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よし子おばちゃんのおむすびと、大人になったわたしたち

「このおむすび、よし子おばちゃんが昔作ってくれたのと似てるな」

真っ黒のネクタイを少しだけ緩めて、ポツリと従兄が言う。

その横にいる別の従兄は、言葉少なだ。ななめ上の天井をずっと見つめたまま、タバコを吸っている。タバコの煙と一緒に、ふぅーっとため息のような声が漏れた。

「ん?どれどれ。あ、ほんとだ。ちょっと小ぶりな俵型。この形のおむすび作るのは、よし子おばちゃんだけだったよね、親戚のなかで。なんか懐かしい」

紅を引いていない片化粧の従姉は、指で小さな俵型をつくり、寂しそうに口元をゆがめた。

俵型のおむすびかぁ。

和室の角で正座をしていたわたしは、テーブルに置かれたおむすびを見ようと立ち上がった。首元のパールのネックレスがふわりと浮く。

よし子おばちゃんの通夜で振る舞われたおむすびは、偶然なのか必然なのか、俵型をしていた。

喪服に身を包み、おむすびを見つめているのは、幼いころからよし子おばちゃんの俵型おむすびを食べ慣れた、今は50代になったわたしたちだった。

母方の親戚はとても仲が良く、親戚づきあいが濃密だった。

結婚後、母は実家の隣町に引っ越した。人数の多い母の兄弟姉妹も、結婚後は実家の近くか近隣の町に住んでいた。

お盆、お彼岸、年末年始はもちろんのこと、地域のお祭りのときも、親戚の祝いごとがあるときも、特になにもなくても。なんやかんや理由を作っては本家に集まり、食べたり飲んだりしたものだった。

お盆やお彼岸などの節目の行事には、本家に親戚一同が集まる。そのときには、2間続きの和室を仕切るふすまは取り外された。

続き部屋になった合計18畳に、4~5台の食卓を並べる。奥の食卓には大人の男たちが、真ん中から手前の食卓には女たちと子供が座った。毎回40人くらいは集まったと思う。

田舎の手料理が食卓に並ぶ。煮物、揚げ物、炒め物、のり巻き、刺身、けんちん汁、漬物、乾物、サラダ、ゼリーなどで、食卓はあふれそう。瓶ビール、徳利、ワイン、瓶のジュースなどがあちこちで群れを作っている。

食べて飲んでおしゃべりワハハ、食べて飲んでおしゃべりワハハ。親戚が一堂に会すると、大人も子供も朝から晩までこの繰り返しだった。

大人たちがほろ酔いになると、家庭用カラオケ機器が運ばれてくる。玄関も窓も開け放しで、昼間からマイクで歌っても苦情がこないのは、近所に家がまばらだったからだろう。

ダントツに歌が上手だったのが、“よし子おばちゃん”。ちょっとぽっちゃり系のよし子おばちゃんは、こぶしのきいた通る声で演歌を見事に歌い上げ、親戚一同の拍手喝さいを浴びていた。

よし子おばちゃんの歌声に魅了されプロポーズしたというよし子おばちゃんの旦那さんは、大きな手拍子をしながら、「よし子~、いいぞぉ!」と合いの手を入れる。その合いの手に応えるように、よし子おばちゃんは嬉しそうに手を振った。

そんな光景が年に何度も繰り返された。当時のわたしはまだ子供で、食べて飲んで遊ぶことに忙しくて気づかなかったけれど、いま思うと、あのときの女性陣はどれほど大変だったんだろう。

1日中食卓には食べ物が尽きることなく並び、料理担当の女性陣は座る暇もなかったにちがいない。

台所で働く女性陣は、本家を守るお母さん(わたしの祖母)を筆頭に、長男の嫁、息子の嫁たち、本家の娘たちなどで、わたしの母もそこにいた。

大人の女性だけで12、3人はいたから、それなりのいざこざはあったのだろうが、台所から聞こえてくるのはいつも賑やかな笑い声。あっけらかんとしたお嫁さんが多かったからなのかもしれない。

