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【短編小説】言えなかったありがとうを


[1]
「ママー、はやく、はやく!」
小学生の息子と地元に住んでいる伯父様、そして私の3人で、父の埋葬された墓地へとやってきた。今日は父の七回忌だ。
山の中にある本家の墓に、父は埋葬されていた。母がいない中で、この場所に来るのは初めてだ。
地元では歴史のある大きな墓地は、山の半分が急な斜面になっていて、石階段を登ると私と息子の体重すら支えられずにぐらつく。
場所によっては階段の石畳が剥がれ、土がむき出しになっているような長い階段が、途方もない長さで続いている。半分も行かない間に、私の息は荒くなっていた。
私が慎重に階段に足をかけている横を、既に八十路を超えた伯父様がゴム長靴ですいすいと登っていく。それが私には慣れの問題には思えない。
父に拒まれているのではないか。予報よりも早く曇り始めた空、道端でひっくり返るセミの亡骸と群がる蟻たち、不気味に生暖かい夏の風。
小学校の同級生が夏の怪談話に悲鳴を上げていた姿を、馬鹿馬鹿しい、騙されているだけだ、と斜に構えながら眺めていた私が、階段を一歩登るごとに見えない力に怯えている。

一回忌は頭が真っ白になって、何も考えられないままに墓参りが終わってしまった。
三回忌は行くのが怖くて、仕事を盾に欠席した。そうやって今日の今日まで、父と向き合う事を避けていた。
だけれども、そんな事はいつまでも続かない。母の足腰が弱くなって、「代わりに頼むよ」と言われ、ついにここまでやってきた。
私は父に向き合わなければいけない。
「ほれぇ、お嬢ちゃん、はよぉせんと、雨がふってくんぞ」
既に階段を登り終えた伯父様が、急かすように手招きする。なんとか急ごうとするが、一段登るごとに、足が重くなっていく。
息子はひょいひょいと階段を登っていき、私だけが随分と遅れて後を追いかける。そうしている間にも風が湿り気を増してきて、灰色の空が私を拒むように厚くなっていく。
「とーちゃく!先行っちゃうよー!」
息子が元気な声で私を呼ぶ。階段を登り終え、伯父様と父の墓へと歩いていった。
「ま、まって!」
思わず叫んでしまった。息子を心配したのではない。取り残されるのが怖かったのだ。けれど、そんな事とは知らずに、2人は遠くへと行ってしまう。
膝に手をつきながら、足を急がせた。心臓が暴れる中、やっとの思いで階段を登り終えた時、分厚い雲から雨が落ちてきた。
「わぁー!雨あめふれふれ!」
息子は突然の雨を喜んだ。夏のにわか雨、冷たいはずもない。なのに、寒気が私を襲った。

[2]
平日、父が家にいるところを、私は殆ど見たことが無かった。埼玉のベッドタウンに住んでいた私は、夕飯時に続々と家へと帰ってくる他の家のお父さんたちを見て、何故こんなに早く帰ってこれるのか分からなかった。
友達の家でのお泊り会、夜の11時ごろに帰って来た父親に向かって、「もうパパ、なんでこんなに遅いの!」と怒り気味に言った姿を今でもよく覚えている。
(遅い?この時間は遅い?)
アニメ番組や道徳の教科書でよく出てくる一家だんらんの家庭像では、父親が食卓を囲んでいるのは当たり前の事だ。そう頭では理解しているつもりだったが、何故それが当たり前なのか腑に落ちなかった。
母に聞いてもはぐらかされる。「パパはね、日本の為に大きな仕事をしているから」とだけ言われて、何だかそれがやましい事情を隠されているかのように感じた。

父の仕事は官僚と呼ばれるものだった。他の子のお母さんたちに言うと絶対に褒められたり羨ましがられるのに、テレビのニュースでは悪口ばかり言われていて、この仕事のイメージがてんで湧かなかった。
夜、母が作り置きした2食分の食事が、目覚めた時にはすっかりと消えているのを見て、確かに父は家にいるらしいという事を理解していた。それにも関わらず、夜中トイレへと向かう廊下でばったりと父に会った時、私は悲鳴を上げて泣いてしまっていた。
休日には父と食卓で顔を合わせてはいたが、すぐに新聞やら難しい本やらを広げ、何かぶつぶつ言いながら読んでいるだけで、私に対して何を言う事も無かった。
私にとって、父は家族ではなかった。

