
信濃川大河津分水
土木学会国際センター情報グループです。
当グループでは、2019年11月18日の土木の日から、twitterアカウント(@JSCEInter)で、2022年に通水100年を迎える近代土木遺産「大河津分水(おおこうづぶんすい)」の秘蔵資料を毎週月曜日に発信しています。
このページではこれまで発信したツイートを一覧できるようまとめました。毎週月曜にツイートした投稿を追加してこちらの記事も更新します。一気読みしたい方はこちらからご覧下さい。
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はじめに
土木学会国際センターでは、世界に向けて「旅に出たくなる日本の土木遺産」のSNS配信(日本語版・英語版)を本日11月18日の土木の日から開始します。
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) November 18, 2019
当企画の第一弾として、2022年8月に通水100周年を迎える日本の誇る近代土木遺産「大河津分水」の秘蔵資料を、国土交通省北陸地方整備局信濃川河川事務所、信濃川大河津資料館の皆様の全面協力のもと、全100回にわたって配信していきます。
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) November 18, 2019
1~10
【大河津①】信濃川大河津分水路は、1922年に通水を開始し、2022年に100周年を迎えます。大河津分水路は、信濃川の洪水対策として建設されたもので、この治水事業により越後平野は日本有数の稲作地帯として発展し、政府指定都市新潟市が誕生しました。 #ドボク旅 pic.twitter.com/WDiKS8ktFy
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) November 18, 2019
【大河津②】主に大河津分水路に流す水量を調整する可動堰。円弧状に開閉するラジアルゲートとしては日本で最も大きい堰です。ゲート1枚が約400トンと重く、開閉に用いる油圧シリンダーはオランダで製作された特注品です。 #ドボク旅 pic.twitter.com/aKztbxcJhv
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) November 25, 2019
【大河津③】1907年の着工に向けて計画された大河津分水。右下から右上に信濃川が描かれ、そこから左手の方に曲線的に薄い赤色で示されてる線が大河津分水路の計画です。なお、右手の信濃川河道内を横切るように薄赤色の線があり、これは水量調節の堰の位置を示したものです。 #ドボク旅 pic.twitter.com/e9t62DYa3M
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) December 2, 2019
【大河津④】大河津分水の大切さや防災の学びの場として、大河津分水の分派点に建つのが無料で見学できる信濃川大河津資料館です。 #ドボク旅 pic.twitter.com/DQ8pe3gnKD
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) December 9, 2019
【大河津⑤】1870年に行われた大河津分水第1期工事の資料。赤い線が大河津分水路の掘削予定地を示しています。村を通過したり、川を横切ったりすることから、当初から難工事が予想されていました。手掘りで進められたこの工事は、完成させることができずに途中で中止されました。 #ドボク旅 pic.twitter.com/doj90P08Xl
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) December 16, 2019
【大河津⑥】12月24日は、宮本武之輔の命日です。彼は1927年から行われた補修工事の現場責任者で、自在堰陥没という事故の後を受け継ぎ、現場責任者として可動堰と6基の床留・床固の建設の陣頭指揮を執りました。晩年宮本武之輔は勲三等瑞宝章を授与されており、賞状としてもその記録が遺っています。 pic.twitter.com/To48CPgEOs
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) December 22, 2019
【大河津⑦】勲三等瑞宝章授与の際には賞状と一緒にメダルも授与されました。賞状の下部に記載されたデザインのメダルです。なお、1月5日は、宮本武之輔の生誕の日です。生まれ故郷の愛媛県松山市には宮本武之輔の功績を讃える銅像が建立されています。#ドボク旅 @JSCEinfo @JSCE_Library pic.twitter.com/zRabcQnL1P
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) December 29, 2019
【大河津⑧】毎年11月から3月にかけて100羽ほどの白鳥が大河津分水に訪れます。早朝になると周辺の田んぼへと飛び立つ姿が見られ、夕方になると大河津分水方面に帰ってくる白鳥の鳴き声を聞くことができます。天然記念物のオジロワシが姿を見せることもあり、野鳥観察にぴったりの場所です。#ドボク旅 pic.twitter.com/zsTUIrd9i9
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) January 6, 2020
【大河津⑨】大河津分水が掘削される前のようす。絵の中央には「須走邨(すばしりむら)」、左下には「海岸」と記されており、この場所が大河津分水の河口です。しかし、絵の全面に小高い山が描かれており、この山地部の掘削が大河津分水を建設する上で大きな障害になりました。#ドボク旅 pic.twitter.com/Q7t7W4PIqk
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) January 13, 2020
【大河津⑩】 1970年から開始された第1期大河津分水工事。右手が信濃川、左手が日本海で、人力で掘削された一筋の川の流れが中央に確認できます。また、両岸にたくさんの小段や坂道が設けられ、米粒のようにたくさんの人びとが従事している様子が描かれています。#ドボク旅 #大河津分水 pic.twitter.com/7qFKffzuQx
