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たまご色のあの恋のこと

「こういう場合、赤にするんじゃない?」

ありがとうと伝えるのが恥ずかしくて、つい言ってしまった。
電話の向こうでフッと聞こえる息遣い。
全部わかってるよと言われたみたいでもっと恥ずかしくなる。


「赤は狙いすぎだろ。それにsuzucoにはそっちの方が似合ってるよ」


20歳の誕生日、自宅に細長いボックスが届いた。玄関で荷物を受け取ったのは母で、高校生の妹も在宅中。そのまま荷物を抱えて部屋にこもるのはなんだかバツが悪くて私は二人が見守る中、包装紙を開けることにした。

わぁー。
妹が無邪気に声を上げる。
白い箱の上部についた透明の窓の向こうにギュッと詰まったチューリップが見えた。

箱からそっと取り出す。太くてまっすぐの茎、尖ってピンと張った緑の葉っぱ。一重咲きの見慣れた花も、知っているサイズよりずいぶん大きい。ゆさゆさと花たちが動き出す。

「これ、何本あるの?

 あれ…1本だけ色が違うよ。

 あー!もしかして」


妹の声がどんどん大きくなるのを背中で聞きながら、花瓶を探すふりをして席を離れた。このまま座っていたら目が赤いことがバレてしまう。

数えなくてもわかる。白いのが19本と黄色が1本、間違いない。チューリップが好きって言ったの覚えててくれたんだ。

母と妹からの質問を適当にはぐらかして、家から一番近い公衆電話まで走った。バイトじゃないといいんだけど。いてくれるといいんだけど。


ワンコール… ツーコール… スリーコール…

出ない。

小さな部屋だ。どこにいたってすぐにベッドサイドの受話器に手が届く。あきらめて切ろうと思った時、ふいにバイクの音が左耳に飛び込んできた。高円寺のコーポ、窓の下を走る原付のエンジン音。

「もしもし」

起き抜けの声はいつも以上に優しい。いざ繋がったら用意していた言葉はすべて吹き飛んでしまった。何も言えないまま受話器を握りしめる。テレカの度数表示はまだ50。そうだこれ、この前買ったやつ。東京タワーの夜景がきれいでこの柄に決めたんだった。

「suzucoか?」

ドキンとした反動で一気に言葉が溢れ出る。

「親が見るかもしれないのに、堂々とこんなことできるのセンパイくらいだよ。それにさ、1本変えたチューリップの色だけど。 こういう場合、赤にするんじゃない?」

一番伝えたい言葉は時々どこかに隠れてしまう。

嬉しかったと言い出せず声を震わせる私に、センパイは優しい息遣いでこたえてくれた。

ーーー


2つ年上のセンパイと初めて会ったのは、市ヶ谷キャンパス内の一室。短大で入った軽音部は別の大学のサークルと一緒に活動をしていて、その日は入部の挨拶のために大学に出向いていた。サークルで使っている狭い部屋には、ギターやベースを背負った個性的なファッションの人たちが入ってきたかと思えばまたすぐ出て行って、その度に私は「はじめまして」と「よろしくお願いします」を繰り返していた。センパイは奥の方のパイプ椅子に座ってギターの弦をはじいていたと思う。他の人との話から察するに、今日はあまり授業がないようだった。

誰かがアンプのスイッチを入れた。センパイがギターを弾きはじめる。誰かが歌い出す。別の誰かのベース音が混ざってくる。そこに誰かのサックスが重なって…

すごい。みんな好き勝手にやっているように見えて、気づくと曲ができあがっていた。即興演奏、こんなに間近で見たのは初めて。思わず手をたたくとセンパイが驚いた顔をして私を見た。一瞬目が合う。それだけ。特に印象的なことはない、そんな出会いだった。


サークルの夏合宿は毎年同じ宿に泊まることになっている。オフシーズンに貸しスタジオをやっているスキー場まではバスで約6時間。午前中に出発しても宿に着くのは夕方になるから昼食はバスの中で簡単に、とはいえせっかくの旅行だからイベント性も出そうということでみんなで持ち寄ったものを食べるのが恒例だった。飲み物やお菓子は男性陣が、軽食は女性陣が用意する。私は他の何人かと一緒に、おにぎり準備隊となった。

