見出し画像

「やるか、やらないか」ではなく、「やるか、やる」JP-MIRAIyouth学生レポーター企画 第6回:ティー・エスグループ

 「学生レポーターによるインタビュー」企画第6回では、3月11日に埼玉県上里町を訪問し、外国人を雇用し農業生産法人や学校法人を経営するティー・エスグループ創設者の斎藤俊男さんにお話を伺いました!

※今までの記事(第1回~第5回はこちらから)→https://note.com/jpmirai_youth/


 ティー・エスグループは、埼玉県上里町に本拠地を置く、農業や教育で事業を行う企業です。1995年に前身の株式会社ティー・エスが設立され、当初は日系ブラジル人の人材派遣をする企業でした。創設者の斎藤俊男さん自身も、1990年にブラジルパラナ州から日本へやってきた日系2世です。現在は農業、不動産、教育、介護など多角的に事業を展開しています。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

■ティー・エスファーム

苗の植え付け体験

 午前はティー・エスファームの畑でネギの苗の植え付けを体験しました。植え付けは基本的に機械で行いますが、ところどころ苗の間隔がまばらになってしまうため、より効率良く収穫できるように手作業で調整していきます。
 力仕事ではないものの、初心者である私たち学生はわずか1時間たらずで足腰に響きました。しかしこれはほんの「序の口」だそうです。夏場の草取りは全て手作業で、本当につらい仕事とのことです…。

画像1
苗の植え付け作業を体験


ビニールハウスや工場を見学・インタビュー

午後はティー・エスファームのビニールハウスや工場を見学しました。ハウスの中では、温度管理も水やりも全て自動。ハウス栽培を行うことで収穫時期を調整し、季節を問わずにネギの出荷ができるようになります。またハウスで育てたネギは、香りも味も柔らかさも格段に良いものになると斎藤さんは話します。
 ティー・エスファームでは、大きなビニールハウスを全部で4つ所持しています。最初に建てたという下の写真のハウスは知人から資材や土地を借り、2ヶ月半かけて自分たちで建てたそうです。

自作のビニールハウス


その後、次々と事業を拡大されてきた斎藤会長ですが、事業立ち上げから現在に至るまでの苦労についてお伺いしました。

Q: リーマンショックで派遣会社が破綻寸前まで追い込まれ、農業に活路を見出したと伺いました。当初から農業の知識はあったのでしょうか?


 「初めは知識も資金も全くありませんでした。なので金融機関も融資をしてくれず、愛車を800万円で売って、それを元手に農業を始めました。はじめはノウハウを獲得するために、地域の農家のお手伝いをしながら仕事を覚えていきました。『外国人に農業ができるわけがない』という理由で土地を借りられないこともありましたが、知事や町長を含め、地元の人との交流を大切にすることで徐々に信頼を勝ち得てきました。」

ビニールハウスを案内しながらご自身の経験を語る斎藤会長

Q: 逆境のなかで農業に賭けるのは怖くありませんでしたか?


 「技術の不足に加えて、言葉の壁や差別もあり、日本人が事業を始めるよりも10倍も20倍も大変だったと思います。利益の大半を投資し、事業拡大を目指すのは勇気が要ることでしたが、『やるか、やらないか』ではなくて『やるか、やる』。やるしかないんだと思って突き進みました。
 5反(約50アール)からスタートした農地は60町(約60ヘクタール)に拡大し、今では地元で一番広い農地を所有しています。日本全国を見ても、おそらく私たちが最大のネギ生産者ではないでしょうか。最近では毎年、後継者のいない高齢の農家から土地を譲られるほど地元で頼りにされています。」


 シーズンは終わりかけでしたが、ネギの収穫現場も見せていただきました。写真奥の機械がネギを引き抜き、束ねます。作業している2人には斎藤さんがポルトガル語で指示を出していました。

ネギ収穫の現場

Q: ティー・エスファームではどんな人が働いていますか?


