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蓋をした想いを書こうとしたけれど、やっぱり蓋をすることにした

クレイジータンクさんが主催する、こんな投稿コンペにご指名をいただき参加することになりました。

もし あなたに いま。到底ムリだろうと、蓋をしていた想いや夢があるのなら。
クレイジータンクは、その想いの根底にある“あなた”に寄り添いいっしょに考え、実現に向けて動きたい。そう、考えています。

指名をいただいたからには精一杯応えたいと思いまして、折を見てはどの蓋を開けようかと悩んでいまして、気づいたらコンペ最終日の2/29になってました。

悩んでるうちに、1つ「この蓋を開けよう」と思ったテーマがありました。

それば自分にとってかなり大きなテーマでした。

ただ、タイトルの通りなのですが、やっぱり蓋をしようと思ったのです。

だったら書くなよって話かもしれませんが、自分にとって「蓋をする」のはとても挑戦的な行動で、なぜそこに至ったのかを残すことに意味があると感じたので、書くことにしました。

でも、どんな想いに蓋をしたかを書かないと文章が成立しないので、結局ちょっと書いちゃってるんですけどね。

おそらく、クレイジータンクさんの意図とは違う文章になっちゃってます。ごめんなさい。

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書こうとしたテーマは、私の承認欲求について。

人に認められないとやる気がしないし、頑張りを認められないとイライラしちゃう、私の承認欲求。

以前、cotreeさんのアセスメントコーチングを受けた時も、評価されたい欲が圧倒的に強かったので、客観的に見ても承認欲求は強いのだと思います。

そして書こうとした「蓋をした想い」は「自分を認め続けてくれるような親友が欲しい」というもの。

自分のすべてを受け入れてくれる人を見つけたい。

それは無理かもしれないし、読んだ人にその役割を担って欲しいとは思わないけど、願いを抱いてるとせめて知って欲しい。

そんな文章を、このコンペ用に3000文字くらい書きました。

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私はnoteを公開する前に、少しだけ時間を置きます。

文章を書いてる時は熱中してるので、時間を置いて冷静になった頭で文章を読み直すと、誤字脱字や表現のおかしなところに気づきやすいからです。

そんな時に、私生活の中で大きな逆境が訪れました。

詳しくは言えないのですが、自分がこれからどう生きるのかを問いただされるほどのプレッシャーが私を包み込みました。

苦しくなった私は、自分についてひたすら考える日を1日取りました。

自分が感じたこと・好きなこと・嫌いなことを書き出し、特に重要な事柄についてひたすらに「なぜ?」「どうして?「具体的には?」と深掘りをしたのです。

正直、これほどまでに自分の思考と向き合ったのは、就活の自己分析以来かもしれません。

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↑これがその時のシートです。さすがに恥ずかしくて、内容はぼかしました。

そこで1つ気づいたのです。

私は、私について何も考えていなかった、と。

自分が何を良いと思い、何をイヤだと感じ、何が人生の優先度として高く、何が低いのかをまったく言語化できていなかったのです。

ただ自分の「欲求」の赴くままに動いていて、それはあとから考えると法則は見つかるのですが、なぜその法則になるのか、その根源にある自分自身については何もわかってはいなかった。

そしてその「欲求」が、ほぼ「承認欲求」と言い換えても差し支えないことにも気づきました。

自分なりに考えて判断して動いているつもりでしたが、結局は人を気にして動いていて、他者がどう思うかをベースに動いていたのだと。

今まさに陥っている逆境も、自分の承認欲求が原因の1つでした。

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そこで「どうすれば、この承認欲求とうまく付き合えるのか?」と新たな問いが生まれます。

また考え続けて、自分の承認欲求の赴くままに求め続けるより、承認欲求をいなして、自分で消化していくべきだと結論づけました。

今回のコンペでもともと書こうとしていたテーマと近似していたので、「自分を認め続けてくれるような親友が欲しい」について書いた3000文字を改めて眺め直し、自分を認め続けてくれる人を探すのは現実的でないと感じたのです。

だって、自分がすべてを認められる他人がいるか?と問われて、肯定的な答えが出てくる気がしなかったから。

であれば、自分を認めてくれる他人を見つけるより、人に認められなくても行動ができるように自分が変わるほうが簡単だし現実的なんじゃないか。

この考えにいたったのは、最近ハマっている「100分de名著」で学んだ「ブッダの言葉」やアドラーの「人生の意味の心理学」の影響もあるかもしれません。

どちらの本も言い方は違えど、ありのままの現実を受け入れ、自分の主観を変えていくべきと説いています。

特にアドラーは優越感や劣等感は「他者と比較した上での自分の主観」だと書いていて、その言葉にも気づかされた面もあります。

私は自分自身を見つめず、他人や人の目ばかり気にしていたなと。

そして偶然、自分だけを考える時間を持てたことで、自分の可能性や解決すべき課題が見え、自分で自分を認めていけそうな予感がしたのだと思います。

現在、会社の役員になって1年と2ヶ月ほどが経ちましたが、そこで「理解されなさ」を強く感じ続けました。

よく「経営者の孤独」なんて言いますが、それを肌で感じたのです。

もちろん自分の至らなさもあるのですが、そんな難易度の高い状況で承認欲求なんて持っていたら身が持たないし、続きません。

自分を認めてやれないと、インスタントに承認欲求の解消を求め続けてしまいます。

もう1つ、承認欲求を満たすために自分を小出しにするのも、ちょっと違うなと内省の時に感じました。

そうすると世の中に大きなインパクトを与えられないし、自分自身が大きく成長でないのではないかと。

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だから、私は想いにもう1度蓋をすることにしたのです。

それは熟成をさせるための蓋。

蓋の中で、私は自分の内面と向きあう覚悟ができたのです。

もう1つ、大きな変化がありました。

それは、奥さんに私の話をするようになったこと。

今まで奥さんに自分の話をするのを避けてきました。

でも逆境の中で耐えきれなくて、奥さんに悩みを打ち明けたり相談をする回数が極端に増えたのです。

私は仲良くなると、他人が自分化してしまいます。

そして今まで自分を蔑ろにしていたので、同じように親しい他人も蔑ろにしてしまっていました。

正直、奥さんに対しても冷たかったりひどいことをしていたなと、今思い返せば分かります。

でも自分と向き合う覚悟ができた今は、そんな奥さんも大切にしていけるんじゃないかと感じています。

自己愛を高めて、人生を熟成させる。

私は今、そんな期間に入ろうとしているのです。


だいたいスターバックスで、あえてホットティーを飲みながらnoteを書いているので、ホットティー1杯くらいのサポートを頂けたら、こんなにうれしいことはありません。