[3]
「絶対に嫌よ!何でパパのいう事聞かなきゃいけないの!」
小学校5年生の終わり、もう予定は覆せないと分かってはいたけれど、私は埼玉から東京の都市部への引っ越しに反対して叫んだ。既に家の下見も終わり、ローンも組み終わった後だった。
それまで反抗期とは無縁で、母からは「真面目な子」「手間がかからない子」と言われ、私も無意識に「いい子」を演じる癖がついてしまっていたから、既に決まったことに対して隣の家まで響くような金切り声を上げた時、母は困惑して「お願い、静かにしてよ」と言う事しかできなかった。
「私、あとちょっとで小学校卒業するのよ?みんなと一緒にいたい!」
無表情のまま椅子に座って私をじっと見ている機械の様な父に、動物みたいな叫び声を叩きつけた。父の表情が一瞬揺れたが、一息をつくとすぐに口を開いた。
「お前には今の小学校の友達をどうこうするよりも、中学校、いや、それより先の事を考えてもらいたい」
「先って何よ!」
父の説明曰く、これから引っ越す場所は都心の中でも一部の人たちしか住めない様な場所で、治安や教育水準もこことは比較にならないほど良いという。下手な私立に行くよりも、引っ越し先の公立に行く方が将来的に良い結果になる、と言うのである。
「それに、ちょうど4月に引っ越すのだ。新学期から新しい環境に入れば、馴染むのも難しくないだろう」
私の考えている区切りと、父の考えている区切りは全く違っていた。
私は小学校の友達と一緒に遊んで、勉強して、恋の話をして、そうして大人になった時に、それぞれの道へと歩んでいくものだと思っていた。私の中では「子ども」と「大人」という区切りしかなかった。
それなのに父は、小難しい事を言って私の事を説得してきた。普段は何も言わないくせに、その姿が腹立たしくて仕方がない。
「お前の将来の為だ。これからは女性でも学力が必要になってくる時代だ。この選択は、きっとお前の助けになるはずだ」
「意味分からない事ばっかり言うのはやめて!」
そうは言っても、何度叫んでも揺らがない父の隙の無さを前に、私はついに折れるしかなかった。
私は、日々のなんでもない事をいつまでも話せる友達から引き離され、都会の学校に通うようになった。

父の言った通り、引っ越し先の水準は高かった。都会の子は物静かで頭がよく、英語をぺらぺらと話したり、難しい数式をスラスラと解いてしまう様な人たちばかりだった。彼らと話しても、宿題や受験対策、留学やボランティアという言葉ばかり並んでうんざりしてしまう。
(なるほどね)
静かすぎる教室で私は納得した。機械の様に優秀で人間味のないこの子たちは、父そっくりではないか。父は私に、自分のコピーになってほしいのだと思った。
「だったら、お望み通りにしてやる」
徹底的に従順にふるまう事、それが私の反抗態度になっていった。埼玉から引っ越してきて浮き気味だった私は徐々に、この無機質な教室の中へと馴染んでいった。

[4]
引っ越しの前に叫んで以来、私は金切り声を上げる様な事はなくなっていた。その代わり、何か家族で話すような機会があっても「勉強が忙しいから」と突っぱねて、自室に閉じこもった。
親族の結婚式、葬式、全て予定通りに従い、その代わり移動時間も参考書と睨めっこをして、私からは何も言わなかった。

ある日、父が珍しく私に相談をしてきた。両行のパンフレットを片手に、少し表情が緩んでいる様に見えた。なんでも、父と母の結婚三十周年のお祝い旅行だという。
「新婚旅行で行った場所なんだ。大きな滝の水しぶきで、綺麗な虹が見えるんだ」
「ママと二人で行ってきてよ。私は試験前だからいけない」
私は不愛想な顔で相談をはねつけた。父は珍しく落胆した表情で「そうか」と一言だけ呟いた。思わず笑みが込み上げてくる。
ざまぁみろ。父がそうなる様に望んだのだから、文句なんて言わせない。私から大切なものを奪ったあなたに、私は何も与えない。この顔を見る為、私は勉強ばかりしてきたのだ。特大のブーメランを返してやった気持ちだった。