 「従業員は80人くらいで、日系人のほかにもインドネシア人が多く働いています。ティー・エスファームでは、生産から出荷まで自社で行っているため、農場だけではなく、工場で働く従業員もいます。
 農業の試験が日本語なので、語学はしっかり勉強して身に着けています。毎日遅くまで作業をして疲れているので、その後に勉強するのは大変だと思いますが、みんなよく頑張っています。」

定植から出荷まで、ティー・エスファームの農業には下の写真にあるような様々なマシンがフル活用されています。温室やトンネルハウスによる促成栽培、夏季には苗の取り寄せなども駆使し、日本で初めて、1年中ネギを出荷できるようになったそうです。
 最近導入した全自動袋詰めの生産ラインは、なんと初期費用に1億円かかったとのこと。思い切った設備投資をする理由についてお話を伺いました。

齋藤会長が中古で購入したマシン


Q: ここまで機械化が進んでいるのは驚きでした。


 「確かに、ネギのためだけにここまで投資する人は少ないと思います。ですが、農業をするうえで一番お金がかかるのは『人』。人件費を削減するために、できるところはどんどん機械化しています。一つ一つのマシンは高額ですが、きちんとメンテナンスしていれば数年~十数年で元が取れるんです。
 機械化を進めるもう一つの理由は、人手不足です。日本はこれからどんどん人手が不足していくし、まして農業をやりたがる若者は今でもほとんどいません。こうした中で、機械ができることは機械にやらせるべきだと思っています。」

■学校法人ティー・エス学園

出荷工場のすぐ近くにある学校法人ティー・エス学園も見学しました。新型コロナの関係で中には入れなかったものの、教育事業のこだわりについて教えていただきました。

Q: ティー・エス学園はどのような学校なのでしょうか?

 「ティー・エス学園では、認可保育園の『れいんぼ-保育園』とブラジル学校の『TSレクレアソン』を運営しています。保育園には、ブラジルをはじめ様々な国にルーツを持つ子どもたちが通っています。基本的には日本人の保育士が日本語で子どもたちと接していますが、英語やポルトガル語に対応できる職員も常駐しています。またブラジル学校では、母国で教員免許を取った先生が子どもたちの教育を担当しています。」

Q: ブラジル人学校では何語で授業を教えているのでしょうか?

 
「基本的にはポルトガル語を使っています。しかし、会長である私の強い希望もあり、毎日1時間日本語の勉強をする時間を取っています。日本語の授業を導入する際、はじめは親や教職員から反対の声も上がりました。ですが、将来日本で生活する子どもたちにとって、日本語が障壁になるようなことがあってはいけない、という思いがあり、最終的には導入に至りました。」


校舎だけでなく、体育館もブラジルカラーの黄色と緑で統一されていました。この中で体育の授業をしたり、体育祭を催したりするそうです。校舎の横には、2000㎡の広さの菜園とビニールハウスもありました。

(左)ブラジルカラーの体育館 (右)園児のための菜園

Q:校舎の横にある菜園では何を育てているのでしょうか?

 
「この時期はまだ植えていませんが、ビーツやサツマイモ、トマトなど、園児や学生が自分の食べたい野菜を選んで育てています。菜園を用意するためだけに数千万円を投資することになりましたが、子どもたちが自分で野菜を育て、農業に触れる機会を得られることの方が重要だと考えています。」

Q. そもそもなぜ斎藤さんは教育事業に関わろうと思ったのでしょうか?


 「私が日本に来た1990年頃は、子連れの日系人に対する扱いがひどい時代でした。雇用しても子どもの体調不良や学校の行事で突然仕事に穴を空けるから、という理由で、『子どもがいる夫婦はいらない』と考える企業も多かったのです。この背景には、外国人を『人間として見ていない』という問題があると思いました。だから私は自分で学校をつくることで、自社の社員の子どもの教育をサポートすることに決めました。子どもたちには、親について来日する以外の選択肢がありません。日本の企業が親を呼び寄せて、日本で働く親は子どもを連れてくる。ならば、企業にはその家族や子どもの面倒を見る責任があると思います。そして、その責任を果たすことが外国人を『人間として受け入れる』ことではないかと考えています。」

Q: 日本の外国人労働者の受け入れ方についてどう考えていますか?


