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【服部泰宏先生に聞く】会社と従業員の心理的契約

本稿は日本人材マネジメント協会(JSHRM)の会報誌である『Insights』Vol.101(2019年10月号)に掲載された「【シリーズ:研究者が語る】
「人」と「組織」に関する未来と人事の果たすべき役割-1」を転載したものです(肩書き等は取材当時のものです。文中に挿入しているURLのリンクは今回事務局にて追加したものです)。
JSHRMは我が国の人材マネジメントを担う方々のための会員組織として2000年に設立された日本を代表する人材マネジメントの専門団体です(会員募集中です!)。


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ゲスト:神戸大学大学院 経営学研究科 准教授 服部 泰宏 先生
神戸大学大学院経営学研究科博士課程後期課程修了。博士(経営学)。専門は組織行動、人的資源管理、経営管理。著書には『組織行動 — 組織の中の人間行動を探る』(有斐閣)、『日本企業の採用革新』(中央経済社)、『採用学』(新潮社)、『日本企業の心理的契約: 組織と従業員の見えざる約束』(白桃書房) 等。

企業と個人の心理的契約という概念について

TM(編集部会):本日は神戸大学の服部泰宏先生にお越しいただきました。服部先生には本号と次号で心理的契約やスター社員に関してお話をおうかがいする予定です。それでは服部先生、まずは自己紹介をかねまして、先生が研究者をめざした経緯などからお話しいただけますでしょうか。


服部 泰宏(神戸大学 大学院 経営学研究科准教授):私は大学生のころ、それほど大きな規模ではないのですが起業していました。例えば、家庭教師をしてほしいという地域のニーズやこれをお手伝いさせてほしいというような学生のニーズを結びつけるマッチングビジネスです。数名ほどの組織だったのですが、運営していくなか、リーダーシップをどう発揮したらよいかという迷いやなかなかメンバーがやる気を出してくれないなど、いわゆる経営の課題にぶつかることが多かったんです。

私は経済学部だったので経営というものをあまり理解していませんでした。それで2年くらいはまずは経営のことを専門的に学んでみようと考えたのがきっかけです。

TM:就職しようとはあまりお考えになられなかったですか?

服部:就職活動もしており内定をいただいた企業もありました。実は修士課程が終わったときにも就職活動をしましてコンサルタントの道に進みかけたこともあります。結局、旋回してこの世界にもどりました。もともとは勉強のためだったのですが、探求しているうちにミイラとりがミイラになったようなキャリアです。

TM:研究者のどのようなところに魅力を感じられたのでしょうか?

服部:これは得意不得意、適不適で、会社でも知識をもとに仕事のフローを形にする人と実践する人がいると思います。自分は大学時代の起業や大学院での研究をとおしてどちらが自分により適しているかと考えたときに、応用よりもむしろ基礎に近いと。そちらのほうが自分の適性なのだろうと思いました。

今もどこかで現場に対する憧れはありますが、それは共同研究しているビジネスパートナーや起業家の方々にまかせることで、当初自分が思い描いていたキャリアとも統合がとれるかなと考えています。

TM:大学院のときはどのような研究をされていらっしゃったのでしょうか?

服部:日本企業の雇用関係についてです。私が大学院にいた2005~2010年くらいの時期は就職氷河期であり、成果主義が大企業に浸透し目標管理という言葉が当たり前になってきたころでもありました。雇用の転換点にあるなか、日本企業で働く人たちが戸惑いを見せたり、それを歓迎したりなどいろいろな反応が見られたので、そこを研究してみようと思いました。そのときに使ったのが心理的契約という概念です。

TM:簡単に心理的契約の定義についてご説明いただけますか?

服部:心理的契約とは、学術的な定義でいうと会社と社員の間で採用のときや採用のあとに発生するお互いに対する期待です。法律に根拠を持っているわけではないのですが、お互いの信頼をベースに約束が成立していることを指します。会社と個人の間では文章化されないこともふくめた約束というものがあり、その約束を理解していきましょうというのが、私が研究をスタートしたときの一番のテーマでした。 


米国と日本の心理的契約の違い

TM:服部先生が心理的契約という考え方にいたったきっかけは何だったのでしょうか?