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) January 20, 2020
11~20
【大河津11】本間屋数右衛門の墓
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) January 27, 2020
本間屋数右衛門(ほんまやかずえもん)は1750年頃に大河津分水を江戸幕府にお願いした人物です。大河津分水の建設を江戸幕府や明治政府に訴えた人物は150人を超え、その中で一番最初に請願したと考えられています。故郷の長岡市寺泊には墓が残されています#ドボク旅 pic.twitter.com/5vLeiuVZxt
【大河津12】富樫万吉
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) February 3, 2020
富樫万吉(とがしまんきち)は1870年頃に大河津分水を明治政府にお願いした人物です。信濃川の水害に悩まされた新発田藩の家老であり、他の大河津分水請願者のリーダー的な存在でした。この絵は富樫家に代々伝えられていた富樫万吉を描いた資料です。#ドボク旅 #大河津分水 pic.twitter.com/PKvkhgLu1P
【大河津12】昔の新潟の田んぼ
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) February 10, 2020
写真は大河津分水ができる前の越後平野の米づくりを再現した模型で、信濃川大河津資料館に展示されています。稲刈りは腰まで水に浸かりながら行われていた様子がわかります。水はけの悪い田では多くの米が収穫できず、また味もおいしくありませんでした。#ドボク旅 pic.twitter.com/sIspsdvdVJ
【大河津13】田んぼで使われた舟
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) February 17, 2020
大河津分水ができる前の越後平野の田は泥沼の田んぼで、腰まで水に浸かるような深い田んぼでした。そのため、田んぼに浮かべる舟が利用されました。この写真は田んぼで利用された舟で、今でも越後平野の各地に残っています。#ドボク旅 #大河津分水 pic.twitter.com/Qm4MufmQ4P
【大河津15】大河津分水路の河口を拡げる工事が2015年から始まりました。約10kmの大河津分水路は、上流の川幅約720mに対して、河口の川幅は約180mとせまくなっています。そこで、河口の川幅を280mにまで拡げる工事を行っています。#ドボク旅 #大河津分水 pic.twitter.com/mke0opC38C
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) February 26, 2020
【大河津16】大河津分水路の河口の川幅を拡げる工事が現在行われています。川幅を拡げることによる新しい野積橋の建設も同時に進められています。現在はニューマチックケーソン工法による橋脚を建設する工事が本格的に行われています。新しい野積橋には遊歩道が設置される予定です。#ドボク旅 pic.twitter.com/KlBafmTiDO
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) March 2, 2020
【大河津17】信濃川大河津資料館には青山士を紹介するコーナーがあります。1931年に竣工した大河津可動堰を建設する工事の総責任者でした。内務省を退職した後もたびたび大河津分水を訪れました。1963年3月21日に亡くなる直前にも大河津分水を訪れ、従業員たちを激励したと言われています。#ドボク旅 pic.twitter.com/KdXlgnDOg5
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) March 9, 2020
【大河津18】1922年に竣工した洗堰は主に信濃川に流す水量をコントロールする施設です。2000年に2代目の洗堰に役割を引き継ぎました。2002年2月14日に登録有形文化財として登録され、現在は100年前の土木技術に触れることができるよう遊歩道がつくられています。#ドボク旅 #大河津分水 pic.twitter.com/FdAgbnhYWF
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) March 16, 2020
【大河津19】大河津分水の堰には魚が通る専用の道である「魚道」が多くあります。その魚道を横から窓越しに見ることができる部屋が魚道観察室です。魚道観察室は大河津洗堰に設置されています。4月1日から無料開放されます。運が良ければフナなどの大群が泳ぐ姿を見ることもできます。#ドボク旅 pic.twitter.com/SvjMmWZyb7
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) March 23, 2020
【大河津20】大河津分水の桜は、大河津分水の偉業を後世に伝えることを目的に植樹されました。植樹が始まったのは大河津分水の建設工事が始まった1910(明治43)年頃です。大河津分水には、桜の植樹を行った人々をたたえて「桜之碑」が建てられました。今も見事に咲き誇る桜をぜひご覧になってください pic.twitter.com/BxGmo8NFqr
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) March 30, 2020
21~30
【大河津21】この写真は1930(昭和5年)に撮影されたものです。左側は大河津分水路の堤防で、右側に桜が並んでいます。堤防の上には工事用の機関車やトロッコが見えています。今でも同じアングルで桜並木を眺めることができます。#ドボク旅 #大河津分水 pic.twitter.com/iRBye9vFUK
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) April 6, 2020
【大河津22】令和2年3月に撮影した大河津分水路河口部の様子です。川幅を拡げる工事が進められています。写真中央には現在の野積橋(のづみばし)と建設中の新しい野積橋が見えます。新しい野積橋は橋脚の建設工事が進められています。#ドボク旅 #大河津分水 pic.twitter.com/5jhdb43Tob
