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浄土真宗法話「またね と言える世界」

       講題「またね と言える世界」

               築地本願寺 伝道企画部 上田暁成 師

本日はようこそのご参拝でございます。

築地本願寺の上田と申します。

本日は阿弥陀さまのおこころを皆さまとともどもに

味わっていけたらって思うことでございます。

阿弥陀さまという如来さまはこちらの正面にご安置されておる

如来さまでありますけれども、どんな如来さまかって申せば

この私たちに「また出会っていける場所」を用意してくださった

如来さまです。この私が生まれるはるか前からこの私のことを思うて

お浄土という世界を用意したんだっていうんです。

そうお聞かせにあずかるばかりなんでありますけれども

私いつも思うんです。

「出会ってゆく」ということと「別れてゆく」ということの数自体は

同じなんだと思うんです。例えば「入学式」っていうものがあるんであれば

「卒業式」っていうものがあるんだと思うんですよ。

また「入社式」があれば「退社式」ってあると思うんです。

「出会う数」と「別れる数」ってきっと同じなんだと思うんです。

でもこの「私」という存在はどうしてか「別れ」の方に

重きを置いてしまうんだって、そう思うんです。

なんでこんなこと申し上げるかというと

実はその姿を私は母から学んだんですよ。母の後ろ姿を通して

「別れ」に重きを置いてしまうんだって思ったんです。

今から3年前の話なんですけれどもね、私の実家が大阪の方になりまして

よく休みの日はお手伝いに帰るんです。

その日もちょうど帰っておったんですけれどもね

通夜、葬儀が終わって「じゃあ今から東京に戻ってこようか」って

思うておったときなんですよ

急にですよ、急に家のピンポンが鳴ったんです。

夕方だったんですけれどもね、母と一緒に「こんな時間に誰だろうか」って

言いながら玄関に行きますとね

黒いワンボックスカーが1台停まっておったんです。

後部座席から「ガラガラ」ってひとりの女性の方が降りてきたんですよ

降りてきた瞬間に母がね「あ ○○さん」って言うたんです。

その方は私もよく挨拶をしてたんです。母がちっちゃいときから

お世話になっていた方だったんです。開口一番にこう言わはったんですよ

「上田さん、私、今日別れを告げに来ました」っておっしゃたんです。

ようよう話を聞いてみますと「大阪北部地震で家がやられてしまった

それを直そうにもその手立てがないんだ。それを機に息子・娘が

一緒に暮らさないかって言うてきた。

自分でこの土地を守るつもりだった。でも今回の地震でその心が

ぽっきり折れたんだ。だから今日、息子・娘がいるところに行こうと

思う。最後に誰かに挨拶をしたくて先にも後にも思い浮かんだのが

上田さんの顔やったの。その思いをちょっと告げさせてもらいます」

それがこんな内容やったんです。「今までお世話になりました

私は40年と数年間この土地で生きて参りました。思い返せば

昨日のことのように思い出します。毎年上田さんの家から杵と臼を

借りては餅つき大会をしたことを思い出します。でも、もう

20年以上その付き合いもなくなって参りました。私の体は松葉杖

なくちゃ歩けん体になってしまいました。ずっとこの土地で

生きていたかった。でもそういうわけにはいかないから

私、今日この土地を離れてゆきます。

お育ていただきありがとうございました。でもね上田さん

これで終わりじゃないよ。私、次の場所でも頑張るから

どうか見ておいてね」

そんな内容やったんです。でも急に言われたもんですからね

母はその方の手をとってね「そんなこと言わんといてよ

こんなに手ちっちゃくなって」そのしわくちゃになった手をね

額に押し当てては、背中を丸める母の姿を私は後ろから見ることしか

できなかったんでありますけれども

この話をようよう聞かせてもらいますと、決して今生の別れの話じゃ

ないんですよ。交通機関を使えば簡単に着く場所にあるんです。

でもじゃあなぜ、この日常生活のなかで

この別れの方に重きを置いてしまうか。

そうですよ、やっぱりどっかで思うてしまうんです。

年齢を重ねれば重ねるほどに、状況が悪化すればするほどに

「もう会えないんじゃないか」ってちょっと思ってしまうんです。

でもこの場所を離れてゆく方が、旅立つ方が、先立ってゆく方が

「これで終わりじゃないよ」って示してくださるんであれば

やっぱり残された側は嬉しいですよ。勇気づけられてゆきます。

「これで終わりじゃない」って思うてゆけるんです。

浄土真宗というこの生き方、また阿弥陀さまの願いに生きていくって

いうことはきっとこういうことだと思うんです。

「これで終わりじゃないんだ」っていう人生を

ともに歩んで行けるような気がいたします。

その最後をどんないのちで終わってゆこうとも

決して「さらば」では終わらせない

「またね」って「また出会っていきましょうね」って言うていけるのが

この浄土真宗の教えだって私は思うんです。

昨今、会いたくても会えないままに

いのちが終わってゆくような、そんな厳しいご縁のなかで

いま私たち実際に生きておるんです。

そんななかだからこそ、この私たちがともどもに

「また出会っていける場所」を仰ぐ人生

ともどもに歩ませていただければなって思うことでございます。

これにてご法話とさせていただきます。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・

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