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見えない、を伝えていく

「マスク取ると泣くんだって」

スーパーでママ友に会った。保育園で調理補助をしている彼女とはしばらくランチにも行けていない。カートを押しながら学校行事について話したあと、彼女は思い出したようにそう言った。園にいる生後6ヶ月の女の子は保育士がマスクを外した途端に泣き出すらしい。

保育科を卒業して別の道に進んだ私は現場を知らない。息子で経験したはずの0歳児も、必死すぎた日々が細かな記憶を消してしまった。6ヶ月ってどんな頃だっけ。

マスク姿で言葉を教える難しさが問題視され、ママたちの口ぐせは、早くマスクを外せたらいいねになった。透明マスクで言葉は学習できても、スキンシップが減った子供たちの心の形は今と変わっていくだろう。なんかさみしいよねと言い合い、みんなでマスク生活の終わりを願った。


「それって口を見ると泣くってこと?」

衝撃だった。マスクを外せばうまくいくと思っていたのに。

(生後6ヶ月)と検索すると、自分で触って確認する時期とあった。顔も見分けられる。ぼんやりとならもっと前からわかるらしい。

視界に入る多くの人がマスク姿。赤ちゃんは口のない顔を覚えて育つ。

もちろん両親の顔は見ているはずだ。でも働く母は指しゃぶりをする我が子を引き取ってすぐにマスクを外すだろうか。私にはできない。洗顔後までマスクをつけたままだと思う。

その子にとって口は存在しないものだった。突然現れて動きだす謎の物体。そんなの恐怖でしかない。

(マスク取る 泣く)に検索ワードを変えると、園児が給食の時間に先生を怖がるという記事がヒットした。口の存在をわかっていてもそうなのだ。


楽しく遊べないなら関わらない。それが最善だと思っていた。だから友人のお子さんとも距離を取っていたのだ。

でも間違っていたのかもしれない。


可燃ゴミの日、集積所の手前に幼稚園バスを待つ親子が見えた。園服の子が3人、抱っこの乳児が1人。

マスクをチェーンで首からさげていた私は慌ててマスクに手をかけ、やっぱりやめた。口元を隠さず子供に近づく勇気があったことに驚く。

お母さんたちに会釈をし、幼児には手を振る。たて抱っこの赤ちゃんと目があったとき「おはよ」と声に出さずに口を動かした。

誰も気づかないくらい些細なこと。正しいかどうかもわからないこと。

でもこんな積み重ねが未来を変えるかもしれないと信じるのは自由だから。私はまたどこかでこっそり口を動かすのだと思う。




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