亜留間次郎が著作に書いた、三井二郎左衛門という医師の存在が確認できない
タイトルで8割終わっている話、99%デマだと思ってる。
三行説明
①自力で三井二郎左衛門を探した→確認できなかった
②三井文庫にレファレンスを依頼した→情報は見つかりませんでした
③亜留間次郎に出典を訊いてみた→誤魔化しと言い訳
以下、実際にやったこと
三井二郎左衛門の情報
まずは対象のことを知らなければなりません。調査対象者の基本的な情報や背景、経歴、活動などを把握し、調査の方向性を決定します。
亜留間次郎が三井二郎左衛門について語った媒体
https://twitter.com/aruma_zirou/status/1112674599399940096
上記の2つのメディアに加えて、彼の著書であるアリエナイ医学事典やtwitterにも同じような事柄が記述されています。これらの記述を総合し三井二郎左衛門という人物周辺情報を整理します。
三井二郎左衛門の情報
東大医学部を主席で卒業(tocana)
20代で博士号を授与(tocana)
中学、高校を飛び級し歴代最年少で東大医学部を卒業(動画6:50~)
三井厚生病院に勤務(tocana)
その病院を運営する日本一の大財閥の御曹司(twitter)
昭和一桁の話(twitter)
第四内科(代謝内科、内分泌内科)を創設(動画13:10~)
東京大空襲で病院の医者も患者も全員死亡した(動画14:12~)
調査①~ネット上の関連情報を探る~
飛び級について旧制教育を調査
まずは飛び級についての記述ですが、旧制の学校制度について調べると、確かに小学校と中学校は1年ずつ飛び級が可能なことがわかりますが、高校の飛び級については制度的に確認することができませんでした。
小学校の飛び級にあたる五修についての法令記述、下記39条
中学校の飛び級にあたる四修についての法令記述 下記11条
大学入学についての法令記述 下記9条
可能性としては
という記述に当たる可能性です。ですが本当に三井二郎左衛門は高校を飛び級し、東大医学部に入学したのでしょうか?
東大卒業者を検証
結論から先に述べますが、東大の卒業者の中で三井二郎左衛門は見つかりませんでした。
最初の検索対象は 東京帝国大学卒業生氏名録 昭和14年版 です。
上記の資料の医学士の項目で三井二郎左衛門を探しましたが、存在しませんでした。三井の総領家である北家の当主は、三井八郎右衛門という名前を襲名しています。ツイッターによると昭和一桁の話とあるので、念のため昭和以降の三井姓を探したところ昭和11年に三井善之助氏、昭和12年に三井幸彦氏が存在していますが、二名ともおそらく戦後まで活動しています。
温泉療養と所謂尿中疲労物質 三井善之助
細菌性外眼部感染症に対する汎用性抗生物質等点眼薬の評価基準 三井幸彦
これに加えて「東京帝国大学一覧 昭和14年度」「東京帝国大学一覧 昭和17年度」の中の医学部在学者を確認すると、昭和16年入学者に三井美澄氏が存在します。この方もおそらく戦後まで活動されています。
臨床的薬効評価の盤 三井 美澄
よってこの方々が三井二郎左衛門だという可能性は限りなく0に近いです。
医者の一覧表を検証
昭和15年に出版された日本医籍録を探してみます。
全てを探してはいませんが、国会図書館デジタルの全文検索で、「三井」と検索した結果に目を通した限り、三井二郎左衛門は存在しませんでした。
次に財団法人泉橋慈善病院が出版している「財団法人泉橋慈善病院報告 第31回」を検証します。泉橋慈善病院とは三井慈善病院から改称され、三井厚生病院と名前を変えていった現在の三井記念病院の前身です。
(三井慈善病院→泉橋慈善病院→三井厚生病院→三井記念病院)
出版年度は昭和11年となっていますが、内容などから昭和13年出版のもののようです。
こちらの職員一覧にも三井二郎左衛門は存在せず、三井姓すら職員には存在していません。役員に三井の名前が並ぶのみです。
史料と食い違う情報
三井記念病院100年の歩み
https://www.mitsuihosp.or.jp/media/all-001.pdf
上記の史料では患者は少なくとも60人が助かり、動画内で語られた、医者と患者が全員死亡したという内容と一致しません。以下引用
調査②~三井文庫に調査を依頼~
ここまで調査しましたが、ここで三井二郎左衛門の調査は手詰まりとなりました、情報が何一つ得られないからです。
しかし「三井記念病院百年の歩み」を読んでいる最中に三井文庫という単語が何度か出てきていました。調べたところ三井関連の史料館と言えるような存在のようです。
そこで三井文庫にレファレンスを依頼しました。内容は
上記の内容でレファレンスを依頼しました。
その結果
という調査結果が帰ってきました。
それでは亜留間次郎がそこかしこで吹聴している、三井二郎左衛門という人物はどこで確認できるのでしょうか?
亜留間次郎の反論
後の時代の史料どころか当時の史料で確認できないんですが?
私が問うたのは
「三井二郎左衛門なる人物が存在する根拠となる資料を教えてください。」
「三井二郎左衛門の存在が確認できる史料はどこでしょうか?」
これだけなのですが言い訳や関係ない話を長々と話して、結局質問には答えてくれませんでした。
ネットで怪しい情報をばらまくどころか、書籍化までしているのに出典を明記するといったことを怠るのは「文章を扱う者としての意識に根本的な問題がある」のではないでしょうか?
結論
様々な文献を調査しても三井二郎左衛門の手がかりは得られないどころか、存在しないことを裏付ける傍証しか出てきませんでした。
更に三井関連の史料を集め、三井家から寄贈もされている三井文庫にすら三井二郎左衛門の存在を確認できる史料は存在しませんでした。
以上のことから三井二郎左衛門が存在する可能性は、非常に低いと考えられます。
おまけ
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