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異分野を異分野でなくするために

有田 正規
国立遺伝学研究所 生命情報・DDBJセンター

 修士課程のときに情報科学分野からバイオインフォマティクスに入りましたが、高校や大学では生物学を学んでいませんでした。当時は生物学が必修ではなく、高校一年で「理科Ⅰ」を履修しただけ。その立場で普通の生物学教科書を読んでいたら挫折していたでしょう。しかし、タシュネの『遺伝子スイッチ』を読んで大腸菌ウィルスのシミュレーションに興味を持ったことが幸運でした。また全体像を知るのに、ラボにあったワトソンの『組換えDNAの分子生物学』を読んだことも運がよかったです。この本は生物学よりもバイオテクノロジー技術や手法を中心に紹介しています。そのため、情報科学や計算機科学の人にも話がわかりやすかった。いわゆる生物学の教科書をまじめに読んだのは、自分が教員になって教えるようになってからです。

 学生のころはいくら辞書を引いたところで分子生物学の内容を理解できませんでした。そもそも生物学の考え方を理解できていなかった。タンパク質シグナリングとか、クロストークとか雰囲気だけで世界が構築されているようで、フレームワークが無いのに論理だの何だの言い出す思考回路がわからないのです。そうした生物学の考え方を理解できるようになったのは歴史を学んだからです。自分も同じ雰囲気に染まっただけで何が変わったのかはうまく説明できないのですが、分子生物学者の考え方がわかるようになった。それを一番よく学べた本は『The eighth day of creation』です。これは著名な分子生物学者へのインタビューをもとにDNAの二重らせんや翻訳機構、タンパク質の立体構造などの発見秘話を紹介した本で、今読んでも面白い。未知の世界を手探りで解き明かしていく興奮が伝わります。残念ながら日本ではあまり有名にならず訳もよくないので、この本だけは原著をお勧めします。これ以外にも、一般論として勧めたいのは歴史を勉強することです。DNA二重らせん構造で有名になった『ロザリンド・フランクリンとDNA』やヒトゲノム計画を扱った『ジーン・ウォーズ』、『ゲノム敗北』など、ワトソンの自伝に劣らず面白いです。

 分子生物学は遺伝子還元論であり、生物学の中でも特異な存在だという認識を持たせてくれたのはフォックス・ケラーの『遺伝子の新世紀』です。自分が理解するのに時間がかかった分子生物学のその先に、もっと広い異世界が広がっているところをみると異分野融合の難しさを感じます。社会生物学論争を含め、思考のフレームワークの広さを若いうちに知っておくことは、今後SDGsやヒトゲノム倫理を当たり前のように扱う世代にとって重要でしょう。

紹介書籍

  1. Mark Ptashne(著),大塚栄子(監訳)『遺伝子スイッチ―遺伝子制御とファージλ―』オーム社 1989

  2. James Watsonほか(著),松橋通生ほか(監訳)『組換えDNAの分子生物学』丸善 1993

  3. Horace Judson『The eighth day of creation』Cold Spring Harbor Laboratory Press 1979

  4. Anne Sayre(著),深町眞理子(訳)『ロザリンド・フランクリンとDNA』草思社 1979

  5. Robert Cook-Deegan(著),石館宇夫ほか(訳)『ジーン・ウォーズ』化学同人 1996

  6. 岸宣仁『ゲノム敗北』ダイヤモンド社 2004

  7. Evelyn Fox-Keller(著),長野敬ほか(訳)『遺伝子の新世紀』青土社 2001

本記事は日本バイオインフォマティクス学会ニュースレター第40号(2021年8月発行)に掲載されたものです。
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