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) April 13, 2020
【大河津23】大河津分水のおかげで信濃川の流量は安定しました。そこで整備されたのが「やすらぎ堤」と呼ばれる緩い傾斜の堤防です。やすらぎ堤は新潟市内にあり遊歩道や休憩スペースがあります。休日には多くの人たちでにぎわいます。#ドボク旅 #大河津分水 pic.twitter.com/q5REa9u9Sd
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) April 20, 2020
【大河津24】5月頃、越後平野では田植えが行われるため、見渡すかぎりに水がためられた田の光景を目にすることができます。写真は弥彦山頂から眺めた越後平野と大河津分水です。弥彦山は東京スカイツリーと同じ643mの高さがあり、山頂にはロープウェイや車で行くことができます#ドボク旅 #大河津分水 pic.twitter.com/BdkYDG0May
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) April 27, 2020
【大河津25】現在の洗堰は2代目です。2000(平成12)年5月29日に通水しました。写真は通水する前年に行われた現場見学会の様子です。初代洗堰と現在の洗堰の両方は、間近でご覧いただくことができますので、ぜひお越しになってください。#ドボク旅 #大河津分水 pic.twitter.com/ziDaoWxwAe
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) May 4, 2020
【大河津26】150年前の1870(明治3)年5月17日に大河津分水の掘削工事がスタートしました。この工事はやがて中止されてしまい実現しませんでした。工事機械はなく、人力で掘削しました。当時の資料にはアリのように多くの人々が工事している姿が描かれています。#ドボク旅 #大河津分水 pic.twitter.com/RKda6BSCvp
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) May 11, 2020
【大河津27】あきらめなかった田沢実入
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) May 18, 2020
150年前の工事が中止された後も、あきらめずに大河津分水の建設を明治政府に訴え続けた人物の一人が田沢実入(みのり)です。生まれ故郷の新潟市には墓標が建てられており、その正面は大河津分水の方向を向いています。#ドボク旅 #大河津分水 pic.twitter.com/wUr8eDBiow
【大河津28】朝日山展望台
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) June 2, 2020
信濃川と大河津分水路の分派点を眺めることができる場所が国上山にある朝日山展望台です。標高313mの国上山は、江戸時代に、禅僧の良寛が晩年を過ごした場所でもあります。良寛はこの場所から水害で浸水する田畑を眺め、悲しんでいたと言われています。#ドボク旅 pic.twitter.com/p1XBiMm3ov
【大河津29】魚の市場通りで知られる新潟県長岡市寺泊地域に、大河津分水の実現を願った星清五郎の墓があります。星は、大河津分水の実現により水害が減少し、新田を開墾できると考えました。墓の近くの高台からは、眼前に広がる農地と、遠浅の野積海水浴場を見渡すことができます。#ドボク旅 pic.twitter.com/DUNqCDStNp
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) June 8, 2020
【大河津30】
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) June 15, 2020
江戸時代の後期には測量器具を使って地形を計測するようになりました。方角や角度を求めるための道具で、大河津分水の地形測量でも使われたと言われています。信濃川大河津資料館には当時の測量器具が保管されています。#ドボク旅 #大河津分水 pic.twitter.com/7fLHjaEoDc
31~40
【大河津31】信濃川沿いの新潟市南区赤渋(あかしぶ)は、昔何度も堤防が決壊した場所で、現在は河川防災ステーションとなっており、水防資材や排水ポンプ車を格納する建物や、災害時に物資を運搬する船の停泊場が整備されています。普段は河川公園として遊べるスペースになっています。#ドボク旅 pic.twitter.com/4GGalitACj
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) June 22, 2020
【大河津32】大河津分水の請願活動のおかげで、1870年に大河津分水掘削工事が始まりました。この絵は、工事の起工式の様子を描いたものです。赤と白の旗が描かれている場所には神社が建てられ、そこに向かって1500人もの大勢の人々が参列しました。#ドボク旅 #大河津分水 pic.twitter.com/GiMEwU8oXg
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) June 29, 2020
【大河津33】彌彦神社の十柱(とはしら)神社
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) July 6, 2020
1870年に大河津分水工事の安全を祈った神社は、現在、彌彦神社境内に祀られています。十柱(とはしら)神社と呼ばれ、重要文化財になっています。彌彦神社参拝の際は、ぜひ訪ねてみてください。#ドボク旅 #大河津分水 pic.twitter.com/McwCfoATFa
【大河津34】石積みの堰
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) July 13, 2020
この資料は、1870年に始まった大河津分水工事の図面です。信濃川から大河津分水路へ分派する箇所が描かれています。資料中央の分派地点には、石を積んだ堰が描かれいます。石積みの堰は構造が弱く、この堰は採用されませんでした。#ドボク旅 #大河津分水 pic.twitter.com/AjDYF5wpHt
【大河津35】人力作業で使われた道具
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) July 20, 2020