気付けば超一流の大学に合格。その後も学業、留学、慈善活動と、父の望みを体現するかの様に行動し、世間の就職氷河期など関係なく、どこでも選び放題という状態だった。
目の前に数多くの選択肢がある中で、私は国家公務員、即ち父と同じ官僚の道を選んだ。

某省庁の明かりの中、私は仕事を覚えたくてずっと働き続けた。終電、タクシー、徹夜、何でもやった。そして駆け上がった、出世の道を。二十代の終わりには、出向先の頭になるほどの経歴を積み重ねていた。
私が階段を駆け上がるのとは逆に、父の持っていた影響力はすっかりと衰えていった。「戦後組の風雲児」とまで言われた父は、徐々に政治の輪の外側へと追いやられていき、気付けば定年で霞が関からひっそりと退場した。
仕事上対立していたわけではないが、私は勝ったような快感を覚えた。

それから暫くして、七十になった父がボケはじめたと母から連絡があった。平均よりは随分と早い発症だと医者には言われたらしい。
「寝る間を惜しんで働いていたからねぇ。頑張り過ぎたのね」
心配そうな母の声を前に、表面上は心配を装いながら、心の中では酷い事を考えていた。
(娘をほったらかしにした罰よ)
と。
途端、急に寒気がやってきた。携帯電話を片手に辺りを見回した。
「ちょっと、どうしたの?」
母からの呼びかけに「ううん、何でもない。パパによろしく」と言って電話を切る。何だったのだろうか、今のは。

[5]
仕事は順調そのものだった。睡眠時間と休日を引き換えに、有名政治家肝いりの仕事を任され続け、女性の出世頭として某省庁の中では有望視されていた。周囲から信頼され、著名人と会食し、雑誌からのインタビューを受け、次第に地位を固めていった。
多少顔立ちがよかったために付けられた「マドンナ官僚」などという時代錯誤なあだ名も、困った顔の下でひそかに気に入っていた。

国会や予算委員会が終わった後、束の間の休息で私はきらびやかな夜の街へと繰り出した。官僚のオフは今までの我慢を爆発させる為、乱れがちになる。汚職事件で世間を騒がせた性的サービスなども、霞が関では「あるある」程度の話である。
私はそこまで堕ちなかったけれど、疲れた体を引きずって寝る間も惜しんで飲み歩き、この世は全て我が物に思えた。
夜の街には魔物が住んでいる。ネオンの光に照らされてると気分は否応なし上がっていく。その光の下、声をかけてきた見知らぬ青年が美しく見えて、私は呂律が回らないまま飲み明かした。気付いたら、一人知らないホテルのベッドの上で、時間はもう正午だった。もしかして財布が抜かれたのではと思い、バッグを確認するが、そこには手を付けられていなかったので安心して帰宅した。
思い当たるのはその1回しかない。私は、訳の分からないうちに妊娠してしまった。事実を知った時の強烈な吐き気が、つわりというものなのか、それとも精神的におかしくなっているからなのか、分からなかった。

パートナーがいれば、妊娠という事実を隠す事もない。ただ、私は相手の顔も名前も、全く覚えていなかった。
マドンナ官僚と呼ばれた私が、ふしだらな妊娠をしてしまうなんて!
今まで培ってきた人脈も、業界の中での知名度も、全て嘲笑の種に使われてしまう事を想像する。税金で性的サービスを受けて叩かれていた上司たちの様に、私も週刊誌に罵倒されてしまう。この姿を同僚や同級生たち、そして母が見たらどんな顔をするだろう。

具合の悪さと精神的な不安定が重なり、私は仕事でミスを連発した。一時的な事ではないと周囲から心配され、産業医との面談を受ける事になった。
「理由は何でもいいので、休職させてほしい」
雑誌の記者に答える時の、百分の一もしないような声量で産業医に縋った。
私は霞が関から去ることになった。
最後の出勤を終え、家に帰った私は、トイレの中で無様に泣く事しかできなかった。

