[ゼミログ] 演劇と面

みなさんどうも。いつも書き出しの文章が掛けず、記事を書くに至る前に挫折してしまいます。わは。

さて、能の回が盛り上がったこともあり、今回はそのなかで交わされた面(おもて)に焦点を当てて議論を進めていくことになりました。

次週は、能の話から派生して、演劇における面(おもて)を取り上げます。
面を仮面に限らず「身体の表面」というように広く捉えて、演者の生身と観客の間に何を挟むのかや、その歴史・派生関係・効果など議論できればと思います。

そもそも仮面には、顔を隠すことによって正体を隠すという覆面効果や儀式や祭礼などで自分とは異なる存在になりきるためのペルソナに関わる道具としての役割があったといいます。上にあるように「身体の表面」として面をとらえたとき、舞台上の演者の顔と観客との間には、いくつかの層が存在し、そこでは見えるー見えないというコントラスの明瞭な対比に収まらず、どのくらい見えるのか、またどのように見えるのか、という要素がグラデーションのように重なっていることが考えられそうです。

議論にあげられた具体例を用いると、素顔の上に演技、つまり表情が表れ、そこに白塗りや歌舞伎における隈取をはじめとする化粧、能面や仮面などのように完全に顔を覆ってしまうお面が重ねられていく、という具合に面の様子が変容していくのではないでしょうか。その程度により、観客はそれぞれ異なる印象を感じ取ります。

例えば暗黒舞踏のパフォーマンスに顕著な白塗りは、性別や年齢などが打ち消されることで人間のありのままの姿や、翻って人間ならざるもの現出を手助けしているのではないかという意見が交わされました。また能面の代表的な面である「小面」は、時には微笑むようにも見え、また時には悲しむようにも見えるという曖昧な表情 ─ 「中間表情」になるよう工夫してつくられていることが共有され、それが能の神秘的な空間の演出に寄与しているのではないかという認識が生まれました。

そのほかにも、コンテンポラリーダンスにおける顔の扱い方や映画における表情のクローズアップなど、幅広いジャンルを横断する議論に発展したように思います。

ここで、演劇においては劇場や上演形式によって演者と観客の間の距離が変化することは自明です。故に客席から必ずしも演者の表情が確認できるとは限らず、役者はより表情以外の部分にも気を使う必要があるでしょう。むしろ、「表面」は身体を魅せるためにあり、顔に化粧や仮面といったフィルターを加えることで表情を誇張したり、反対に曖昧にしたりすることで、身体全体での表現をつくりだす重要な要因となっていると捉えることもできるかもしれません。

以上、面(おもて)についての議事録でした。それではまた!

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