これは、大河津分水を人力で掘削するときに使われた道具です。1870年に始まった工事は、機械がなかったため、ホソ(左)で掘り、モッコ(右)と呼ばれる籠に入れて担いで土砂を運搬しました。人力作業では工事が進まずに苦労しました。#ドボク旅 #大河津分水 pic.twitter.com/1TwY9aTYpT
【大河津36】中止された工事
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) July 27, 2020
明治時代になってすぐの1870年に始まった大河津分水の工事は、残念ながら途中で中止されました。大河津分水の完成により信濃川下流の流量が減ることから、信濃川河口の新潟港は堆砂が多くなり利用しにくくなることが大きな理由でした。#ドボク旅 #大河津分水 #信濃川 pic.twitter.com/G6fcyMkDpd
【大河津37】日本を代表する米どころとして有名な新潟県。しかし、大河津分水ができる前は水害が多く、稲作には適さない地でした。かつて写真の場所に信濃川が流れて、大河津分水の通水と、その後の地域の人々の努力によって、おいしい米がとれる農地へと生まれ変わりました。#ドボク旅 #大河津分水 pic.twitter.com/mgZpRj4PRP
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) August 3, 2020
[大河津38] 新のビル街にある萬代橋の親柱は、大河津分水が通水する前の初代萬代橋の右岸潟市橋詰を示すモニュメントです。今の萬代橋の長さは306mですが、明治時代に建設された初代の橋は782mの長さがあり、川幅が広い信濃川の水害に悩まされていました。初代萬代橋の設計者は古市公威です #ドボク旅 pic.twitter.com/c7Hxlrvrsc
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) August 10, 2020
【大河津39】大河津分水の実現のために100人を超える人々が明治政府に工事の着工を訴えました。請願者の中には「長善館」の卒業生が多くいました。長善館は現在の新潟県燕市にあった私塾で、故郷の大切さを教えました。今は史料館となっており当時の資料を閲覧することができます。#ドボク旅 #長善館 pic.twitter.com/JKWvgHH8Yq
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) August 17, 2020
【大河津40】新潟県議会議員だった山際七司(やまぎわ しちじ)は、「新潟県民には大河津分水を求める権利がある」と演説して、大河津分水の必要性を強く訴えました。その場面を新潟県立歴史博物館にて再現しています。大河津分水の展示とともにご覧になってください。#ドボク旅 #大河津分水 pic.twitter.com/uRtzmI3xcA
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) August 24, 2020
41~50
【大河津41】大河津分水の請願活動のリーダーだった田沢実入(たざわ みのり)は、大河津分水の必要性を論理的に説明するために、昔の請願資料や水害記録を集めました。その資料をもとに制作された信濃川の治水の歴史書が信濃川大河津資料館に残されています。1924年に出版されたものです。#ドボク旅 pic.twitter.com/tTvGDwqHJ8
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) August 31, 2020
【大河津42】信濃川の氾濫によって4度にわたり移転した村があります。その村は現在の新潟県加茂市五反田です。信濃川が大きくカーブする場所に位置しており、堤防が切れやすい場所でした。この苦労を記した石碑が建立されています。https://t.co/RyI9r9idCh #ドボク旅 #大河津分水 pic.twitter.com/P1cFhVwxN6
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) September 7, 2020
【大河津43】現在の新潟市。奥から手前に流れる川が信濃川です。大河津分水ができてから水害は大きく減り、新潟市は急速に発展しました。なお、この写真は“ときメッセ”の展望室から撮影したものです。360度を見渡せる良い場所なので、ぜひ訪ねてみてください。https://t.co/jNUH7tljiN#ドボク旅 pic.twitter.com/OEDroHiQPC
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) September 14, 2020
【大河津44】1896年7月22日に発生した大水害では、信濃川や阿賀野川などが800箇所以上にわたって決壊しました。中でも大きな堤防決壊地が現在の燕市横田でした。そこで、この水害は「横田切れ」と呼ばれています。堤防決壊地には石碑が建立されています。https://t.co/eaiY2MWPU2#ドボク旅 pic.twitter.com/q3DkMTmkcz
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) September 21, 2020
【大河津45】大水害「横田切れ」では、以前紹介した展望台ときメッセから見える平野部のほとんどが浸水しました。新潟市西区にあるお寺には浸水跡が残っており、地面から2.4mの浸水の深さを示す標柱も建てられています。ぜひ訪ね自分の身長と比べてみてください。https://t.co/kpQRarSDuK#ドボク旅 pic.twitter.com/O63Suay5ey
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) September 28, 2020
(46~49まで番号が飛んでます)
【大河津50】令和元年10月13日、大河津分水路は通水以来最大の洪水を流し、新潟を水害から守りました。当時の緊迫した状況や大洪水を流す大河津分水路を紹介する動画です。#ドボク旅 #大河津分水https://t.co/ph7dXVM1IZ pic.twitter.com/S3AKi5bLqC
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) November 30, 2020