「サンドイッチもあるんだし、1人20個も作れば十分じゃない?」

20個って、それ旅行当日の朝作るには結構な数なんですけど。そう思いながらも新入りに言えるはずがない。私は 鮭、たらこ、梅おかか、そして自分の好きな炒り卵のおにぎりを5個ずつ作った。かわいいラッピング用のシートなんて知らなかったあの頃、サランラップでひとつずつ包んだおにぎりを味ごとに分けて、さらにアルミホイルで包むのが精一杯。4つの大きな銀のかたまりは、サンドイッチ組の華やかさに比べたらなんとも不格好な仕上がりだったけれど、こういうのは見た目じゃないから大丈夫、そう思うことにした。

男性が多かったからかもしれないし、友達が作ってきた混ぜ込みにぎりがカラフルで、見るからに美味しそうだったからかもしれない。理由はともあれおにぎりは大人気だった。私の地味系おにぎりもかなり奮闘したと思う。あっという間になくなったのだから。一種類を除いては。


「それ、中身なに?」
「炒り卵です。ちょっと甘い卵が入ってます」

そう言うと、みんな手を引っ込めてしまう。面白がって持っていった人はいたけれど、手元にはまだ3つの炒り卵にぎりが残っていた。小さい頃からずっと食べているわが家の味なのにな、そう思いながらラップを外してかじりついた時、これもらうわ、と言う声が頭上から聞こえて、おにぎりが2つ消えた。顔を上げて振り返ると、シートの隙間から自分の席に戻って行くセンパイが見えた。



いつから一緒にいるようになったのか詳しいことは忘れてしまった。でも、お花をもらって距離が縮まっても1番になれなかったことだけは覚えている。センパイの彼女は背の高い美人だとドラムの上手な先輩が教えてくれて、チビの私は心に鍵をかけることにした。

センパイのそばで笑っていられるだけでいい。ウソだかホントだか自分がわからなくなった日もあった。距離が開いてしまった時期もあった。もう一度会えた日、センパイは彼女と別れたと言った。お花をもらって何度目かの誕生日が過ぎたころだった。



「オマエとケンカなんかするわけないだろ」

私がどんなにむくれても、そう言って笑っていた人。一緒に歌って、ドライブをして、たくさんの星を見た。初めて入ったライブハウス、初めて座るバーカウンター。他にもたくさんの初めてを教えてもらった。どんな時も絶対的に守られているような恋だった。


だからあの日、初めてセンパイの悲しそうな目を見た時、
今度は私が受け入れる番なのだと思った。


当時、私が作った短歌が古いノートに残っている。


「君の夢という名の新種
 5年もの栽培期間とアメリカの土」


字あまりで短歌と呼ぶのも忍びないけれど、それでも書かずにいられなかったあの時の私は、残された2人の時間を笑顔で過ごせていたのだろうか。


待ってろと言わないセンパイと待ってると言えない私。
黄色のチューリップの花言葉は『望みのない恋』だった。

ーーー

昼の便で日本を発つセンパイを成田まで見送った。


「電話するよ」

「手紙書くね」

私たちは、その言葉に何日すがって過ごせるのだろう。
その決意にどれだけ光を当て続けられるのだろう。

握っていた手をそっと離す。
エスカレーターに乗った背中が視界から消える直前、センパイが大きく手を振った。

ドラマで見たのと同じだ。

そういえばあの後、良介と桃子はどうなったんだっけ。



展望デッキに出ると、見送りを遠慮してくれたサークルの仲間が待っていた。みんなの顔がボヤけて見えなくなる。一気に押し寄せてきた感情にまっすぐ立っていられなくなって慌ててフェンスを掴んだ。

飛行機が小さな点になるまで、誰も何も話さなかった。しゃくりあげる私のそばでただじっと待っていてくれた。冷たい風を正面から受けながら、センパイが雨オトコじゃなくてよかったと思った。


帰り道、仲間が渡してくれた封筒には小さなカードが入っていて、せっかく引っ込んだはずの滴がまた頬をつたった。


「俺といて困ったら言え、ってどうせ電話なんてかけてこれないだろうから、suzucoのおにぎり食いに帰った時に直接聞いてやるよ」


センパイらしい。
堂々とこんなこと言えるのセンパイくらいだよ。

カードのすみには赤いチューリップがちょこんとプリントされていた。



*****


み・カミーノさんの素敵なnoteを読んでこちらの企画を知りました。



遠い日の記憶。
彼とハッピーエンドを迎えることはできませんでしたが、信頼できる友人としての関係は今も続いています。昔の仲間と一緒に思い出話ができる心地よい距離感。時間って本当にすごいなと思います。

参加させていただき、ありがとうございました。





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