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デベロップメントはどこへ向かえばいいんだろう【ボードゲーム】

Yukoです。久しぶりすぎてnoteの書き方を忘れました。

少しボードゲームデザインにおけるルールの最終調整について思ったことがあったので、書き散らしてみます。書いてはみるものの、パッと考えたことなので、不明点や誤謬があった場合にはご指摘いただけると幸いです。

また、ここでは軽量級ゲームを中心に話をしたいと思っています。というのも、重量級ゲームは最初からゲーム木が膨大になりがちで、本noteの議論自体の主目的が薄れてしまう気がするからです。さて、本題に。

制作中のゲームからの問題提起

現在制作中の紙ペンゲームがあるのですが、デザインの終着点を考えたときに、ターゲット層の好みを考えて決断することを余儀なくされました。どちらをとってもゲームとしては成立するが、パッケージとして販売することを考えたときに、どちらが良いだろうか、という部分です。
少し詳しくいうと、【ルールA】を採用すると選択肢が増え、分岐が複雑になるために、分析の上手い人、あるいはゲームを繰り返し遊んだ人が有利になります。【ルールB】はルール側から勝ちやすいルートにプレイヤーを自然に誘導するもので、皆が似たようなアプローチをするものの、ある程度の面白さを全員がシェアすることを可能にします。簡単にいえば、ルールAは人を選び、ルールBは万人に向けたもの、となるでしょうか。

面白さ

「面白さ」は、大きく二層に分かれていると考えています。フィードバックが明確で、全員が享受できるプリミティブな面白さと、経験の蓄積がベースになって生まれる少し高次の面白さ。この両方と相談しながらゲームを作っていくことになります。

そもそものゲームのアイデア(スタート地点)というのはプリミティブな部分になるとして、そこからデベロップメントに移行した際に、どこまで思考性・情報処理を求めるのか、という質問が生まれます。

余談ですが、ここで「自分が遊んで楽しいゲームを作ろう」というのはかなり的を得ていると思います。というのも、ボードゲームを遊んでいる以上、そこに至るまでにある種の「ボードゲームって楽しい」という体験が積み重なっているはずです。であれば、それに基づいたデザインというのは必然的に自分にとって嬉しいフィードバックを期待できるコミュニティをターゲットとしてゲームである、とも言える気がします。

複雑さの罠

ゲームの深度(奥深さ)を拡張するときに、「複雑性を増やす」という調整がどのような結果をもたらすのかは考える必要があります。
複雑性を増した結果、考える量は増えても結果的に最適解がシンプルなバージョンと同じ場合、考える楽しさは与えられるかもしれないけれど、そこに行き着いたあとのゲームプレイは単調です。

これはある意味、思考性を盾にゲーム本来の、すなわちプリミティブな面白さを隠蔽した状態だとも言えて、これはあまり美しくない気がします。

ゲームの耐久力

さらにいえば、この「ゲームの分析」というのは繰り返し遊ばれるゲームか?という話もあります。ゲームの耐久性、リプレイ性と言えるでしょうか。
この耐久性は「次はこうしてみたい」「次は上手くできるかも」という期待がこの先にあります。この展望が見えない場合、見た目の複雑性(分岐の多さ)はプレイヤーを怖がらせるだけに終わってしまい、再プレイへのボトルネックを解消することができません。

プレイヤーは「あそこでこうできたかも」という、アクションの分岐点の明確化が丁寧に行われることが、リプレイ性に直結しているといえます。
そしてこの分岐点の明確化は、それぞれの分岐点におけるフィードバックがわかりやすいことが条件です。
前述の通り、複雑性がただ思考負荷を上げているだけなのであれば、ある程度プレイヤーを誘導し、上手くいった体験が微かに見えるぐらいの調整が適切だと考えるのが妥当な気がします。

ゲーム市場の動向

昨今のボドゲ市場は「全員が最後まで楽しめるように」をモットーとして設計されるゲームが増えているとよく言われます。逆にいえば、キングメーカーを忌避する傾向。
これにはメディアの発展も関与していると思っていて、多数の集団(例えばTwitter)で体験がシェアされることが当たり前になった時代に、全員が楽しむ、というデザインはとても重要なのかな、と。

ただその一方で、ゲームプレイの体験をミクロ、すなわち個人レベルに落とし込んだときに、「他よりも上手くプレイした」という体験も重要なのではなかろうかとも思います。

例えばドイツのトランプゲームのスカートは、3人でプレイされますが、1ゲーム(ハンド)につき1人しか得失点しません。プレイヤーのレベルがほぼ同じで、多くハンドをプレイすれば、得点は平均化されていきますが、それでもルールの根幹を見れば、決して全員に公平に楽しさが担保されているわけではない。
とは言っても、スカートは楽しい、面白いんですよね。何が楽しいかを語ると量がとんでもないことになるのでここでは避けますが、簡単にいえば、「してやったり」という感情の引き出し方が上手いんだと思います。

ここで少し、この感情の操作について、紙ペンゲームとの相性を考えてみます。

紙ペンゲームとの対話

紙ペンゲームは、ゲームの特性上、他プレイヤーとのインタラクションは薄くなりがちです。この場合、プレイヤーはプレイヤーよりもゲームそのものと対話をすることになります。
ここでいう対話は、自分のアクションに対して返ってくるフィードバックを元にしてさらにアクションを打ち、というサイクルを示します。

対話において、ゲーム側からの言葉=フィードバックは重要です。これがないと、プレイヤーは虚空に向かって話すだけの悲しい状態になってしまいます。
ある種の導線に沿って進む、というのは、ゲームとの対話が「予期した方向に進む」ということで、このある程度の予測というのが大事になってくると思うのです。
逆に、どこへ向かうかわからない対話というのは、気疲れしてしまいます。

いくら対話を自由にするといっても、自分が今どこにいるのかをきちんと把握させるためには、ゲームの目標(勝利条件)に対して思考負荷が重すぎない(インプットとアウトプットのバランスが取れている)方が良いと思います。軽量級のゲームであれば、尚更です。

さて、どうするか

最初の質問に戻ります。まだ制作途中なのでゲーム内容を詳しく書けないのは申し訳ないのですが、ここでの自分の結論は、【ルールB】すなわちルール側からプレイヤーに勝ち筋を示唆する方を取ろう、というものです。

果たして、これが上手く自分の思った通りに動くのか。これはテストプレイを繰り返していかないとわからない部分ではあります。ここまでがテストプレイ前の調整、という形になるでしょうか。

本来はゲームをより細分化して各パラメタの価値を数値化するのが良いのだと思いますが、まだそれをできるほどの経験が足りませんでした。
ただ、こうしてデベロップメントの分岐を部分的にでも考察したことで、テストプレイは非常にやりやすくなったと思います。

自分がデベロップメントにおいて持っておきたい視点について、散文的ではありますが、書き残してみました。

Thank you for reading!
(Jun. 11, 2022)

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