51~60
【大河津51】動画「令和の大改修」を紹介します
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) December 7, 2020
現在進めている大河津分水路改修事業を紹介する動画です。工事は日々進んでいますので、ぜひ実際の工事現場もご見学ください。#ドボク旅 #大河津分水https://t.co/tRZti3eOHd pic.twitter.com/gxLWmkOjhk
【大河津52】大河津分水路改修事業を紹介する「にとこみえ~る館」や「信濃川大河津資料館」など、大河津分水の周辺施設を巡るスタンプラリーを開催しています。6箇所のスタンプをすべて集めてにとこみえ~る館にお持ちいただくと記念品の「通水石」を差し上げます。#ドボク旅https://t.co/5wMa3hzGdl pic.twitter.com/OBbklmmttR
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) December 14, 2020
【大河津53】2022年に大河津分水は通水100周年を迎えます。これを契機に大河津分水の大切さを多くの方々に知っていただくためのロゴマークを作成し、信濃川大河津資料館にてロゴマーク発表を疑似体験いただけます。#ドボク旅 #大河津分水
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) December 21, 2020
信濃川大河津資料館HP:https://t.co/pmb9FlE0jZ pic.twitter.com/o5Ru8FYNre
【大河津54】宮本武之輔の誕生日
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) January 4, 2021
大河津分水ゆかりの土木技術者の一人である宮本武之輔は、1892(明治25年)1月5日に生まれました。その宮本武之輔が書き続けた直筆の日記が信濃川大河津資料館に遺されています。#ドボク旅 #大河津分水
信濃川大河津資料館HP:https://t.co/pmb9FlE0jZ pic.twitter.com/OWuoPJ8lou
【大河津55】大河津分水は2022(令和4)年に通水100周年を迎えます。多くの皆さんからお祝いいただきたいという思いを込めてつくったロゴマークは、様々な場面、場所で利用をスタートしています。マークを利用された印刷物や事業等はHP等で紹介を予定していますので、ぜひご利用ください!#ドボク旅 pic.twitter.com/fHlrbNdoZN
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) January 11, 2021
【大河津56】100年前の大河津分水工事で活躍した人力で土を運ぶトロッコ。当時使われた本物のトロッコを信濃川大河津資料館に展示しています。その形が鍋に似ていることから付けられた名前は「鍋トロ」。車軸の部分に「大河津工場製」の文字がありますので、確認してみてください!#ドボク旅 pic.twitter.com/8O5CBnws4w
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) January 18, 2021
【大河津57】日本で初めて大型機械を使って山地を切り開いた100年前の大河津分水工事の様子を模型に再現しています。大型機械と働いていた人々を一緒に見ることで工事の規模がわかります。横から見ると、模型の奥に実物のトロッコ「鍋トロ」が見えてより立体的に体感することができます。#ドボク旅 pic.twitter.com/DLYsYVZ7f3
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) January 25, 2021
【大河津58】大河津分水の掘削で活躍したスチームナビー。イギリスから輸入した機械で、燃料は石炭でした。現在のパワーショベルのような動きをし、固い岩を砕きトロッコへ積み込みました。移動は鉄路を使用したため、掘削場所が変わるたびにレールが付け替えられました。#ドボク旅 #大河津分水 pic.twitter.com/oz152yweYP
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) February 1, 2021
【大河津59】ベルトコンベヤのようにシャベル部分を回転させながら斜面を切り崩し、土砂をトロッコに積み込んだエキスカベーター。ドイツから輸入し大河津分水で組み立てました。シャベルが連なるラダー部を回転させるチェーンの一部が、信濃川大河津資料館に保管されています。#ドボク旅 #大河津分水 pic.twitter.com/x8rpYnobDk
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) February 8, 2021
【大河津60】文化財になった洗堰
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) February 15, 2021
大正4(1915)年に撮影された建設中の洗堰。大正11(1922)年の通水から平成12(2000)年まで、信濃川に流す水量をコントロールし続けました。その功績を讃え後世に伝えるために、平成14(2002)年2月14日に登録有形文化財に登録されました。#ドボク旅 #大河津分水 pic.twitter.com/EpulVE1v6a
【大河津60】文化財になった洗堰
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) February 15, 2021
大正4(1915)年に撮影された建設中の洗堰。大正11(1922)年の通水から平成12(2000)年まで、信濃川に流す水量をコントロールし続けました。その功績を讃え後世に伝えるために、平成14(2002)年2月14日に登録有形文化財に登録されました。#ドボク旅 #大河津分水 pic.twitter.com/EpulVE1v6a
61~70
【大河津61】写真で見る100年前と今
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) February 22, 2021