[6]
久しぶりに何日も家でぼーっとする時間を持って、私の心は固まってきた。中絶しよう、そして楽になろう。あの輝く舞台に戻ろう。夜の街に孕まされた子なんて産めない。
産婦人科に相談しようとしたその時、またあの寒気が襲った。今度は激しく、私を責めるように、全身に鳥肌を立たせた。心臓を掴まれ、握りつぶされそうになる。
パニックになって目の動きが落ち着かなくなる。怖い、助けてほしい。
私は携帯電話を取り出し、藁を掴む様な想いで実家に電話した。
「もしもし、ママ?」
「あー、どなたでー?」
母の携帯電話に掛けたはずなのに、間抜けな男の声が返ってくる。呆けた父だった。私が時間も忘れて働いている間に、病魔は父の脳みそを恐ろしいスピードで蝕んでいたのだ。私は困惑したが、今はそこに気遣う余裕がなかった。
「パパ、早くママに代わって!今はパパと話す事なんてないのよ!」
「あー、どうしたー?」
「ねぇ、ちょっと、早く代わってよ!」
私は焦っているのに、父は「うーんうーん」と言って考え事をし始める。
「ねぇったら!」
「あー、そっか。妊娠したんだな!おめでとうなー」
「なっ・・・」
呆けている父が、何故その事に気付いたのか分からず狼狽える。私が何も言い返せないうちに、電話越しに「母さん、孫ができたってよー」という声が聞こえた。
「もしもし、父さんの言葉は本当かい?おめでとう!」
電話を代わった瞬間、興奮気味の母の声を聞いて、私は中絶をする気持ちが無くなった。
少し間を置いてから、自分が天狗になってふしだらな行為をしていたこと、子供の父親が誰だか分からない事、キャリアについてどうすればいいのか分からない事を正直に話した。体の心配はされたが、「大丈夫だよ、私たちがついているから」と言われる。
私は何度も「ごめんなさい」と泣く事しかできなかった。

[7]
里帰り、というには近すぎる距離だが、私は予定日が近づいたところで実家に帰り、久々に両親と対面した。周囲の女性官僚たちにも大学時代の同級生にも相談できず、埼玉の友人たちとは既に疎遠になっていたため、実家を頼らざる得なかった。
それでも自分の責任を母に押し付けるのが申し訳なくて最後まで迷ってしまい、通常の里帰りよりも随分と遅い時期になってしまっていた。
「ママ、しばらくよろしくね」
正月もお盆も返上で働き続け、数年に一度顔を合わせる事しかしていなかったのに、自分が困った時だけ実家に帰るなんて、甘えすぎているのではないか。後ろめたい気持ちが心を苛む。
「いいのよ、あなたに頼られるなんて、嬉しいわ」
視界の片隅に入った母の笑顔が、さらに自分を責め立てた。父への対抗心ばかりで、母の気持ちを顧みる事なんてしなかった事に、今更罪悪感が溢れてくる。もしかしたら結婚三十周年の旅行に行かなかった事を、本当に残念に思っていたかもしれない。
玄関を上がり、父の書斎を覗いた。多くの書籍と書類がぎゅうぎゅうに詰められた部屋の中に、ポツンと父は座っていた。
「生産性の向上のために、分業体制を確立し、金融からのアプローチを・・・」
椅子にかけているだけの父は、見えない政治家でもいるかの様に、ぼそぼそとうわ言を繰り返していた。
「お父さん、あなたの娘が帰ってきましたよ!」
「あ、ああー、娘?」
父は口をあんぐりと開けて私の方を見た。その姿に思わず怯んでしまう。小さい頃、父が機械に見えたのは、全身に隙が無かったからだ。皺ひとつないスーツ、ぴんと張った背筋、そして冷静沈着そうな表情。それが今、目と口を大きく開き、娘の私相手に驚いた顔を見せていた。
「おおきくなったなー」
父はその一言だけ言うとすぐさま別の方を見て、また見えない政治家と株価の上下動について議論を始めた。
「あれがパパだなんて・・・」
「そんな顔しないで。意外と手はかからないのよ。ずっとあんな感じで、楽しそうにお話してるの。ご飯もちゃんと食べるし、よく笑うようになったし、昔より夫婦の時間が楽しめているくらいよ」
皺の多くなった顔で、母は笑っていた。私は、憎かった父がこの世のどこにもいない事を知って、長い間上げ続けていた拳をどこに落とせばいいのか分からなくなっていた。

