見出し画像

その風を私は信じる

「おはようございまーす」
「おっ、今日は早いね」

「早く行こうってみーちゃんと約束したんだもん」
「あー、ホントだ。きたきた」

作業服の男性が通りの向こうを指差すと、女の子は振り返って手を振った。ランドセルをカタカタ揺らしながら信号を渡ってきたお友達が元気に挨拶をする。男性の左腕には学校から支給された緑の腕章、安全指導係の目印だ。

朝、いつも見かける誰かのお父さん。毎朝出勤前の20分間、交通量の多い交差点で黄色い旗を振ってくれている。噂には聞いていたけれどかなり人気者のようだ。ハイタッチしながら通り過ぎる子もいる。


保護者には月に一度、安全指導の当番がまわってくる。担当日だった私は横断中と書かれた旗を持って男性から数メートル離れた場所に立っていた。このところ少し涼しくなった風を頬で受けると気持ちがピリッと引き締まる。子供たちが信号の向こうに集まり始めた。

大きな赤い名札を付けているのは1年生。黄色い帽子もランドセルもまだツルッとしてきれいだ。男の子と女の子がごちゃまぜに並びながら「おはようございまーす」の大合唱を披露しては通り過ぎていく。5分くらい経つとその集団に帽子のない子供たちが紛れ始める。胸元には透明ケースに入った小さな名札。高学年はだいたい体の大きさで区別できるけれど、それ以上に学年がはっきりわかるのは挨拶だと思う。目を見て「いってきます」と言えるのは、ほぼ4年生までで、5・6年生になると恥ずかしがってこちらを見ない。

お父さんボランティアと一緒に横断歩道の両脇を旗ではさみながら、ランドセルが不似合いになったお兄ちゃんたちに「いってらっしゃい」と声をかける。ペコリと頭を下げる子、口パクでおはようを告げる子、わずかに歩速を緩める子。一瞬だけ私と目を合わせる彼らからは、大声を出すのは恥ずかしいけれど無視するのは本意じゃない、そんな気持ちが伝わってきて微笑ましかった。ちょうど半分くらいの子供が通り過ぎた頃、6年生の息子がお友達と一緒にやってきて、腰のあたりで小さく手を振りながら私の横をすり抜けていった。

見守り開始から20分。そろそろ切り上げようと思った時、奥の路地から女の子が飛び出したのが見えた。そのまま横断歩道に駆け寄ると、信号が変わるのを待つのももどかしい様子でピョンピョン跳ね続けている。気持ちはよくわかる。もうこんな時間だ、学校までノンストップで走り続けなければ朝の会には間に合わないだろう。

青になったと同時にカーンという音が響いた。勢いよく振った手から滑り落ちたステンレスボトルがひと足先にこちらに向かってくる。慌てて拾い上げて女の子の手元へ。ピンクのバトンをスムーズに受け取ったランナーは、一瞬立ち止まってちょこんとお辞儀をした。

小花模様のフレアスカートが風を含んでふんわり膨らんだ。



ーーー



「あーもう、suzucoてんてー、
 きょうもおはながらのツカートじゃないの?」

「ごめんごめん。でもさ、このポロシャツと合うかな?」


幼児教室の講師をしていた時期がある。副業ではあったが、4年間ほど先生と呼んでもらった。保育科を出たのに選ばなかった子供と関わる仕事。有資格者というだけで未経験の私を採用してくれたマネージャーには今でも感謝している。当時、新米ママだった私は、通ってくれる子供たちと付き添いの親御さんから、学校では教えてもらえなかった多くのことを学ばせてもらった。


みゆきちゃんは、さ行がうまく話せなかった。ゆっくり話せばうまくいく事もあるけれど、「さ・す・せ」が特に苦手で、幼稚園では無邪気で正直で残酷なお友達からの言葉に悲しくなる日も多いようだった。

月に数回、みゆきちゃんが少し早めにやってくる日があった。〇〇くんがね、と切り出すみゆきちゃんの話を、私はそっかーと言いながら隣で聞いた。きっと、おやつも食べずに走ってきたのだろう。幼稚園が終わって2時間後には始まる私のクラスに通うのはただでさえ慌ただしかったはず。それでも、早く来る日もみゆきちゃんは服を着替え、ちゃんとかわいらしかった。

その年の年中クラスは、みゆきちゃんと特によくできる女の子の2人だけだった。字を書いたり計算したりといったワークは楽しそうに競い合っていたけれど、絵本を読む時だけはかわいそうな思いをさせたと思う。いっそのこと、数行ずつ交代で読ませる音読はやめて宿題にしてしまおうかとも思った。でもみゆきちゃん自身が読みたがったこと、クラスメイトが最後まで決して口をはさまないタイプだったこともあって続けることにした。それが正しかったのかどうかはわからない。


月例会議の時に先輩の先生に相談したことがある。みゆきちゃんが2歳の時、親子レッスンを担当していた先生で、お母さんとも面識があるからちょうどいいと思ったのだ。けれど、返ってきた言葉は想像していたものとは全く違っていた。

「私たちにできることはないから、言葉の教室を探してもらえばいいよ。あー、あのお母さんか、ボーッとして何考えてるかわからないよね」

えっ?