100年前の大河津分水工事について、当時の写真と今の写真を比べながらシリーズで紹介します。第1回は大河津分水路の河口です。#ドボク旅 #大河津分水 pic.twitter.com/J9tnJxviOu
【大河津62】100年前の大河津分水工事について、当時の写真と今の写真を比べながらシリーズで紹介します。第2回は自在堰です。#ドボク旅 #大河津分水 pic.twitter.com/mgJCLelllS
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) March 2, 2021
【大河津63】写真で見る100年前と今
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) March 9, 2021
100年前の大河津分水工事について、当時の写真と今の写真を比べながらシリーズで紹介します。第2回は大河津分水路の堤防です。#ドボク旅 #大河津分水 pic.twitter.com/6XC5fQv22f
【大河津64】写真で見る100年前と今
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) March 15, 2021
100年前の大河津分水工事について、当時の写真と今の写真を比べながらシリーズで紹介します。第4回は平地部の掘削です。#ドボク旅 #大河津分水 pic.twitter.com/8gm5FaVQ3J
【大河津65】写真で見る100年前と今
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) March 22, 2021
100年前の大河津分水工事について、当時の写真と今の写真を比べながらシリーズで紹介します。第5回は山地部の掘削です。#ドボク旅 #大河津分水 pic.twitter.com/ikGNo4FUnp
【大河津66】信濃川大河津資料館4階からの眺望。約3kmにわたって堤防上に延びる桜は、100年前から地域の人々によって植えられ、今では日本さくら名所100選に選ばれています。
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) March 29, 2021
桜に託した大河津分水の偉業を承継する想いは若い人たちにも受け継がれ、今年咲き誇っています。#ドボク旅 #大河津分水 #桜 pic.twitter.com/uagpVwp8t4
【大河津67】通水から20年の大河津洗堰
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) May 10, 2021
信濃川に流す水量を主にコントロールしている洗堰。現在の洗堰は2代目で、2000(平成12)年5月29日に通水しました。遠くから眺めると白色に見えますが、近くで見ると桜色の御影石が貼られていることがわかります。#ドボク旅 #大河津分水 pic.twitter.com/4p5CzQPUDK
【大河津68】船を通す道「閘門」
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) May 19, 2021
洗堰には船を通すための閘門があります。洗堰では上下流の水位差が約4mあるため、運河の原理を利用し船が通行できるようになっています。#ドボク旅 #大河津分水 pic.twitter.com/kHlrk9l9eU
【大河津69】洗堰竣工を祝う石碑
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) May 25, 2021
この石碑は2000年に通水した洗堰を記念して建てられました。石碑に使われている石は洗堰に使用されている御影石と同じもので、全国桜名所100選に選ばれている大河津分水にちなみ桜色をしています。石碑の反対側には洗堰通水までの経緯が刻まれています。#ドボク旅 pic.twitter.com/yWJkUnjddN
【大河津70】1931(昭和6)年に通水した2代目の可動堰です。青山士と宮本武之輔のリーダーシップでつくられた堰です。2011(平成23)年に現在の3代目に役目を引き継ぎました。現在は、10門あったゲートのうち3門が残っています。夕暮れの旧可動堰は特に美しく見えます。#ドボク旅 #大河津分水 pic.twitter.com/Pq8OQ3gtrX
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) May 31, 2021
71~80
【大河津71】新信濃川と呼ばれた川
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) June 7, 2021
大河津分水路は、100年前は新信濃川と呼ばれていました。また、信濃川の本川は旧信濃川と呼ばれていました。1931(昭和6)年に建設された2代目の可動堰の管理橋には、「新信濃川」と記されたプレートが遺っています。#ドボク旅 #大河津分水 pic.twitter.com/lB5ICUFFA6
【大河津72】この模型は2代目の可動堰の模型で、信濃川大河津資料館に展示しています。堰の基礎部分が確認できるように作られています。初代の可動堰(自在堰)は完成から5年後に基礎の洗堀により陥没したことから、2代目の堰は強固な基礎を設けていることを示したかったと考えられています#ドボク旅 pic.twitter.com/s49nCU5zsH
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) June 14, 2021
【大河津73】土木技術者の石碑
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) June 21, 2021
2代目の可動堰の竣功を祝って、90年前の土木技術者達がお金を出し合って建てた石碑です。言葉の背景には大河津分水が描かれています。なお、同じような言葉が刻まれている石碑が荒川知水資料館にもあります。#ドボク旅 pic.twitter.com/SnlsGSCvqe
【大河津74】90年前に宮本武之輔が記した日記には、工事の安全を願って新潟の白山神社に参拝したとの話が登場します。白山神社は信濃川のほとりにあり、古くから水害から守ってくれる神様として信仰されてきました。なお、7月上旬には風鈴が飾られる夏まつりが開かれます。#ドボク旅 #白山神社 pic.twitter.com/01WF442Yzy
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) June 28, 2021
