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流域治水が求める新しいガバナンス

多々納 裕一
論説委員
京都大学防災研究所・教授


流域治水関連法が2021年11月に全面施行され、河川においてもようやく洪水の損害を被る住民の視点に立った総合的取り組みがスタートしました。

私は、新しいタイプの「ガバナンス」が求められていると考えています。流域治水の英文名は、River Basin Disaster Resilience and Sustainability by Allとされています。みんなで河川流域を災害に対してレジリエントで持続可能なものにしていこうというプロジェクトの趣旨が表されています。

私は、2008年-2009年に滋賀県流域治水検討委員会の住民会議にアドバイザとして関わらせていただきました。9回にわたる議論の末、提言書「水害から命を守る地域づくり:滋賀県民宣言」がまとまられました。

水害は必ず起こるという覚悟を持って、①安全な避難ができる地域づくり、②防災組織が元気な地域づくり、③先人の知恵と新しい情報を共有できる地域づくりが目指されることになりました。ここで重要なことは、最初は知事への提言を取りまとめる、言い換えれば、行政への意見をまとめることであったのですが、議論を重ねるにつれて、行政にお任せではだめだ、我々が主体となって水害に強い地域づくりを進めなくてはならないという転換が生じたことです。「滋賀県民宣言」というタイトルにそれが表れています。行政は、我々が実施する活動がうまく進められるように、最低限これだけは進めてほしいという要望が、公助に求める事柄として整理されています。上からの押し付けでない協働の提案がなされたわけです。

これが、地域に存在する水害を引き起こしうるハザードをすべて含んだ「地先の安全度」マップや、命の危険にさらされる地域への住宅建設を規制し、既存住宅に対しては住まい方の工夫を可能とするための公的助成を含む浸水警戒区域指定を可能とした2014年の条例制定につながりました。

滋賀県では、50地区の重点地域を選定し、水害に強い地域づくり計画の策定と、浸水警戒区域の指定を地域の合意をもとに進める取り組みを進めてきました。2022年3月時点で、11地区で水害に強い地域づくり計画が策定され、浸水警戒区域の指定も行われています。この間の道のりは決して平たんなものではありませんでした。建築規制を伴う浸水警戒区域の指定は、改築時などにかさ上げなどの費用の一部を助成がなされるようになるというメリットはあるものの、「建物売却が困難になる」、「子供たちが帰ってこなくなる」などの意見も根強く、進捗しにくい状況にありました。それでも、行政担当者の努力と地元のリーダーの皆さんのご協力に支えられ、避難計画の共同作成や、安全な住まい方をするための意見交換など、議論を重ねるごとに、合意する集落が増えてきています。

ある担当者の方から聞いた話ですが、「この地域にはこんなリスクがある」という話をしたら、「家を建てる前に教えてほしかった」と言われたそうです。そして、「皆さんのお子さんやお孫さんの代の方々が、知らないで水害のリスクの高いところに住宅を建てて被災するということがなくなるように、きちんと地域指定しておいた方が良いので はないでしょうか?」と申し上げたら、そこから空気が変わって「やっぱり指定してもらった方が良いね」とご同意いただけるようになったそうです。

昨年から本格始動した国の流域治水では、河川部局のみならず、都市計画部局、県、市町村を巻き込んだ行政部局や住民にビジョンを共有していただき、そのビジョンに向かって共に 歩んでいただくことが重要です。この際、出来ない理由の列挙をするのでなく、まず一歩進めるにはどうしたら良いかを考えるという意識の転換が必要です。私は今までの経験からは、学識経験者や住民を巻き込んで徹底的に理念と解決策を議論していくと、ビジョンも腑に落ち、一歩踏み出すための方策も見いだされやすいと思っています。これらが共有されると、「これならできる」という案も見出されることが多いように思います。部局の垣根を超え双方合意してかつ前に進む雰囲気を持った「継続的でクリエイティブな連携」の場づくりが重要だと考えています。そこでは問いや解決のためのビジョンを共有するとともに、各々の能力や限界を相互に理解することが可能になるからです。持ち場ごとに自分の分掌に責任を持ちつつ、他の分掌にもちょっと首を突っ込む。そして、共同して進む。そのような「越境しあうガバナンス」が求められているのではないでしょうか?

土木学会 第179回 論説・オピニオン(2022年4月版)



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