[8]
実家について数日後、激しすぎる痛みと共に、息子は誕生した。しわくちゃの小さな手を握りしめると、大きな泣き声と共に握り返してきた。
その瞬間、マドンナ官僚という言葉も、仕事を共にした政治家の顔も、全てどこかへ飛んで行ってしまった。この子の為により良い選択をしよう。そう心に誓った。
実家に帰ると、母のレクチャーを受けた。どうやったら母乳がよく出るか、哺乳瓶の洗い方はどうすれば良いか、などなど。
母は頼れる先輩としての顔を見せてくれた。それでも、仕事との勝手の違いに戸惑い、息子に苛立ちを募らせる時もあった。
「そのくらいでイライラしていたらダメよ」
「でも・・・」
「子供を産むとね、睡眠時間がずーっと減っちゃうのよ。ご近所さんは皆大変だったんだから」
「睡眠時間が無いのは平気だよ。仕事で慣れてるし」
「全然違うわよ。仕事とは大変さの種類が違うのよね。ま、私は運よく平気だったけど」
母はそう言って脅し気味に伝えた。しかし、懸念していた様な事は起こらず、私は毎日をぐっすりと眠ることができた。3時間おきの授乳だから、夜中に1回か2回は泣き声で起こされるはずなのに、そういった事は起こらなかった。
「お利口さんなのかな?」
そう思って息子を撫でる。息子は何か安心したような表情をし、私も微笑み返す。と、おしっこが漏れる音がした。
「やれやれ、またおしっこしちゃったのねー」
最初は下の世話をする事に抵抗もあったが、今ではすっかり慣れていた。
「あれ、もうオムツがないわ。おかしいわね。買ってこなきゃ」
鼻歌交じりで近所の薬局へと出向く。母が脅したよりも子育ては大変ではないな、というのが正直な感想だった。
帰ってからもう一回息子を撫でる。そろそろ彼との二人暮らしが始まるのだ。
「一緒に頑張ろうね」
息子と自分自身にも言い聞かせて、一か月検診を前に私は自分のアパートへと帰っていった。