服部:インタビューでの原体験です。研究のためのヒアリングやアンケート調査をしていくなかで、例えば若い人に「何歳くらいまで会社に人材育成の責任があると思いますか?」と聞くと「ずっと教えてほしい」「ちゃんと導いてほしい」と言います。一方で、会社側に現実的にどのくらいまで育成する体制が整っているかを確認すると、最初の1年くらいであとは管理職に上がるころまでは放置せざるをえないという状況です。

要は同じ育成という素朴な問題でも、会社側と雇われる側の約束がずれてしまっている。そういうものはどのような概念なのかと考えたときに、アメリカの研究者が言っている「心理的な契約=心と心の契約」という考え方があてはまるのではないかと考えました。

TM:アメリカと日本では心理的な契約といってもかなり違うと思いますが、アメリカでの理論が日本に適用されるのは面白いですね。

服部:おっしゃるとおりです。アメリカの心理的契約は、例えば雇用を守ってくださいとか、賃金はこのくらいにしてくださいとか、労働時間はこのくらいでなど、さまざまな項目が必ずしも文章化されなくてもある意味フラットにオープンにコミュニケートされるイメージです。採用でもいろいろなことを交渉して決めていく。

日本の場合は約束のなかでも重要なプライオリティがあり、一番大事なのは長期の雇用を保障すること。もう一つは無限定正社員などと最近は言いますが、社員の側の約束として長期守られるかわりにいろいろなことにYESと言うことがあります。転勤と言ったらYES、異動と言ったらYES、ここが一丁目一番目地的な契約です。それ以外にもいろいろな約束があるのですが、大事だというレベル感や深刻さがだいぶ違うのだろうと思います。心理的契約という枠は同じでもそこがアメリカと違うところだと思っています。

TM:そういう意味では、日本型雇用もだいぶさまがわりしてきました。

服部:そうですね。今は若い人たちの意識、例えば私の教え子たちのなかでもこれまで一丁目一番地であった長期雇用がそれほど重要でなくなってきている。そのかわり働く側がこれまで差し出してきYES、YESも差し出すメリットがなくなっている。深いレベルでの交換という意識が希薄になってきていると感じます。

そうすると何が起こるかというと、これまで長期雇用を守るからOKとしてきた細かい約束。例えば、育成、面白い仕事、上司の配慮やサポートなど、大事だけれどもこれまではなんとなく看過されてきた部分の心理的契約の不履行が、意識の表面に上がってきた。これが、ここ何年かの大きな変動だと思います。

TM:変動のきっかけは会社側の都合によるものでしょうか? もしくは若者の変化でしょうか?

服部:両方だと思います。世代が変わると価値観が変わるというマクロ的なものもあります。また、社員の側も成果主義や評価の仕組みなどを見ていれば長期雇用が自明のものでなくなっていることや会社が求めていることを理解してきます。もちろん1~2年ではなく20~30年スパンで変わってきたのだと思いますが、それが今の若い人たちには強い印象としてあるのではないかと思います。 


人事にはサポーティブな、サーバント的な役割が求められる

TM:そうすると従業員に対する人事施策に求められるものも変わってくると思うんですね。具体的にはどのような変化があると思いますか。

服部:これまでは、長期雇用という大事なところを守っていれば、それほど個人差を考慮しなくてもある程度対応できました。今はそうではなくて、それぞれの社員の要求するものや成長のスピードも変わってきたりしているので、もう少し個別的な配慮や人事の意志決定が必要になると思います。そういうことが実現したというよりも、働く側が求めるようになってきたというインプリケーションがあります。

TM:会社の立ち位置としてはどうあるべきでしょうか?

