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質問の答えは #冒頭3行選手権(最後まで)

「抜けるって感覚、わかる?」

「なにそれ、トゲとか歯とか?あっ、わかった、自転車のタイヤだ、プシューって」

どれも期待された答えでないことを察した他の女子たちがドーナツの皿から一斉に顔を上げ、瞳を輝かせた瞬間を私は見た。


「LINEとかゲームとかじゃない?グループから抜ける?いやそれはオチるか」

「うん違う、そういうのじゃなくて、もっと…」

「もっとなあに? あっ、わかった、なんかの底が抜ける!」

「ぬけるよ ぬける、ビンのそこ〜」
「ぬけるよ ぬける、ナベのそこ〜」

「底だけにそこじゃないって」

「やだ、ウケる〜」


答え合わせがおもしろいのか、話はどんどん進んでいく。誰かが歌った即興のメロディに他の誰かが歌詞を乗せる。だんだん大きくなっていく声。あぁ、あったな、箸が転がっただけでも笑える、そんな時期が私にも。


「充電コードが ぬけていた〜」
「コーラの炭酸 ぬけていた〜」
「お風呂の栓も ぬけていた〜」

「ねぇねぇ、やっぱりあれじゃない?」

「マサシとの約束、ぬけていた〜」

「それな」

「うわっ、サイアクっ」


総勢6名、甲高い笑い声が響き渡る。


まずいよぉ、と誰かが言って、一番大きな声を出した子が首をすくめた。キョロキョロ見回して、誰にも注意されないことを確認する。安堵の表情を見せたと思ったら、今度は質問した子に顔を近づけて話しはじめた。なんとも忙しい。

首を横に振る彼女。また期待外れの答えだったようだ。

「レポート提出いつまでだっけ?」

「確か、次の次の月曜」

彼女は質問をあきらめ、ちぎったドーナツを口に放り込んだ。他の子たちも思い出したように自分の皿に取りかかる。さっきの笑い声が嘘のように静かになった。


えっ、黙食?

案外ちゃんとしてるんだな。


ショッピングモールのフードコート。私はドーナツショップ前のカウンターでコーヒーを飲んでいた。買い出し後の数十分、このくらいの現実逃避は許されるだろう。

彼女たちはすぐあとにやってきて、慣れた様子で席を確保した。4人用のテーブルに隣の2人用をくっつける子、椅子を運ぶ子、ダスターを持ってきてテーブルを拭く子、冷水機から水を汲んでくる子。役割分担まで決まっているところをみると、ここは学校帰りのくつろぎスポットらしい。

色とりどりのマスク、テーブルに置かれた除菌シート、ハンドジェルの小さなボトル。隣り合う席の間隔を空け、相手の正面にならないよう気遣う姿に もうなんの迷いもない。彼女たちを見ながら、この生活もずいぶん長くなったなと思った。


「抜けるって感覚、わかる?」

彼女はどんな答えが欲しかったのだろう。



「抜ける」

私にとっては年を重ねてやっとわかるようになった感覚だ。

大切なものを失うと、それ自体はもう残っていないのに心だけが置き去りになったような気がしてしまう。引きずる、と言い換えられるような気持ち。

それが時間薬の力を借りて少しずつ薄らぎ、いつしか きれいになくなる。

抜けていく時は気づかない。何かが出ていくというのに、私はしぼむことなくちゃんと形を保っているからだ。


でもある時ふと思う。

あれ? ない?

もういいんだ。
もういらなくなったんだ。


そして気づく。

新しくこれが入ったんだ。


パンパンの風船には なにも入らない。
だから時々、中身が入れ替わるのかもしれない。
本当に必要なものだけが、私に残っていくように。


止まらない涙も、眠れない夜も乗り越えて、
抜けて、入って、また飛び上がる。

その度に私はすこし強くなる。



きっとあの子も今がそのタイミング。
大丈夫、すぐに元気になれるから。

彼女の横顔をながめながら飲むコーヒーは、
冷めきっているのに ちゃんとおいしかった。



*****


こちらの企画に参加したのはまだ暑さの残る頃。書き上げるまでにたくさんの時間がかかってしまいました。

ここで取り上げた思いは、今までうまくまとめられず横に置いておいたものです。今回、言葉にできたことで自分の中のモヤモヤが一つ晴れました。

書き出し3行だけの記事。着地点がはっきりしないまま投稿ボタンを押してしまったという事実は、想像以上のプレッシャーでした。他の記事を書いている間も常に頭から離れない、そんな有り様。でもそれが小気味良い緊張感にもなりました。

秋が深まる前に最後までたどり着けてよかった。

野やぎさん、貴重な経験をさせていただきありがとうございました。

届けていただく声に支えられ、note 3年生になりました。 スキを、サポートを、本当にありがとうございます。