものです。自分を表現するときに嘘っぽい言葉でしゃべっているとロクなことにならないのは当たり前です。

自分の言葉でしゃべる

方言を話すことはとても大事だと思います。

誰でも経験があると思うのですが、旧知の友人としゃべっているとつい方言が出てしまったり、反対に、敬語だと方言が出なかったり。

これは、相手をどう思っているかによって変わるのだと思います。安心している相手だと方言が出て、関係性がまだはっきりしていない相手には敬語を使う。安心してコミュニケーションを取るためにも、方言は重要な役割を持っているはずです。

自分の言葉でしゃべるひとは、それだけで信用されます。説得力もあります。そんな人間になるために、僕は自分の言葉、方言でしゃべるようにしています。

方言がないならつくればいい

「方言がない」という人がいます。標準語圏の人、転勤族の両親の元に産まれた人、放浪癖のある人。

方言がないならつくればいいのです。そもそも○○弁というのも大きな括りでしかないと思います。同じ岐阜県でも美濃弁と飛騨弁があるし、飛騨弁でも峠を隔てた町村で違ったり(ここめちゃくちゃオモシロイと思ってます。)曖昧なものです。

話し方が全く同じな人など存在しないので、方言がない人は今しゃべっている言葉を自分の方言にしてしまえばいいのです。いろいろな土地で過ごしてきた人は、いろいろな方言を組み合わせた自分だけの方言になるはずです。まさにアイデンティティの塊のような方言を話してほしと思います。

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