 「日本は人口がどんどん減っているうえ、特に若者は農業のような骨の折れる仕事に就きたがりません。人手不足が深刻な分野では、外国人に手伝ってもらうしかないと思います。
そのうえで大事なのは、日本にいる外国人を大切に育てるという意識です。今はまだ、『外人だからダメでしょ、外人だからちゃんと仕事しないよ』といって、最初から自由なことを何もさせないような空気があると感じています。もっと、外国人でもやりたいことができる環境をつくって、『外国人もやれるんだ』ということを社会的に認知してもらわないといけないし、そうすることで結局のところは日本も得をするのではないかと思います。」

インタビューは以上です。お話をしてくださいました斎藤会長、本当にありがとうございました。

■学生レポーターの気づき・学び

定植体験をさせていただき、農業は本当に大変な仕事だと実感しました…。斎藤さんのお話はとても勉強になり、バイタリティに圧倒されます。ティー・エスファームが立ち上げ期に直面した「外国人には農業なんてできるわけない」という差別は、よく考えると不思議なロジックで成り立っていると思います。斎藤さんはご両親が日本出身でご自身も日本国籍を持っており、国内で株式会社経営の経験すらもありました。多文化共生の議論で当たり前に出てくる「日本人」と「外国人」の概念ですが、その境界線はとても恣意的で、時には排除を正当化することもあるのではないかと思います。そして日本社会を構成する人が様々なルーツを持つようになっている今、斎藤さんのおっしゃるように国籍以前に「人間」がそこにいることを世論がもっと認知する必要があると感じます。インターン活動は残りわずかですが、今後もレポーター企画で得たフレッシュな感覚や社会への違和感を忘れずにいたいです。(前川)

 

日本で働こうという親が子どもを連れてきて、日本にある企業が親を呼び寄せる。斎藤さんのこの言葉には、受入れ社会が持つべき責任と覚悟が詰まっています。近年外国人材受入の機運が高まり、如何にして彼らを受け入れるべきかが考えられてきました。しかし、受け入れ方法の議論が進む一方、彼らと共に長期的に歩み、成長していく議論は十分に行われているのか、そう突き付けられました。斎藤さんの言葉を借りるならば、彼らを人間として受け入れるため、彼らの生活や人生に目を向けて、夢を追いかけられる環境や人としての生活が差し障りなくできる環境を整えていくために、私たちはまず知らねばならない、まずはその知るための輪を広げることから、取り組んでいきたいと決意を新たにしました。 (遠藤)

 

前回のレポーター企画で、COLORS(静岡県浜松市で外国にルーツを持つ子供・若者支援の活動を行っている団体)にお話を伺った際、「無いなら作るしかない」という考えで活動を行っていると代表の宮城さんが仰っていました。今回インタビューした斎藤さんは農業を始めた際、知識も資金もない中で、仲間と2か月半かけてビニールハウスを組み立てたといいます。また子どものいる日系人への扱いのひどさを目の当たりにし、教育事業に足を踏み入れたとのことですが、その根底にはやはり「無いなら作るしかない」という、逆境を乗り越えて自ら道を切り開いていく力強さがあるように感じました。(持田)

 

斎藤さんが「序の口」だとおっしゃっていた農作業で次の日に筋肉痛になり、一本のネギが作られるのがどれほど大変なのかを実感しました。それと同時に、日本でこのような農作業をしていらっしゃる外国人の方々の重要さを感じました。斎藤さんがおっしゃったように、日本は人手不足を補うため外国人労働者の方々に手伝ってもらう必要があります。そのように、外国人労働者の方々に日本社会は支えられているのだ、という認識を改めて持つことが大切だと感じました。私たち日本人がこの意識を持つことが、日本で働く外国人労働者がより良い環境で生活することにつながるのだと思います。(相山)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?