勤続20年近い先生のクラスは子供の人数も私よりずっと多い。お母さんのことまで気が回らないのは仕方がないのかもしれない。でも、話を聞く時にあのお母さんが体の向きを少し変えて右の耳を近づけてくることも気づかなかったのだろうか。みゆきちゃんのお母さんは左耳が聞こえづらいのだ、おそらく。

母の聴力と娘の発音が関係しているのかどうか、私には判断できない。だから相談したかったのに。私は先生にそれ以上の話はせずに、近くにある言葉の教室を自分で調べることにした。お母さんに知識不足をお詫びし、見つけたHPをもし何かの参考になればと紹介した。




「suzucoせんせー!」

年長の夏の終わり、教室に飛び込んできたみゆきちゃんは、リボンのついたミッキー型のクッキーを抱えていた。すごい勢いで夢の国での出来事を話し始めたかと思えば、音読の時間にはお気に入りの『シンデレラ』を堂々と読みきった。


「頑張りましたね」

子供たちの前では何も言わなかったけれど、お母さんにだけはどうしても伝えたかった。お腹に赤ちゃんのいる体で、週に2回みゆきちゃんを市外の言葉の教室に通わせているのを知っていたから。レッスンで使う絵本を持ち帰って一緒に家で練習していると聞いていたから。みゆきちゃんが沈んでいる日も、笑顔を絶やさない姿を見てきたから。

お母さんの行動力とみゆきちゃんの努力が生みだした成果。
もし私だったら同じようにやれたのだろうか。

教材を片付けている子供たちの背中を見ながら、成長を間近で見せてもらえた感謝を伝え、何もできなかった未熟さを詫びるとお母さんは首を横に振った。

「先生はちゃんと待っててくれたじゃないですか。みゆきのこと信じてくれましたよね」


瞳を潤ませたお母さんの声は今でもハッキリと耳に残っている。
その映像は、思い出すたびにいつも少しにじんでしまうのだけど。


ーーー


顔も声も知らない人のことを思い出すようになった。
潮の香りがする晴れた午後、奮発して自分用のお花を買った帰り道、小さなケーキ屋さんの前を通りすぎる時。昨日と同じネコと目が合った時や、傘をくるくる回す人に出会った時なんかも、ふいに。

どうしているかな、眠れているかな。
食べているといいな、笑える瞬間があるといいな。

何の力も持たない小さな心の動きかもしれない。
それでも願わずにはいられない自分がいる。


今は、見つめて、信じて、待ってみようと思う。
もしかしたらドラゴンボールの元気玉みたいに、
私の小さな祈りも大きなパワーに混ぜてもらえるかもしれないから。

バカみたいだけれど、そんなことを本気で考えている。



あれから4年、みゆきちゃんからは今も年賀状が届く。弟が増え、妹が増え、すっかりお姉さんになった笑顔の写真。添えられたメッセージは、まるっこいひらがなから筆圧のしっかりした漢字まじりの文字に変わった。きっとお友達とのおしゃべりも、もう何の心配もないのだろう。うつむいて指を差しながらたどたどしく文字を追いかけていたみゆきちゃんはもういない。いるのは今を生きるみゆきちゃんだけ。


本当はもう私を覚えていないことはわかっている。記憶をつなぎとめてハガキを送ってくれるのはお母さんだということも。それでもいつかもう一度みゆきちゃんの声を聞きたいなと思う。


もしもその時がきたら、花柄のスカートで会いに行くね。

ピンクのポロシャツとのコーデは今でも無理だけど、
ミモレ丈のフレアならみゆきちゃんきっと褒めてくれるでしょ。

「せんせー、スカートかわいい」って。



風に揺られた小さな花たちが、
過去と未来をつないでくれた10月の朝。

そういえば。

あの子は朝の会に間に合ったのかな。




**********

「noteは心の整理のため」
今までずっと自分のために書いてきました。
でも今日初めて思ったんです。「届いてほしい」と。

エチュードと聞くと真っ先にショパンが浮かびます。
別れの曲、黒鍵、革命…難しい曲ばかり。
どれも最後まで弾けない私は、こちらの企画も手の届かないところにあるものだと考えていました。本当は今も、です。それでも参加させて欲しいと思ったのは、「たまたま」とか「偶然」とか、そういうきっかけを大切にしながら生きるようにしている…という嶋津さんの言葉が優しく刺さったからです。

書いた文章を初めて届けたいと思った時に、「たまたま」教養のエチュード賞が開催されていた。そんな「偶然」に背中を押してもらった私の初参加です。

どうぞよろしくお願いします。




届けていただく声に支えられ、書き続けています。 スキを、サポートを、本当にありがとうございます。