全ゲノムシークエンスに基づくがんのゲノム臨床シークエンス研究の実装-未来はとっくにはじまっていた
宮野 悟
東京医科歯科大学M&Dデータ科学センター センター長
2011年ころの日本の生命科学は、2004年ヒトゲノム解読の終了宣言から前後から始まった「(金食い虫の)ヒトゲノム研究は終わった」という大合唱の中にあった。2007年11月の山中伸弥先生のiPSの発表が一世を風靡しており、日本は「ゲノム研究―失われた10年」の真っ暗闇をさまよっていた。一方、米国National Institute of Health (NIH)は、2002年1000ドルゲノム構想を打ち出し、2004年からファンディングを始めた。そして、皆さんご存知のように、2014にはイルミナ社のHiSeq X Tenにより1000ドルゲノムが実現し、医療・ヘルスケアへの展開が加速された。現在はヒトゲノムの500ドルぐらいになっている。だれもが自分のゲノム知る時代がきてしまった。
オバマ大統領のアポイントメントにより2008年に米国National Institute of Healthの所長に就任したコリンズ博士が『遺伝子医療革命 ゲノム科学がわたしたちを変える』を2010年に出版した。
知人を通してすぐに翻訳をお願いし、翌年の1月には翻訳版が出版された。彼のゲノム臨床医として経験してきたことや、自分自身についてのこと、未来についての思い入れが熱く書かれている。その第一章のタイトルは「未来はとっくにはじまっている」となっていた。本のカバーには次のメッセージが載っていた。
ほぼ同時に『One In A Billion: A boy’s life, a medical mystery』という衝撃的な記事を読むことになった。これはNick Volker君という4歳の子供のChildren’s Hospital of Wisconsinでのストーリーである。お腹の腸が破れ200回もの手術を経てきたが治癒の見通しが立たなかった (Howard Jacobson’s public slide)。
そこでこの小さな地方病院は、可能性は低いが全遺伝子を調べてみようという提案をした。シークエンスとデータ解析を行ったのは、医師達ではなく、ラットのフェノームの研究をしていたHoward Jacobson博士とバイオインフォマティシャンLis Worthy博士達であった。2010年12月21日の記事“Sifting through the DNA haystack” では、Roche 454で全エクソーム解析を行い、出てきた16,124変異を2000に絞り込み、半年を超える精査で最後に2つの遺伝子(GSTM1とXIAP)にまでしぼった。調べてみると、GSTM1に変異をもった方で全く健康に過ごしている人がいることがわかりXIAP(X染色対上にあるアポトーシスインヒビター)が残った。そしてとてもまれな血液の病気(EBウイルス関連血球貪食性リンパ組織球症)にこのXIAPとその変異が原因になっていることがわかった。血液疾患の場合、治療法があった。造血幹細胞移植である。2019年にはLis Worthy博士を東大医科研にお招きしてバイオインフォマティクスの苦労話を詳しくうかがうこともできた。
「DNAの干し草の山をふるいにかける」ことが課題で、東大医科研では2015年にIBM Watson for Genomicsの導入によりこの課題を乗り切ろうとしてきた(IBMはWatson for Genomicsのサービスを2020年12月で終了してしまった)。コリンズ博士は、2012年NIH予算要求演説のConclusionでこのストーリーを次のように引用している。少し長いが全文を引用する。
その全ストーリーおよびその後はのちに出版された『10億分の1を乗りこえた少年と科学者たち―世界初のパーソナルゲノム医療はこうして実現した』にまとめられている。
2011年当時、開国前の江戸幕府に黒船が来航したときのような気持ちになり(下図)、プロジェクト遂行のお金の目処もまったくないなか、私は妄想のなかで駆け回り、東大医科研の病院の先生方にお話をした。
25名ほどのチームが2011年にできた。何をやればよいのか全くわからず、試行錯誤と、海外調査にもとづいて臨床を含むシステムを作っていった。そんなとき米国の著名なヒトゲノム研究者の先生からメールがきた。
“「DNA二重らせんの発見。1953年のちょうど100年前、黒船が日本を覚醒させましたが…」「2003年のヒトゲノム解読から10年後の今、ゲノム医療は日本では夢物語?米国では明日の問題!」”
自分の認識が決して大きくはずれたものではないのだと思い、とても勇気づけられた。チームで議論を重ね、資金を集める方法を考えて、ぼちぼちと全ゲノムシークエンスに基づくがんの臨床シークエンスを研究として実施できるようになった。具体的には下図のようなシステムを構築・運用した。
それから約10年。厚生労働省は「全ゲノム解析等の推進に関する専門委員会」を設置し、駆け足で前向きの研究体制の整備に乗り出している。もう私のやることは終わったと思った。
2014年のある夜、12時ぐらいに帰宅しようとして東大医科研キャンパスを歩いていると、チームの指導的メンバーである東大医科研臨床ゲノム腫瘍学分野の古川洋一教授を見かけ挨拶をした。その翌日、メールが送られてきて、それを見るとなんと縦書きの原稿ドラフトだった。コメントがほしいとのことだった。「先生、縦書きの原稿を書いているのですか?!」と返信して、しばらくして、古川先生が1冊の本を私のところにもってこられた。その本が『変わる遺伝子医療:私のゲノムを知るとき』である。夜な夜なこの原稿を書いていたのだそうだ。
この本は、コリンズ博士の日本人版(古川先生)と少し先端的なことがはいっている、おもに若い方や女性を対象にしたメッセージを書いたものと私は認識した。新書判なので楽に読めるが、内容はこころ打つものだ。古川先生のお人柄もところどころに見受けられる。
最後に雑談。私の好きな植物のひとつに楪(ゆずりは)がある。お正月かざりにつかうところもあるそうだ。高校生のときにこの木を見たときに感動した。上の方の葉は上を向いて太陽に光が十分に浴びられるようにし、下の老いた葉は下をむき、やがて地におちて木の養分となる。1本の木になんと美しいドラマがあることかと思った。もう、私は引退し、若い方が未来を作っているのだと、そのこと確信して、撤収をはじめている。
紹介書籍
フランシス・S・コリンズ(著),矢野 真千子(訳)『遺 伝子医療革命 ゲノム科学がわたしたちを変える』NHK出版 2011(原著:The Language of Life: DNA and the Revolution in Personalized Medicine. An Imprint of Harper. 2010)
Journal Sentinel, One In A Billion: A boy’s life, a medical mystery (このシリーズ記事は2011年 のExplanatory Reporting部門Pulitzer Prizeを受賞)
マーク・ジョンソン(著),キャスリーン・ギャラガー (著),井元清哉 (解説),梶山あゆみ (訳)『10億分の1 を乗りこえた少年と科学者たち――世界初のパーソナル ゲノム医療はこうして実現した』紀伊国屋書店 2018(原 著:One in a Billion: The Story of Nic Volker and the Dawn of Genomic Medicine. Mark Johnson、 Kathleen Gallagher. Simon & Schuster Paperbacks. 2016).
古川洋一『変わる遺伝子医療:私のゲノムを知るとき』 ポプラ社 2014(第23回 2014年度大川出版賞受賞)
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