雑日記 8/23.24
8/23
今日は1週間前に退職した会社の後輩2人と焼肉に行った。
一応自分の送別会である。
(本当は先週行う予定だったが、台風で今日に延期になった。)
帰り際、後輩がスタバカードをくれた。
それなりに愛されていたと感じてとても嬉しかった。
最終出社日にも先輩方から感謝の言葉などをいただき、とても嬉しかった。
これまで誰かに感謝されたりする機会が少なかったので、感謝されるというのも気持ちがいいものだなと思った。
また、社会人になってから人とのつながりは貴重だと思うので、将来孤独にならないためにもこういうつながりを大切にしなきゃなと思った。
8/24
数え間違えがなければ、今日自分は26歳になった。
悲しくも、また1年死に近づいてしまった。
30歳まであと4年。
子供のころから遠い存在だと思っていた30代に近づくのは、若さを失う象徴のような感覚がある。
30代で若さが溢れてるのもダサい気がするので、それまでに大人として一段落仕上がってないといけない気がする。
まあそんなことはいいとして、今日はなんとなく上野の国立西洋美術館に行って、
「内藤コレクション展Ⅱ 中世からルネサンスの写本」
というのを観た。
印刷技術以前の西洋で聖書などを書き写すことで写本として情報伝達を行っていたが、その写本の周りに絵など装飾が細かく施されてるものが展示されていた。
(↓が例)
こういう落書き、教科書とかにしてる人いたなーと思って観てた。
こういう写本に装飾をする慣習が定着してからは仕事として描いていたらしいし、芸術的な価値があることなど十分承知のうえで、最初にこういうの描き始めた人って暇だったんだろうなと思った。
きっと聖書などを写経するだけじゃ退屈で、細かい作業をするのが好きな人が遊び心で描いたんだろう。
そう思うと、知らない800年くらい前のヨーロッパの人でも親近感が沸いた。
絵なんてものはそもそも遊び心なのかもしれないが、写本という実用的なものに描いてあることで遊び心が際立つ。
数々の作品を観たが、どれも描き手がどんな人か想像力を掻き立てられた。
昔の人が実用的で合理的なことをしていても、ただの経済合理人モデルの具体例に過ぎないので、その人の人間味は感じられない。
実用的じゃないことをしてるからこそ、時間や国境を越えて人間味を感じられるんだなと学んだ。
美術に限らず、実用的じゃないことにこそその人らしさが出るはず。
26歳はこれまで以上に無駄なこともたくさんしようと思った誕生日だった。
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