1日中食べて飲んで大騒ぎした後、お開きになる小一時間ほど前に必ず出てくる料理があった。

その料理は季節を問わず行事を問わず、何年経っても変わらなかったから、台所を切り盛りする女性陣が、それを定番と決めていたんだろう。

最後にツルリとお腹に入れるのにはちょうどいいし、もし余ったとしても、ラップでササっとくるめば、各自が家に持って帰ることもできる。たらふく食べたあとでお腹がいっぱいでも、これくらいなら食べれそう。そう思わせる料理だった。

その料理が、おむすびと小鉢うどんのセット。

小鉢うどんはあっさりとした醤油味で、甘辛く煮た干し椎茸と、とろろ昆布と、たっぷりの白ネギがのっていた。

おむすびは女性陣が手分けして作ったもの。お皿に並べられたおむすびが、各食卓に1皿ずつおかれる。

女性陣が手分けして結んだものだから、おむすびの形や大きさ、海苔の巻き方はそれぞれ違う。

そのなかでも一際目立っていたのが、“よし子おばちゃん”のおむすび。

ほかのおむすびはどれも三角形をしていたが、よし子おばちゃんのおむすびだけは俵型だった。

俵の真んなかあたりに、クルリと海苔が1周巻かれている。海苔の幅と、海苔を挟んだ両側のご飯の幅がほぼ均等になるように、海苔はきれいに巻かれていた。

散々食べてふくれたお腹には、三角形のおむすびはどれも大きすぎるような気がして、最初にスッと手を伸ばすのは、よし子おばちゃんのおむすびだった。

よし子おばちゃんの俵型おむすびは小ぶりで、子供の小さな手でも食べやすい。おむすびに唇が触れると、ご飯がホロリとくずれる。ふわっと結んであり、お腹にズシンとこない。不思議とおかわりできちゃうのだ。

だから、よし子おばちゃんのおむすびは子供たちにいつも人気で、すぐに売り切れた。

「俵型おむすびもっと食べたい」と言うと、たったいま台所仕事を終えて席に着いたばかりなのに、よし子おばちゃんは嫌な顔1つせずに、おかわりのおむすびを作ってくれた。ご飯が余っているときは、家に持ち帰るぶんまで結んでくれた。

海苔が均等に巻かれ、ふわっとした俵型おむすびを食べ終わると、あぁ、もう家に帰る時間だな。毎回そんなふうに思ったものだ。

「お茶でも入れようか」

通夜振る舞いの沈黙を破るように、従妹が大きな急須でトクトクとお茶を注いでくれた。

俵型おむすびにかけられたラップをはずし、従兄弟たちがおむすびを口に運ぶ。

「同じ俵型だけど、よし子おばちゃんのおむすびのほうが断然うまいよな」

「塩味がほんのり効いてたよね。あの塩加減が最高だったなぁ」

「よし子おばちゃんのおむすび、ふわっと結んであって、よくおかわりしたよな。懐かしい。もう1回食べたい」

子供のころからよし子おばちゃんのおむすびを食べ慣れて、今はすっかり大人になったわたしたち。よし子おばちゃんの俵型おむすびを思い出しながら、それぞれが黙々と通夜振る舞いのおむすびを食べる。

食べながら、胸の奥から込み上げるなにかを押し戻すかのように、ゴクリゴクリとお茶を飲む。言葉少なになった従兄弟たちも、わたしと同じようにゴクリゴクリとお茶をのみほしていた。

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ハスつかさんの、こちらの企画に参加させていただきました。

おにぎりではなく「おむすび」と呼ぶところが、【結ぶ】を連想させてくれていいなぁと思いました。ハスつかさんは、人と人とのつながりや縁を大切にされている方なんだろうなぁ。

この企画のおかげで、懐かしい親戚のおばちゃんの話を書くことができました。ありがとうございます。




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