服部:人事や会社の役割というのは、ある意味で最大公約数的なセーフティネットとしての仕組みを作ることだと思います。個別配慮については現場とともにサポートする立場に回る。ティール組織のように個人が自分で自分を管理し、それを会社がサポートしていくスタイルではないかと思います。

とはいえ人事がキャリアプランを一人ひとりに聞いていくのは無理ですから、キャリアプランを立てる機会を与えたりキャリアプランを立てるときの枠組みを提供したりする。ある種の支援というかサポーティブなサーバントのような役割が人事に求められていくのではないでしょうか。

例えば、若い社員のころから自己管理できる状況を提供する。自分のキャリアをマネジメントするテクニカルなスキルやツールを早期に教えてあげることが一つだと思います。

TM:国のほうもキャリアコンサルタントを置くことやキャリア研修などを推奨していますが、そういうことも有効でしょうか?

服部:もちろんです。ある意味で全員が自分に対してのキャリアコンサルティングができるようになる。自分は何を学習すべきかをキャリアの目標からブレイクダウンして考えられるのは、大きな意味があると思います。今の大学生は結構大学時代からマルチタスクです。部活やサークル活動をしながら、最近はゼミも厳しいので勉強もしています。さらにインターンシップがあり、なかには起業している学生もいます。

このようなマルチタスクは彼らもできるのですが、お金をもらって具体的な仕事をすることとは違います。仕事や自社のコンテクストのなかでできることを教えていくことが大事だと思います。教育に時間や費用はかかっても、社員がセルフマネジメントできるようになると結局マネジメントコストは下がります。企業にとってもメリットがあるのではないでしょうか。

TM:キャリアに関する重要性は誰もが認識していますが、自助であるべきか公助であるべきかについてはいろいろな議論があります。先生としては企業も一定の役割を果たすべきだとお考えですか?

服部:一定のですね。基本的に私は、大学生から社会人3年目くらいにかけての教育は、社会の責任だと思います。ただ、社会のなかには企業も入っているという意味です。もちろん大学もするべきことがたくさんあると思っています。 


途中で前提が崩れたミドル・シニアをどうサポートするか?

TM:一方でミドル・シニアの方々は当初の心理的契約が途中で時代が変わってしまったために前提が崩れてきたわけですが、会社はどのようにフォローというか対応すべきでしょうか?

服部:難しいですね。若い人たちは最初からこういう状態でスタートしていますし適応力もある。ベテランのほうが、転換が難しいのは間違いありません。心理学的には若い人より少し丁寧な転換や意識の変化をさせてあげないとなかなか厳しいでしょう。基本的に上位下達で働いていた人にいきなり明日から意思決定しろというのは難しい。だから、若い人よりミドル・シニア向けにサポートを手厚くするべきだと思います。

TM:どのようなサポートをすればよいでしょうか?

服部:ここは私もまだ完全な答えはないのですが、一つは自分で学習する機会の提供ですね。2013~2014年くらいに東京のビジネスパーソンに対して自己学習、自己研鑽についての調査を行ったことがあるのですが、月に1冊も本を読んでいない人がほとんどでした。もちろん読んでいる人はすごく読んでいますが、学んでいない人が非常に多い。多分、怠惰というよりは時間がないこともあると思います。

まずは、学習してインプットしていくことが大事です。インプットすれば思考が進みもっと難しいところにインプットが進むサイクルに入っていきます。そういうインフラや場を提供したり、そういう場のハードルを下げてあげたりすることだと思います。

TM:学習を促すには、どういった方法があるでしょうか?