【大河津75】2004年7月13日、新潟県を集中豪雨が襲い、信濃川の支流の刈谷田川や五十嵐川の堤防が決壊し、8000棟を超える家屋が浸水、15名の尊い命が犠牲となりました。この水害を忘れないように建てられたモニュメントの台座には、水害の恐ろしさと川の恵みに対する感謝が刻まれています。 #ドボク旅 pic.twitter.com/6z3cBttFWo
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) July 15, 2021
【大河津76】大河津分水路河口部の両岸には数kmにわたって砂浜が広がり、多くの海水浴客でにぎわっています。このうち、寺泊海水浴場は100年前の大河津分水工事の時には既に名の知れた海水浴場で、工事を指揮した宮本武之輔も家族を連れて海水浴を楽しみました。 #ドボク旅 https://t.co/MzyFOqzwre pic.twitter.com/33OE0xGjJB
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) July 19, 2021
【大河津77】大河津分水路河口を拡げる工事が最盛期を迎えています。川底の洗掘を防ぐ第二床固の改築工事も同時に行われており、その現場を標高20mの高台から一望することができます。ただし、50段の階段を上り下りできることが条件です。体力に自信のある方はぜひご覧になってください。#ドボク旅 pic.twitter.com/SzXIGnAalk
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) July 26, 2021
【大河津78】2021年8月25日、大河津分水は通水から99年を迎えます。信濃川の氾濫を鎮め、新潟を米どころに変え、街の発展と人々の暮らしを支えてきた大河津分水。その工事の規模、難しさから「東洋一」と言われた工事を土木技術者達は見事に成し遂げてきました。https://t.co/TaF47hGk1q pic.twitter.com/2nW1JCerFj
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) August 23, 2021
【大河津79】
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) August 30, 2021
信濃川大河津資料館では約15000点の大河津分水の資料を保管しています。その中には地域の皆様から寄贈いただいた資料も多くあります。8月から10月まで、一部の寄贈資料を特別に公開しています。これから数回にわたり展示資料を紹介していきます。https://t.co/iotNspnn1r #ドボク旅 pic.twitter.com/ythMY9sgj9
【大河津80】寄贈資料① 起工式記念スタンプ
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) September 6, 2021
大河津分水工事の起工を記念してつくられたスタンプ。起工式の日付「42.7.5」が刻まれているほか、背景にはクワを模したようなデザインが施され、起工式でおなじみの「クワ入れ」を連想させます。#ドボク旅 pic.twitter.com/izu5oFbxS1
81~90
【大河津81】1909年7月5日に挙行された大河津分水工事起工式の写真です。会場は現在の長岡市寺泊、正装した関係者の背後の式典会場には提灯や万国旗が確認できます。会場には「分水門」が設置され、その柱はトロッコで構成されています。 pic.twitter.com/rHnvbakAOf
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) September 22, 2021
【大河津82】このカメラは大河津分水工事で実際に使用されたものです。100年前の工事写真は、人々の苦労や工事の工夫を知る上で貴重な手がかりを提供してくれます。なお、レンズは蛇腹で格納されるようになっており、レンズ部には「WOLLENSAK」の文字が記されています。#ドボク旅 pic.twitter.com/5VDMtnBCVj
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) September 23, 2021
【大河津83】寄贈資料④ 工事を宣伝した絵葉書
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) September 27, 2021
大河津分水工事そのものが大きな話題であったことから、工事中の絵葉書も多く発行されました。この絵葉書は建設中の自在堰で、当時としては珍しいカラー刷りでした。それだけ大河津分水工事は多くの人々の注目を集めていました。#ドボク旅 pic.twitter.com/YNRxIZVb7J
【大河津84】寄贈資料⑤ 給与袋
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) October 18, 2021
大河津分水工事そのものが大きな話題であったことから、工事中の絵葉書も多く発行されました。この絵葉書は建設中の自在堰で、当時としては珍しいカラー刷りでした。それだけ大河津分水工事は多くの人々の注目を集めていました。#ドボク旅 pic.twitter.com/Elh9NFVGRR
【大河津85】寄贈資料⑥ トロッコの車輪
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) October 20, 2021
2020年に大河津分水路の河川敷から出土したトロッコの車輪です。トロッコは約2000台が使用されていました。今後も工事等でトロッコが出土するかもしれません。#ドボク旅 pic.twitter.com/LLsLaeoG29
【大河津86】寄贈資料⑦ 竣工記念の杯
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) October 22, 2021
大河津分水工事竣功を記念して製作された銀の杯で「信濃川治水記念」と刻まれています。複数の杯が1セットになっており、工事に従事した技術者に渡された記念品と考えられています。#ドボク旅 pic.twitter.com/AAOQBLw5Ph
【大河津87】寄贈資料⑧
