卒業

私の学生生活は後5日で終わりを告げるらしい。

思えば大学に入学するまでは、順風満帆な学生生活では無かったように感じる。
中学校の部活ではある程度の成績は残したが、それは吹奏楽という団体競技で残したもの。私個人の成績ではない。
高校だって本当は音楽で進みたかった。私の地区で最も歴史があり、所謂強豪校と言われる私立の高校で吹奏楽がしたかった。しかし家庭的な事情でこれも断念。仕方なく家からほどほどに近く、ほどほどのレベルの高校に進学した。
ここでも一応吹奏楽は続けたが、先の理想とは大きくかけ離れている弱小校だったので、自身のレベルを磨くことしかしなかったし、その部活も途中で辞めた。もう音楽なんてしないと思っていた。
その分勉強に力を入れた。これまででは考えられないくらい狂ったように勉強した。しかし何分本番に弱い性格で、殊更に試験というものに関してはそれが顕著であるため、志望大学にはしっかりと落ちた。目の前が真っ暗になったが、一応の保険という形で出願しておいた私立大学のセンター利用方式の入試に奇跡的に合格していたため、そちらに進学した。それが今の私の大学である。

サラッと卒業してやろう、と思っていた。サークルの新歓活動にも、あまり興味をそそられなかった。
しかしひょんなことから、一応軽音と吹奏楽のサークルには所属していた。
吹奏楽に関して、そこでの音楽は今までの私が知っているそれとは全く、全く以って異なっていた。
初めて審査員の評価がない演奏をした。初めて審査員の評価を前提としない練習をした。初めて自分よりしっかりとした、上手なベースラインに出会った。初めて自分より華があり、音の大きいサクソフォニスト、トランペッター、メロディラインに出会った。中音楽器として、これほど嬉しい演奏場所はない、心からそう感じた。その団体で初めて合奏をした際、その思いが衝撃となって、自身の頭頂から爪先までを駆け巡った。ここに身を投じようと。自身の吹奏楽人生の墓場はこの以外あり得ない、そう思った。

軽音に関しては、初めてクラシック以外の音楽表現を知った。様々な音楽を演った。様々なパートを演った。その度に、自身の音楽表現の引き出しが増えていくのが、目に見えてわかった。色々なアイデアが湧き出てくる、色々出来ることが増えてくる、心の奥底に抑圧している己が、水を得た魚のように頭の中を、身体中を駆け巡る。そんな衝動、衝撃との出会いの場であった。

振り返れば、キチンとした人付き合いを知ったのも大学以降であった。人に頼ることを覚えた。それまでは、頼ることで人間関係が壊れることを心のどこかで恐れていた。しかし、その恐れは不要なのだと知った。頼ったなら、次の機会に全力で助ければ良いのだと、そう気づいた。自分はわりと頼られるのも好きなのだと知った。人を助けてありがとう、と感謝されるだけで見返りなど不要なタイプだった。そういう点で、かなり人間的に成長できたのだと感じる。

私の大学では、ビールの銘柄みたいな名前の感染症のせいで卒業式が無かった。
聞くところによると、お葬式は故人を弔うためだけのものではないらしい。残された現世側の、つまり我々の気持ちを整え、晴れやかな心持ちで故人を偲び、送る。そういう式典なのだと。
卒業式に関しても同様のことが言えるだろう。指導教官からの卒業証書授与、少しばかりの餞の言葉だけで、どう気持ちが切り替わるというのだろう。
同窓らは少しずつ、気持ちを切り替えて行っているように感じる。私は取り残されている、そう思う。

下記のハッシュタグを卒業式典とし、私のこの長ったらしいnoteを答辞(まあ送辞らしい送辞も受けていないが)とし、私なりに気持ちを切り替えようと思う。

これまでの私と関わって頂いた全ての方々の益々のご発展と、ご多幸を切に祈る。
ありがとう。さよなら。また会う日まで。

#卒業 #学生 #音楽 #みんなの卒業式

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