服部:矛盾するようですが、学習とは奨励されるものではあっても強制されるものではありません。根本的な解決かどうかはわかりませんが、私がいつも言っているのは、最初の1回目はある意味強引さが必要で誰かが無理やり行こうよと誘う、あるいは会社が1回はフォーマルに実施する。そこで本人が何か意味があると思えば2回目のハードルは一気に下がります。そういう側面も必要かもしれません。

TM:スモールステップが大事なのですね。企業にとってそれをするメリットは何がありますか。

服部:企業単位で行うのであれば、職種横断的なつながりができてくることが一つです。少し前に「採用の革新」というテーマで調査をしたのですが、採用担当者のなかで採用を比較的革新できている人たちは社内の研修や勉強会を通じて現場の人とつながっていたり、違う部署の人と知り合いで、そういうネットワークを通じて新しいアイデアを得ていました。つまり、人事部門だけでアイデアが閉じていなかったのです。

そのような派生的な人脈をインフォーマルに創ってあげることは企業にもメリットがあると思います。もう一つは社員が自ら学んでいく土壌をつくり、自分で自分をマネジメントとしていく意識を植えつけることができます。厳しいことを言うようですが、環境が大きく変わっているときにはある程度適応することも必要です。

自分はどのように転換しなければいけないのか、自分のキャリアの強みはどこにあるかを、昔は考えなくてよかったかもしれませんが、今は考えなければいけないのが現実です。会社側が少なくとも考える時間や枠組みは与えましょうというのが私の意見です。


人材が流動化する時代の採用において重要なことは何か?


TM:キャリア研修を若手社員に行うと人材が流出してしまうと危惧する人事の方もおられると思います。

服部:基本的にこれからは、人が流れていくのは避けられない時代です。心理的契約のインプリケーションでいうと昔の長期雇用はほとんどが無限定正社員で、ある意味30~40年の契約だったんですね。今はそうではなくて直近の2~3年、4~5年、長くても6~7年のスパンで確認しあっていく作業になってきている。

大事なのは近未来についてはきちんと約束する。それをつなげていった結果として長期雇用に発展するかもしれないし10年でさようならということになるかもしれませんが、契約を考えるスパンを数年の近い未来に設定する発想が徹底的に大事になってきます。

TM:数年とは具体的には何年ぐらいあるいは何歳くらいまででしょうか?

服部:私が考えているのは一つの仕事に一人前になって最後まで回していけるというスパンなので総合商社なら10年でしょうし、ベンチャー企業だったら1~2年とスパンが多少違うと思います。例えば、採用担当者は3~5年で習熟すると言われているので、大体このくらいが平均的なスパンではないかと思います。

TM:今の学生でも終身雇用に対する憧れや希望を持っていらっしゃる方がいます。企業側だけが少し短いスパンでと考えているとギャップが生じるような気がします。

服部:それは、個人と企業が就職のときにそれぞれ選択しなくてはいけないと思います。長期雇用を保障してもらいたい。でも給与も高くしてほしいし、育成もしてほしいというように、何でもしてほしいことを求められた時代はもう完全に終わっています。

長期雇用を求めていくのであれば、いろいろなことを放棄してもらうことが必要になる。あるいは長期雇用だけれども徹底的に実力は求めていくし、実力が出せなければいづらくなることを企業がちゃんとバーターとして突き付けていく。逆に長期雇用は保障されないけど単年度や数年スパンできちんと契約して、給与は年俸制で高く払っていく。この2つを入る段階で選択しなければいけないと思います。

企業はどちらの働き方を提供できる会社なのかをしっかりと提示する必要があります。もちろんAかBかという2つではないでしょうけど、少なくとも今は企業のスタンスが分かりづらくなっています。会社自体のメッセージが揺れているので、個人もつかめないでいる現状があると思います。

TM:心理的契約について企業と個人お互いが思っていることは同じでしょうか?

服部:ずれる場合ももちろんあります。個人の側がモノづくりをしている日本企業だから終身雇用を守るに違いないと思い込んでいても、企業は実力主義に切り換えようと考えている場合がある。だからこそ採用が非常に重要になってきます。募集のときから、どういう働き方を提示できるのか、どういう働き方を提示できないのかを明確にしていくということが大事なのです。

TM:ありがとうございました。次号では服部先生にスター社員に関してのお話をおうかがいします。

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