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) October 25, 2021
大河津分水開通後の2年後に開かれた竣工式の日の新聞です。大河津分水が大々的に報じられ、全12ページのうち7ページが大河津分水の記事でした。工事の内容だけでなく、大河津分水実現に至るまでの請願活動や、工事で働いた人たちへの感謝の言葉も掲載されています。#ドボク旅 pic.twitter.com/0q2JO4X29Q
【大河津88】1922年8月25日に大河津分水が通水してから今年2022年でちょうど100年になります。分水講演会や分水サミットなど様々な事業を予定していますので、ぜひご参加ください。https://t.co/4mgnlY99Nl#ドボク旅 #大河津分水 #大河津分水通水100周年 pic.twitter.com/YnsdJ8pOCE
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) January 17, 2022
【大河津89】
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) January 31, 2022
大河津分水通水100周年、関屋分水通水50周年を記念し、各地で分水についてお話いただ分水講演会がスタートしました。分水講演会は無料で聴講いただけます。詳しくはHPをご覧になってください。https://t.co/Z7c89HtHLe#ドボク旅 #大河津分水 #大河津分水通水100周年 pic.twitter.com/mKvuoyi2zk
【大河津90】
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) February 22, 2022
2002年2月14日に登録有形文化財に登録された初代洗堰。堰の隣の石碑には、1922年から78年間にわたり働き続けた洗堰への感謝の言葉が刻まれています。例年、4月上旬ころには、桜が咲く中に佇む初代洗堰をご覧いただくことができます。#大河津分水 #大河津分水通水100周年 #ドボク旅 pic.twitter.com/WwWt3kqLhq
91~
【大河津91】第3回分水講演会
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) March 7, 2022
大河津分水通水100周年、関屋分水通水50周年を記念し、各地で分水についてお話いただく分水講演会がスタートしています。第3回は3月27日に開催予定です。詳しくはHPをご覧になってください。https://t.co/Z7c89HtHLe#大河津分水 #大河津分水通水100周年 #ドボク旅 pic.twitter.com/hQhJzubzce
[大河津92] 新潟県燕市 の子ども達が大河津分水の歴史や現在行われている川幅を拡げる工事などをインタビューを交えながら動画で紹介しています。子ども達が撮影したドローン映像も。ぜひご覧になってください。https://t.co/2KwphDftCS #大河津分水通水100周年 #信濃川 #燕市 #大河津分水 pic.twitter.com/UX0EIAACws
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) March 21, 2022
【大河津93】第5回分水講演会
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) April 4, 2022
第5回分水講演会は4月23日に開催予定です。大河津分水の魅力発信の活動をしている新潟経営大学の皆さんからご発表いただきます。詳しくはHPをご覧になってください。https://t.co/Z7c89HtHLe#大河津分水 #大河津分水通水100周年 #新潟経営大学 #講演会 pic.twitter.com/UCwUxWoTfS
【大河津94】
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) August 3, 2022
信濃川大河津資料館ホールにて通水100周年カウントダウンボードが設置されています。また、信濃川河川事務所公式Twitterでもカウントダウン企画が実施されています。@mlit_shinano#大河津分水 #大河津分水通水100周年 #カウントダウン #信濃川河川事務所 #ドボク旅 pic.twitter.com/yDDb0UZjzS
【大河津95】大河津分水通水100周年を記念した田んぼアートが見頃を迎えています。大河津分水路の恵みに感謝し、水田をキャンバスに黄・紫・赤・白・緑色の色鮮やかな稲を使って描きます。https://t.co/WlrnrRpmNB#大河津分水 #大河津分水通水100周年 #田んぼアート #燕市 #ドボク旅 pic.twitter.com/0Dxfs6rXwu
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) August 15, 2022
【大河津96】6館リレー展
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) August 29, 2022
6館リレー展が始まりました!新潟県内6施設が越後平野の治水の歴史や郷土の発展を振り返ります。https://t.co/9lOYduTLJr#大河津分水 #大河津分水通水100周年 #6館リレー展 #企画展 #ドボク旅 pic.twitter.com/7EZ4iBp0ta
【大河津97】8月25日に通水100周年を迎えた大河津分水への感謝のメッセージを募集しています。SNSを使ってメッセージをお寄せください!https://t.co/MaVBFV67BP #大河津分水 #大河津分水通水100周年 #メッセージプロジェクト #信濃川河川事務所 #ドボク旅 pic.twitter.com/UqJzrY4Wd8
— 土木学会国際センター (@JSCEInter) September 12, 2022
毎週月曜、土木学会国際センターのtwitterアカウント(@JSCEInter)で、最新の投稿を発信しています。twitterアカウントをお持ちの方は、国際センターのtwitterアカウントのフォローもよろしくお願いいたします。
2019年台風19号での危機
こちらの記事では2019年台風19号での大河津分水氾濫の危機について、地元の地域情報性と「ケンオードットコム」の佐藤さんに、いろいろとお話を伺っています。こちらもあわせてお読みください。