[9]
深夜、息子の悲鳴で起こされる。実家にいる間は大人しく寝ていた息子が、帰ってからは真夜中に暴れ出した。
住んでいたアパートはフランスのデザイナーが設計したというワンルームで、大半が一人暮らしの住民たちに、子育てに対する理解は微塵も無かった。
どうせ仕事で忙しく、帰る事も少ないだろうからと、見た目重視で選んだ壁の薄いアパートは、息子の泣き声から私を守ってくれない。既に隣の部屋からは苦情が来ていたので、焦って息子の口を塞ぐように抱き寄せる。
「お願いだから、泣き止んでよ」
また苦情が来たらどうしよう。もっと壁の厚いところに早く引っ越さなければ。そもそも何で泣き止んでくれないのか。焦りながら過ごす深夜3時、頭の中がこんがらがって、出口が見えない。
過度のストレスから母乳の出が悪くなり、手間のかかる粉ミルクを作っている間にも、息子の鳴き声が天井と両壁を殴りつける。
「ほら、ミルクよ」
差し出す哺乳瓶の先をはねのけ、息子は泣き叫び続けた。
「ほら、飲みなさい、これがほしいんでしょ!」
何とか泣き止ませようと無理やり哺乳瓶を口に突っ込むが、鳴き声の火に油を注ぐだけだった。
そうこうしている間に、廊下を誰かが通る音が聞こえた。ついに来た、また責められる。
足音は私の部屋の前を通り過ぎ、バタンというドアの音が廊下に響いた。
うちじゃなかったのか?いや、もしかしたら様子を伺いに来たのかもしれない。どうしよう、怖い。
隣人たちからの敵意が、天井と壁とドアを突き抜けて私に刺さってくるように思える。
(逃げなくちゃ)
最低限の生活品だけをマザーズバッグに放り込み、衝動的に息子を抱えて外へ飛び出した。
アパートを出た時、ちょうど別のお客さんを下ろすタクシーが見えたので、片手を振って呼び止める。車内という個室の安心感を得たくて、逃げるように飛び乗った。行先には実家のある街までとお願いをした。息子は慣れないタクシーの中でさらに泣き声を大きくする。早く落ち着かせなければ。
「お客さん、ちょっといいですか?」
怪訝な顔をした運転手が、呆れた表情で私に喋りかけてきた。
「ええ、なんでしょうか?」
「子供がもらしてシーツが汚れたら、5万円のクリーニング代をいただきます。社内規定なんで、悪しからず」
憮然とした様子で告げられ、思わず運転手を睨んでしまう。実際息子が何をしたわけでもないのに、なんてサービスのなってない会社なんだ。苦情を入れてやる。
そう思ったが、バックミラーに写った自分の姿を見て納得してしまう。部屋着のまま化粧もせず飛び出してきた私と、毛布にくるんだだけの息子。
夜逃げでもするかのような見た目で、「この母親は5万円を払えるのだろうか?」と判断されてしまったのだ。もう私は霞が関のマドンナではない。その現実を痛感する。
「・・・もしもの時はお支払いできますので」
悔しさを押し殺し、運転手に出発をお願いした。
「お願いだから漏らさないでくださいよ!」
運転手は大きな泣き声にイラつきながらアクセルを乱暴に踏んだ。惨めさが込み上げてくる。政務も子育ても同じく大切な仕事のはずなのに、こんなに冷たい目に晒されなければならないなんて。

