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神の社会実験・第22章

「さあ、あと一息よ。不動産屋さんが来るまでに、島の決まりを教えたら、私の仕事はおしまい。これはとっても大事な事だから、よく聞いてね」とディルセに言われた。

僕が背筋を伸ばして固唾を飲むと、ディルセに笑われた。

「確かに大事だけど、そんなに緊張しなくていいのよ。とっても簡単な事だから、大丈夫。

一つ目は、院長先生からもう聞いたと思うけど、この島の存在を外の世界に知らせる様な事をしない事。島の中では、何か怪しまれることをしない限り、誰も何も見張っていたりしないけど、島から出て行くものは、信号でも手紙でも生き物でも、何でも全て厳しく調べられているの。わざとじゃなくて、うっかり島の情報が漏れる事に繋がることをしてしまった場合は天使に注意されるだけだけれど、そうじゃなかったら全てを失って島を追放されてしまうから。それだけは肝に銘じてちょうだい。

二つ目からは、神様の掟ではなくて島民たちが決めたこと。守らなかったら追放されるなんて事にはならないけど、場合によっては島の警察やカウンセラーのお世話になるかもしれないわ。

先ずは、本当に当たり前の事だけれど、人が困ることをしない。勿論、交渉やディスカッションはいいけど、お互いを尊重しあう事。危険な状況を見かけたら、すぐに通信機で知らせる事。世界の国の中では、見て見ぬふりをするのが正解ってところも少なくないけど、ここでは違うの。お節介を焼く必要はないけど、本当に困ったときはお互い様っていう所なのよ。通報の仕方は、手汗や鼓動など、あなたの生体反応に通信機が反応するから、すぐに分かるわ。それから、いくら島の資源が潤沢で何でもタダだと言っても、無駄遣いは謹んで。例えば、食べ物は食べたいだけ食べていいけど、20品頼んで一口ずつ食べて、後は残すなんてことは、やめてね。飲食店でそんな事をしたらブラックリストに登録されるし、家での残飯やアルコール飲料パッケージング廃棄量が異常に多いと通信機とゴミ箱が連携して役場に警告を出して、警告がある頻度以上あると健康診断を受けなくてはならないの。ブラックリストに登録されると、お医者さんと役所のオーケーが出るまで、外してもらえないわ。さっき、怪しまれなければ見張られることは無いと言ったけど、健康状態は怪しまれることの一つね。小さい島は病気がはやりやすいし、モラルにもとても影響を及ぼしやすいから。」

成程、それは最もだと僕は思った。

「後の決まり事は、島民は皆、毎日運動エネルギーを供給する事。島で消費されるエネルギーの殆どはこれで賄えるの。テクノロジーが進んで、簡単に電気が作れるのにどうしてこんな方法をとるかっていうと、これが一番合理的なの。まずは、こうすることで島民の健康を維持できる。島ではいろんな職種が認められていて、例えば思想家何て言う人達は、一見何日も何日もぼーっとしているように見えるけど、いろんな事を考えていたりするのよね。勿論それがその人には一番性に合う事で、それをするのはその人の権利なのだけど、こういう人は筋力が衰えやすいし病気にもかかりやすい。それから、モラルの問題ね。島にはいろんな人がいて、いろんな考えがある。でも、行き詰まったり上手くいかなかったり、くさくさする時は誰にだってあるもの。そんな時に、自分は誰の役にも立たないと自分を責めたり、あいつはいつもボーっとしている、なんて他の人を理不尽に責めたりする事がなくなるように、皆が最低限、数値で表せる貢献度を示せる方法は何か、最初の島民たちは考えたのね。それが、運動エネルギー。

