2018年7月の記事一覧
トルコ・ハルフェティ連詩を終えて: 三宅勇介 x 四元康祐 往復書簡第六回
三宅さん、
「頭で書くタイプの詩人」問題、炸裂しましたね。
なんだか三宅さんに僕の詩の弁論陳述をやってもらったみたいな。
でも正直いうと、「頭で書く」のはやっぱりいけない、というか頭で書いた詩は書いていても面白くないし、読んでも不気味さに欠けて驚かされない、という思いはあるんです。三宅さんの言葉を借りると、システムの外に出ていけない。
「機智」や「奇想」がそのまま「頭で書く」ことに繋がって
トルコ・ハルフェティ連詩を終えて:三宅勇介 x 四元康祐 往復書簡第五回
四元さん、
お返事ありがとうございます。
今回も色々考えさせられます。まずは、「頭で書くタイプ」の詩人について(笑)。四元さんの仰ったように、定型詩においてはそれは褒め言葉ではないですよね。俳句よりも短歌の方が嫌われるかもしれません。よく歌会などの批評で、歌のダメだしする時に、「これは観念的だ」とか、「頭で作っている」という決め台詞があります。そういう言葉が出るたびに、「また出たよ」と思ってし
森山至貴 X 四元康祐 往復書簡 「詩と音楽と社会的現実と」:第6回
vol. 10 from M to Y:
四元さんからの手紙を読んで、日本語以外のアジアの言語での合唱曲(か歌曲)を書きたい、と一時期強く思っていたことを思い出しました。当たり前のことですが、日本の合唱曲は多くの場合日本語の合唱曲です。その次に多いのはラテン語か英語の合唱曲で、それ以外の言語で書かれた曲は数えるほどしかありません。言語が変わると言葉のイントネーションとリズムが変わるので、必然的に
森山至貴 x 四元康祐 往復書簡 「詩と音楽と社会的現実と」 第11回:日大アメフト、 野性のエロス、ジプシーの少女たち
from M to Y
ある若いアメフトの選手の話をします。彼のことはもしかしたら四元さんもごぞんじかもしれません。そうです、定期戦で相手方の関西学院大学の選手に怪我をさせた、日本大学の学生のことです。
アメフトに詳しいわけでもなく、また新聞やインターネットのニュースを通じて伝聞情報を多少追いかけた程度ですので、大きく端折った説明にはなってしまいますが、事情はこういうことです。つまり、権力を持
トルコ・ハルフェティ連詩を終えて:三宅勇介 x 四元康祐 往復書簡第四回
三宅さん、
イスタンブールのDAMで行われたハルフェティ連詩の発表会、当日別の詩祭とぶつかったとかで参加者は少なかったけれど、密度は高く、深く掘り下げた意見が交わされたましたね。連詩から受ける日本とトルコの詩人の資質の違いについて感想を述べてくれたのは、サリ・バラート(Salih Balat)という詩人です。人柄は優しそうなのだけれど、静かなる威厳というか、詩人としての風格を感じさせる人ですよね