[10]
「あら、どうしたの!」
実家のインターフォンを押すと、母が心配そうな顔で飛び出してきた。
「ごめんなさい、ママ。どうしても、不安で」
「いいから、中に入りなさいな」
逃げるように上がり込み、ようやく安堵感に包まれる。そう思った瞬間、どっと涙が出てきた。
「辛かったね、よしよし」
抱きしめられて、また涙が出てくる。日本を動かす力を持っていると思っていた私は、赤ちゃん一人の涙にもこたえる事のできないダメな母親だと思えて仕方がない。
「一回和室に赤ちゃんを置いて。あなたはお風呂にでも入って来なさいな」
「で、でも」
「いいから、赤ちゃんってのは意外と強いものだから。元気に泣いてるのは、とてもいい事なんだよ。私とお父さんがいるから大丈夫」
そう言われて、私は無理やり風呂場へと連れて行かれた。
リフォームが終わったばかりの風呂場は防音で、息子の泣き声は全く聞こえなくなった。その瞬間、緊張が取れて、体の疲れがどっと吹き出した。蛇口をひねったままシャワーを流しっぱなしにし、滝に打たれるように無心で浴びた。
何分、いや何十分とそのままになったところで、「いけない、息子が」と我に返る。いきなり家に押しかけるだけでも迷惑なのに、その上母に世話までさせるなんて。
慌ててバスルームから飛び出し、髪も乾かさないまま冷え切った廊下に出て、息子のいる和室の扉を開けた。
「ママ、ごめんなさい!」
私が部屋を開けた時、母はいなかった。その代わり、息子を抱き上げた父が、優しく背中を撫でていた。
「ほーれ、ほーれ、いい子だなー」
「あうー」
息子は泣き止み、手をぱたぱたとさせ落ち着いた様子だった。
「パパ・・・?」
「あー、あれ?今日は・・・何の日だ?」
父は私の方を見て固まった。何かを一生懸命思い出そうとしている様子だった。
そうこうしていると、息子のお尻から鈍い音が聞こえた。ウンチが沢山出た音だ。もしかしたら、お腹が詰まって泣いていたのかもしれない。
「ああ、こら、こんな時に、ウンチなんて・・・」
私は父の前で漏らした息子が気恥ずかしくなり、すぐにオムツを取り換えようとした。
「私が交換するから、パパはもう部屋に帰って」
「もうちょっと出そうだなー」
「え?」
父は息子を置くと優しくお腹を撫でまわし、しばらくするとさらに鈍い音が連続した。
「やっぱ苦しかったんだなー」
父はマザーズバックからオムツとおしりふきを取り出すと、新米ママの私なんか比較にならないような手際の良さで、すぐに交換を完了させてしまった。
「本当に、ちっちゃい頃そっくりだなー」
「ちっちゃい頃・・・?」
私の父は、私の記憶の中では機械の様な仕事人間で、家庭、そして私を顧みなかった。家に帰ってこなかった事、正論ばかり言って引っ越しを強行した事、悪い思い出として全部よく覚えている。そしてそれに対する復讐も行ったつもりだ。
じゃあ、記憶が無かった頃は?
「あらごめんなさい、ちょっと寝てたわ」
「ママ・・・」
母が和室に入ってきた。
「ママ、今パパがオムツを」
「あら、ホント。相変わらず上手ねぇ。ボケても昔の事は、体がよーく覚えているものね」
母は当然と言う表情で父と息子がじゃれ合う姿を眺めていた。
「パパは、私が赤ちゃんの時に、オムツを替えていたの?」
想像が出来なかった。あの無機質な父が、そんな事をするなんて。
「替えるも何も、深夜のお世話は全部任せていたわよ。私よりもあやすのが上手いんですもの」
「うそ、パパが?」
「おかげでぐっすり眠れたわ。国会が山場の時だって、『これは俺の娘だ』って言って譲ろうとしなかったのよ。お国の一大事より、娘のウンチの方が大事だったみたいね」
母の言葉は頭の中に入ってきたけれど、どう処理したらいいのか分からずに私は目を伏してしまった。
「今度も沢山替えてやるからなー」
父が柔らかすぎる口調で、息子に語り掛けていた。まるで、前替えた事があるかのような、そんな態度。また、あの寒気と共に、こんがらがった頭が整理されていく。
実感より減るのが早かったオムツ、たっぷりと寝れた実家、慣れた手つき・・・。もう一度父を見たその瞬間、全てが分かった。私が寝てる間、父が息子の面倒を見てくれていたのだ。私が起きないように、そして息子が泣かないように。
「あっ・・・パパ・・・」
私は父に感謝を伝えようとしたのに、ちっぽけなプライドが邪魔をして言葉が絞り出せなかった。そうこうしているうちに、母が私の頭を撫でる。
「今日はゆっくり休んで、落ち着いた頃に帰ればいいよ」
母が私にそう言って、自分の部屋のベッドを譲ってくれるという。
「う、うん、分かった。ありがとう」
「お父さんとお母さんに任せて、早く寝なさい」
私は息子と父がいる和室から出た。お腹を撫でられている息子は、首を振って楽しそうに見えた。

翌日、心身ともに回復して家に帰れるようになった時、父はあやし疲れたのか、書斎の椅子に体を預けてぐっすりと寝ていた。
「お礼を言わなきゃ」
「いいのよ。それより、起こさないであげて」
母は優しく肩を叩いた。
「う、うん、分かったわ。次の機会に、また」
敵視していた父に対して、どう向き合っていいのか分からなかったので、母の言葉は一時の救いだった。
今すぐ父の前に立つのは怖い。また次の機会までに自分の心を整理して、改めて父と向き合おう。少し書斎の中を覗いた。日向を浴びてぐっすりと寝ている父のどこにも、機械のネジなんか入ってはいなかった。

[11]
次の機会は訪れなかった。私がアパートに帰って数週間もしないうちに、父は呆けて家を出た後、交通事故で死んだ。
葬式の時、遺影に飾られた父の姿は官僚時代のものだったけれど、もう機械には見えない。
若き日の温かい父の目を、直視するのが辛かった。私はひたすら、葬式の間目を伏していた。悲しみよりも先に、怖くて仕方が無かったのだ。
もしかしたら、父が早くに呆けた理由は、私との関係に悩んでいたからかもしれない。
もしかしたら、父が交通事故で死んだのは、自分の孫が心配で探しに行ったからかもしれない。
自分にとって都合の悪いifが頭の中を駆け巡り、全身が氷のように冷たくなった。