どのくらいかっていうと、個人の年齢や、性別、体力なんかから細かく計算されて、毎朝その時のその人に合ったノルマが設定されるの。目安としては、気持ちよく汗をかく程度。通信機とお風呂場のヘルスセンサーが連動して、勝手に算出してくれるわ。外泊などでヘルスセンサーとの連絡が途切れると、通信機それに代わってが汗の量、呼吸、鼓動なんかから大体の数値を算出する。
供給の仕方は何でもいいの。スポーツでも、家事でも、筋肉を使う事なら何でも。大抵のマンションなんかにはフィットネスジムがあって、そこのトレーニングマシーンやプールを使えば、勝手に運動エネルギー収集してくれる。自宅にトレーニングマシーンを設置する事もできるし、ヨガマットなんかの道具にも、ワイヤレス充電器が搭載されているの。アウトドアの運動が好きな人でも、通信機が勝手に充電器モードに切り替わるから普通に運動すればいい。アウトドアレジャーに行っている時なんかも同じね。スポーツが好きな人や習っている人はそれが一日分のエネルギー貢献にカウントするし、ダンスなんかもそう。散歩や、徒歩での移動なんかでもいいの。重労働者や沢山歩く職種の人は、勿論ただ仕事に行けばいいし、今は何かに集中したいから、っていう人や、まとめて運動するのが好きな人は、通信機を使ってそのように設定すればいい。基本、島民が運動エネルギーを発している時は、通信機なりその人が利用している施設のシステムなりが自動的に回収してくれるから、本当に無駄なく、無理なく自然にできるようになっているわ。

勿論例外はあって、体調が優れない人、怪我人や麻痺状態の人は免除される。島の住宅は皆トイレとお風呂場が、昨夜あなたが泊ったような自動健康管理装置になっていて、データは個人個人の通信機のメモリに記録される。健康アプリが赤信号になった人は通信機が知らせてくれて、自動的に運動エネルギー免除の信号が発信されるの。別に一日うっかり忘れたくらいで通報されたりはしないけど、何でもないのに何日も運動をしないと、役場のソーシャルワーカーから連絡が来るわ。その人の判断次第でカウンセラーと話したり、適切なケアや指導を受けたりすることになる。

どうしても嫌!っていう人の意見は尊重されるけど、免除までの手続きは相当大変らしいわ。

後、何かあったかしら。そうそう、万が一の時に便利な事。通信機を交換したいときは電気屋さんに行けばいいけれど、無くしたり壊してしまったりしたら、近くの役場に行けば新しいのをくれるわ。役場はどの町にもあって、相談所や観光案内所も入っているから、何かあってもなくても気軽に行っていいのよ。役場は通信機からも24時間アクセスできて、例えば、大規模なプロジェクトのアイデアがあるけど、何処から始めたらいいか分からないとか、どんな事でも相談できるの。

たったそれだけ!さあ、あなたはもう、立派な島の一員よ!」

そう言ってディルセは、温かく抱きしめてくれた。

「不動産屋さんが来るまで、もう暫くあるわ。ここを出る前に、何か聞きたいことはあるかしら。」

そりゃあ、もう!色々あり過ぎて、思想をまとめるのに苦労した。

「個人的な事を聞いてもいい?」

そう僕が恐る恐る伺うと、ディルセはにっこりと受けとめてくれた。

「ええ、大丈夫よ」

「ディルセはこの島に何時来たの?帰りたくなったことは無い?」

少し遠い目で、彼女は教えてくれた。

「私がここに来たのは、もう大分前よ。あなたの生まれるずっと前、そうね、40年位前かしら。その時私は、南極調査隊の一員で、吹雪に会った。みんなと逸れて凍傷で意識が遠のいて、気が付いたら悪魔先生の病院にいたの。その時私は死んでいた筈だから、神様に命を助けてもらってここで生き延びる事に感謝しかなかった。そして、あなたも実感すると思うけど、この島は本当に楽園の様な所だから、ここに来て毎日幸せよ。友達を懐かしいと思った事はあるけれど、私の親はその時もう亡くなっていて、子供もいなかったから、あまり外の世界に帰りたいと思った事はないわ。もしかしたら神様は、あまり外の世界に執着しない人を選んでいるのかも知れないわね。」

「そうなんだ。でも、探検隊みたいな冒険的な仕事をしていたのに、この島にずっと籠りきりで嫌にならないの?調査の結果なんかを世界に広めたいとかは、思った事はないの?」

