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だから私は目を閉じたりしない

「あんまり幸せじゃないなって思う時は、幸せな人を見たり、羨ましくなっちゃうような話を聞いたりするのがいいみたいですよ。」

「えー、でもそれ、キツくないっすか?」

「ですよねー。私も最初はそう思ったんですけど。でも、人は自分が知ってることしか想像できなくて、だから幸せになりたいと願う人こそ幸せを知らないといけないって、雑誌だったかな、コラムで読んで。あっ、無理はしないでいいみたいですけど。」


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世の中が不安になる少し前、数ヶ月ぶりの美容院に行った。すっかり痛んでしまった髪をどのくらい切るか、髪の色はどうするか、ゆっくり相談して施術を決めた後、その場で計算して金額を出してくれるお気に入りのお店。私の住む街では少し価格設定の高い店だけれど、その分スタッフの接客も心地よくて安心して通える。お財布事情を考えたら、節約術に長けたママ友のようにwebクーポンを使ってあちこちの美容院に行くべきなのかもしれないけれど、たまには自分にお金をかけてもバチは当たらないはずだと思って通い続けている。


担当の美容師はもちろん、アシスタントの女の子もみんな雰囲気がいい。座席の前には雑誌の他に社員旅行のアルバムも置かれていて、手に取ると誰もが嬉しそうに説明してくれる。エメラルドグリーンの海をバックに大はしゃぎの女の子たち、ビーチレストランで優雅に乾杯する男性陣、ちょっぴりハメを外した部屋でのオフショット、お土産を抱えて飛行機を待つ空港での1コマ。南の島をめいっぱい味わった思い出がカラフルにコラージュされたページをめくりながら、何が一番楽しかった?と質問すると、女性スタッフは少し考えて「決められません」と微笑んだ。その表情があんまりかわいかったものだから、私もつられて笑ってしまった。

美容院では静かに過ごしたいという人にはアットホームすぎるかもしれないけれど、私はこのふんわりとした空間が好きだ。オフホワイトの壁にダークチョコ色の椅子。行くたびに変わるアロマの香り。道具を置いたワゴンを器用によけながら動き回るスタッフと、客にわからないように目配せしながら指示を出している店長の絶妙なチームワークを見ていると、社員を大切にするいい会社なんだろうなと感じられて更に私の中の好感度が上がる。不規則で休みも少なく指先が荒れてしまうこともあるこの職業でも笑顔で働けるのは、きっと仲間と過ごす時間が楽しいからだろう。全く職種が違うけれど私も知っている肌感。辛さの共有は強固な団結力を生んだりするものだ。

それと、もしかしたらだけれど。店側も客を選んでいるのかもしれないと思う。仲のいい姿にげんなりしてしまう人はきっとリピートしないから。置かれたアルバムを手に取って質問までした私は、きっと合格できたはずだ。

私の担当は、副店長且つ宴会部長の肩書きを持つ男性スタッフ。初めて会った時はまだ20代だった彼も、そろそろ30代後半になるだろうか。知人の紹介で訪れて以来、年に数回しか来店しない私の髪質はもちろん、取り扱い方を把握してくれているありがたい存在だ。

金額を聞いた後にやっぱりシャンプーは安い方にするとかトリートメントはワンランク落としてほしいとか、恥ずかしくなるようなお願いを口にする時には勇気が必要だった。でも無理していたら定期的に通えなくなってしまうから。その甲斐あって、今ではこちらから言い出さない限り贅沢な自宅ケア商品を勧められることはない。施術自体も予算に収まる範囲で工夫して、いつも私の好きな茶色のふわふわに仕上げてくれる。時々、仕上げのセットが清楚すぎることもあるのだけれど、これが彼の考える素敵な女性像なのだろうと思って納得することにしている。どうせ一度洗ったら自己流のブローしかできないのだ。当日くらいは別人格になってみるのも楽しい。私がこの美容院に通うのは、日々のドタバタで置き忘れそうになる、自分の中のオンナを取り戻してくれるからなのかもしれない。



「最近あんまりいいことないんですよね。」

すっかり仲良くなった彼が、仕事は忙しいし、ここ数年は彼女もいないし、と軽めにグチったことから幸せの叶え方みたいな話が始まった。本気で落ち込んでいるわけではないような彼と、それほど元気ではない私だから成り立った世間話。

ドーンと落ち込んでいる時に、幸せオーラ全開の人間からこんな話を聞かされたら、間違いなく余計なお世話だと思うだろうけれど、心の一部にわずかな共通項のあるらしい私達は、お互いに適当な重みを持たせて自分に言い聞かせながら、まぁ頑張ってみますかという言葉でこの話を終わりにした。そういえばあのドラマ観てます?どちらからだったか、連ドラの感想に話を移して。


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そうだ、あの時の私は、うずくまってしまった場所でやっと顔を上げて光の差すほうへ少しずつ動き出したところだった。あれから半年、幾分、見晴らしのいい場所まで歩いてきたような気がしていたのだけれど。


たまに覗く程度だったInstagramを数日前から動かしている。偶然きれいな景色が撮れて、この写真から始めてみようかなと思ったことがきっかけだった。特に節目でもなんでもなく、思いつきのスタート。

知人をフォローバックしたら、おすすめユーザー欄に見たことのあるアイコンが上がってきた。胸をキュッと掴まれる。Facebookで見たあの人のいとこだ。迷ったあげくアイコンをクリックした。




見なければよかった。


真っ先に目に飛び込んできたのはストーリーズハイライトに編集された赤ちゃんの写真。かわいい名前がタイトルにつけられている。

知ってる、去年の暮れに生まれたんだよね。


最後に会った日の助手席であの人から聞いたから。
最後にする理由の一つだとあの人から聞いたから。

小さくてかわいい天使。
女の子だったんだ。



こんな些細な出来事が一瞬で私の景色を変えてしまう。せっかくたどり着いた見晴らしのいい場所なのに。ここからまだ先に進んで行きたいのに。

しゃがみ込みそうになるのを必死でこらえた。今がそのタイミングだったんだ。あの人が見た幸せを、今日 私も見ることになったのにはきっとわけがある。光に向かって進むためにまだ足りない。何か…





「あんまり幸せじゃないなって思う時は、幸せな人を見たり、羨ましくなっちゃうような話を聞いたりするのがいいみたいですよ。」


あの日の私が鏡に映っている。

久しぶりに美容院を予約しよう。
また動き出すために。





幸せになりたいと願う人こそ幸せを知らなくてはいけない。


だから私は目を閉じたりしない。







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