父は都内から遠く離れた地元の墓に埋葬された。一周忌の集まり、地元の親族たちが墓の前に集った。
「あらー、あの時のお嬢ちゃんが!」
近くに住んでいるという農場の伯父様が、私を見て突然目を潤ませた。
「オラの事はもう覚えてないだろうねぇ。でもオラはよく、お嬢ちゃんの事を覚えてるよ」
そう言って、若き日の私と、父と母の写真を見せてくれた。目尻にしわを作りながら私を掴む父を見ていると、「たかいたかーい」という声が聞こえてくる様だった。
2歳の私は父に高く持ち上げられて、さらに手を空に向かって伸ばしていた。
「この時な、お嬢ちゃん虹を掴もうとしたんだよ。だから弟のやつ、一生懸命お嬢ちゃんの事を持ち上げていたんだぜ」
「そうですか」
頭の中で冷や汗が止まらなくなる。父が亡くなって一年経ち、少しずつ頭の中を整理し、父に向き合うつもりだったのに。父に挨拶する為に用意した頭の中の原稿は、伯父様の言葉ですっかりと消え去ってしまった。
なぜ、あんなに父を目の敵にする必要があったのだろう。
なぜ、父が楽しみにしていた旅行に付き添わなかったのだろう。
なぜ、息子の世話のお礼をすぐに言わなかったのだろう。
一周忌、私は墓の前で頭が真っ白になって、何も伝える事ができなかった。
三周忌、仕事に復帰した私は、キャンセルできた仕事を理由に、母に任せて墓参りに行かなかった。母が帰って来るまで、私は一睡もできない日々を過ごした。

[12]
そして今日、七回忌。
小学生になった息子、そして伯父様に来てもらったのは、私が一人で父と向き合う勇気が無かったからだ。
予報より早く降ってきた雨の中、私は墓石の前で拝んだ。濡れた前髪が情けなく垂れて目にかかり、礼服がびしょびしょになる。
「パパ、ごめんなさい・・・」
目をぎゅっと瞑って、許しを請う。雨はさらに強くなり、私を打ち付けた。悪寒に包まれ、背筋が震える。
「ごめんなさい・・・」
しばらく雨に打たれた後、私は立ち上がり墓石の前から逃げるように帰ろうとした。
「ママ、なんか悪いことしたの?」
「え?」
「なんで、あやまってるの?」
大雨にはしゃいでいた息子が、きょとんとした顔で私を見ていた。
「ぼくはおじいちゃんに、ありがとう、って言ったんだよ」
せわしなく動いてばかりの息子が、じっと私の事を見ていた。いや、私の奥に何かがある事に気付いている。そうとしか思えなかった。
私は父の墓前で小さく、「ありがとう」と呟く。
暫く、墓石は私の事をじっと見つめた。そうしているうちに雨足は弱くなり、曇り空を割って、太陽が私たち3人を照らした。
悪寒は消え、体がぽかぽかと温かくなる。まばゆい光に包まれた父は、温かな顔で私に笑いかけていた。
「あったかいね、ママ」
「そうね、とっても温かいわ」

「おーい、お嬢ちゃん、そろそろ行くべよ」
伯父様に呼ばれ、私は息子と一緒に階段を降りていく。長く苦しかった階段が、今はとても軽く、夏風が心地よく私の濡れた礼服を乾かす。もう大丈夫と、何故だか自然とそう思えた。
「なんだ、すっかり晴れちまったな。墓にいた時だけ雨なんて、間が悪いなぁ」
伯父様が苦笑いを浮かべた。
「そろそろ出発だ。帰ったら寿司が待ってるぞ!」
私たちを乗せた車は出発した。年甲斐もなく窓から顔を少し出し、もう一度父のいる方を見る。
雨上がりの澄み切った空気の中、手が届きそうなほど大きな虹が、私と父を繋いでくれていた。


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