そこでディルセは可愛く口を窄めて、初めて少しだけ困った顔をした。

「この島には観測センターがあって、世界中の気候とか地盤などを緻密に調べることが可能だから、島を実際に出なくても研究を続けることはできるの。でも、明らかな地学的気象的変動が見られて、被害が予測されているのに、その事を伝えられないのは確かにもどかしいわ。でもね、外の世界で研究の結果を発表しても、その結果が深刻に捉えられたり、すぐに政策に響くような事は、滅多になかった。政治家は皆目と鼻の先の事しか考えないし、結局お金に左右されるから。その度に私の研究班は、悔しい思いをしていたの。そう考えると、ここでの研究が世に知れ渡らなくても、あまり変わらないような気がする。少なくてもこの島では、資金源の機嫌を伺わなくてもどんどん研究をすすめられるから知的好奇心は存分に満たせるし、重要な研究の結果はすぐに政策に反映されるから、世界的なインパクトは残せなくても、凄くやりがいがあると思えるのよ。

ここに籠りきりになっていると思った事は、正直に言ってないわ。それはもう、私が年を取っているという事もあるけれど。この島には古代遺跡や古い歴史は無いけれど、新しい発見なら次々に出てきて、それはもう素晴らしい物ばかりで楽しいし、万里の長城やピラミッドの様な物凄い建造物は無いけれど、それは同時に物凄い犠牲を払わせて建てた物は無いという事だから。それに、どうしても旅に出たいという人のためには、バーチャル旅行センターがあるわ。そこでは、研究にも使われている、超小型バイオ・オーガニックドローンから実際に現地から送られてくるライブフィード映像が、最新のバーチャルテクノロジーと一緒に取り込まれているから、本当に現地にいる様な体験ができるの。映像だけじゃなく、風や匂いも再現される。アフリカのサバンナやブラジルのアマゾンでは、原住民や動物、植物を邪魔したり傷つけたりすることなく、凄く近くで観察できるし、エジプトのピラミッドなんかは、普通の人は入れないような所まで行けるのよ。あなたもきっと、気に入ると思うわ。
どう、あなたの質問には答えられたかしら?」

僕は頷くと、次の質問を投じた。ジャーナリストが向いていると言われて、何となくその気になってきてしまったのかもしれない。

「この島の人たちは、やっぱり信心深い人が多いのかな?」

すると、ディルセはちょっと考えてから、こう答えた。

「この島には、世界中のいろんな宗教のお坊さんたちもいるけど、大きな教会やお寺はないわ。それはきっと、皆がこの島に来て初めてお話しするのが悪魔だからだと思う。神に選ばれたっていう事実と、その神が自分に悪魔を寄越したっていう事実がぶつかり合って、皆きっと考えちゃうのよね。それに、院長先生が初めになさったお話、覚えているでしょう?あの話はきっと、宗教熱心な人たちにとっては物凄くショッキングだと思う。だから、この島の人たちは、誰も神の存在を疑わないけど、どの神がとか、神に救いをとか、そういった話はしないの。困ったらお互いに話し合ったり、役場に行ったりするわ。私はきっと、それは神様が意図したことだと思っているけど。」

「それじゃあ、この島のお坊さんたちは、何をしているの?」

「それが不思議な事なのだけど、人って、誰かが亡くなるとどうしても儀式をしたがるものなのよね。だから、そういうときに、お坊さんが呼ばれたりするわ。その儀式も、国や宗派で様々だから、いろんなお坊さんがいてくれてとても便利よ。それから、役場で相談係として働いているお坊さんも多いわね。大体、外の世界でもお坊さんって相談役として活躍することが多いから。後は、神学を研究している人もいるみたいよ。」

「神様の事なら、天使や悪魔に聞けばいいんじゃないのかな?」

僕がそういうと、ディルセは朗らかに笑った。

「そうね、普通に考えたらそれが一番早いわよね。でも、天使は神様に言われた時にしか人間と話さないらしいの。例外が守護天使で、これは未成年が希望すればつけられるけれど、本当に困った時にしか現れないし、魂の叫びしか聞いてもらえないらしいのよ。知り合いの女の子で、五歳の時にこの島に来て守護天使を付けてもらったのだけど、実際には一度も会ったことがないって言っていたわ。気配もしないのですって。

それに悪魔にも、この島に入る時と出る時にしか会えないらしいの。昨日の出前の人みたいに例外はあるけれど。

だから、神様はきっと、皆にご自身の存在を気にされるより、それぞれの人生を精一杯生きて欲しいのだと思うわ。」

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