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『最長片道切符の旅』を旅する day8 普通列車に乗るには大人の事情がある

秋田から羽越本線で日本海沿いに南下、新潟県の坂町から大きく曲がって山形県に入り今度は米坂線で東進して米沢まで戻るという、最長片道切符ならではの遠回りルート。それを全て「普通列車」で回ります。先生はその先、山形横手まで進みますが、私ははここ米沢で終わり。北海道から始まり10日に及んだ「片道旅行」第一回目はここで終了です。やれやれ。

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【8日目】秋田ー鶴岡ー村上ー坂町ー米坂 9月26日

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秋田 0551ー0745 酒田 0752ー0823 鶴岡 0945ー1127 村上 1311ー1326 坂町 1333ー1544 米沢 

この区間、秋田ー村上ー米沢は特急を使えば6時間余り。新幹線で秋田ー新庄ー米沢なら4時間半ほど。そこを始発に乗って10時間も掛けて普通列車で行くのには大人の事情がある。私は「最長片道切符の旅」もしているのだけれども、「JR私鉄乗りつぶし」いわゆる「全線完乗」というのも併行してやっているのだ(というか、完乗の方が歴史は長い)。で、この区間、羽越本線、米坂線はまだ乗っていないのだ。

乗りつぶし」には決まりはない。が、個人的にルールはある。それは

(1)普通列車(各駅に停車)、(2)始発から日没まで 

というルールである。普通列車だから、特急、快速もダメ。新幹線も各駅の「こだま」である。初めての路線に乗ったら窓の外の景色、駅、信号、標識などは全て見ておきたい。出来れば靴を脱いでシートに乗って窓に手をついてずっと外を眺めていたいぐらいなのだ。なので、日がある内の乗車しか認められない。寝台列車、夜行列車、夜暗くなってからの乗車もダメ。そのため「日没終了」で未乗の二駅分だけ後で(泣く泣く)乗りに行く事もあるのだ。

だから当然この「羽越本線」と「米坂線」は日中の普通列車でなくてはならない。しかも今日はその日のうちに東京に帰らなければいけないので、逆算すると秋田発の始発に乗る必要があるのだった。で、宿は駅前のビジネスホテルになったわけだ。という諸々の大人の事情があって、私は秋田発0551、酒田行き始発に乗って発車を待っているのである。

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秋田駅始発酒田行きはすでにホームに停車している。朝帰りの女の子二人、朝練に行く女子高校生が眠そうに乗っている。車両はクハ700系、ロングシートだが、ま、いいか。ロングシートは弁当が食べられないのがいやだけど、車両の一番端っこに座って斜めに見通すと左右の景色が大きくパノラマのように見られて、これはこれでいいのだ。

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羽後本荘(うごほんじょう)で客が入れ替わる。実はここ羽後本荘で降りたい。ここから「由利高原鉄道」23kmが出ているのだ。ここを押さえておかないとまたここまで来る羽目になる。なるのだが、今回は先の予定が詰まっているので致し方ない。そのまま乗車する。(結局、この路線は4年後の正月、ここまで乗りに来たのだった。やれやれ)

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象潟(きさかた)ではねむの花が満開だった。庄内米が色づき、右窓は日本海が続く。

わずかな入り江があれば家がかたまっている。このあたりの集落は瓦屋根ばかりで、新しい家でも派手なトタン葺きはほとんどない。

入り江の家並みは今でも立派な黒光りする瓦屋根だった。列車は秋田県から山形県に入る。今日はこの先、一度新潟県に抜けてまた山形県に戻るのである。

列車は酒田までの高校生で満席になった。日曜日なのになぜ?部活か。 0745 酒田着。ここで7分の乗り換え時間があるので駅弁を買う。本日は「わっぱ舞茸弁当」だ。

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酒田 0752 発、鶴岡で途中下車する。

8時35分着の鶴岡駅で私は下車した。このまま特急でつっ走っても、坂町からの米沢線の列車は12時42分までなく、鶴岡発10時16分発の鈍行で行っても間に合うからである。

私も全く同じ理由で鶴岡で下車した。しかし、40年経ってもダイヤがほとんど同じというのもすごいな。米沢への米坂線は午前中7時台、9時台に二本だけ。その後は13時台までないのだ。この後の列車は坂町1712 で米沢着 1915、すっかり夜になるので「乗りつぶし」ルール第2条によりこの列車には乗れない、ということなのだ。

先生はタクシーを雇って致道博物館へ行ったのだが、私は駅前で1日500円のレンタサイクルを借りた。のんびり町を走る。この町は店の佇まいが正しく昭和の店である。豆腐店、鮮魚店、青果店、製畳店、鶏卵店、精肉店、蝋燭店、二輪店、書籍店。なつかしい店がそのままの形で残っている。

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子どもたちが廃品回収をやっている。まだやってるんだな。ここは住所番号整理を放棄、拒否した昔ながらの町だ。昔風な住所表記がよい。

鶴岡SL2

駅前に戻ると小さい子どもたちが沢山集まっている。大人たちもそわそわしている。聞いてみると三十年振りにSL出羽街道号」が復活、酒田ー村上間を走るという。SLは人びとを浮き立たせる力を持っている。出来ればこの列車に乗りたい、乗りたいが後の接続がうまくない。残念ながら諦めて混んでいる駅を後にした。(写真は「い~山形どっとこむ」からお借りしました)

鶴岡 0945ー1127 村上。新潟県に入る。ここでも時間があるので、海岸まで行ってみる。お幕場という赤松並木が美しい所だ。タクシー運転手「昔子どもの頃はここらを飛び回ってたもんだが、久しぶりに来てみたら昔の道がないんだワ。こっからすぐそこが浜なンだけどナ」

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村上駅のホームはこの後やって来るSLを見るための入場券客でごった返している。SLは1319着だが、私は1311発の新潟行きに乗らねばならぬ。これを逃すと1日数本しかない米坂線を逃すことになる。村上 1311ー1326 坂町、坂町発米坂線 米沢行き 1333 発。

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ここからはディーゼル区間になる。車両はキハ52二輌。珍しく車掌が乗っている。先生が乗ったときは台風で強風雨であった。

雨がかなり降っているのに、それでもまだ足りないかのように深い谷間から濃い雲が噴煙のように湧き上がっている。滴りをたらす紅葉が美しい。
にわかに風雨が強くなった。狭い谷に押し込まれて風速が早まるのか、一風吹くと茶や黄色の葉が一斉に枝から振り払われ、音を立てて水滴とともに窓にぶつかってくる。「強風雨警報」の標板を掛けた玉川口を過ぎると鉄橋を渡る。

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幸い今日は天気がいい。「強風雨警報」の標板を掛けた玉川口は廃駅になっていて、すっかり草に覆われていた。鉄橋の下には雪崩で亡くなった犠牲者を追悼する「殉難碑」がある。

谷が開けて小さな盆地に入ると風は弱まり、13時28分、小国(おぐに)に着いた。ここはすでに山形県である。

小国には工場がある。東芝セラミックス(現クアーズテック)とある。豊富で綺麗な水がシリコーンウェハース産業を呼び込んだのだろう。先生の時代にはまだ無かった。シリコンを使うパソコンそのものがまだ普及していなかったのだ。パソコンもケータイもスマホもなかったんだなあ。

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1544 米沢着。駅で好物の「牛肉どまんなか」を買い、新幹線の人となる。「牛肉どまんなか」の「どまんなか」って山形産のお米の名称だったんだな。知らなかったな。画像12

10日間の第一回目の旅はここで終わり。東京駅着 1812。次回は一ヶ月後、米沢から再出発する。


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