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息子の言う「かわいい」は無敵だ

火の女神の名前はひかりちゃんだった。

文化祭の後、自校の生徒だけで行う後夜祭。事前の投票で選ばれたひかりちゃんは、白くてサラリとした薄い生地の衣装を纏って登場した。みんなの前をぐるっとひと回りして、持っていたトーチで火床に点火する。うつむきがちで表情はよくわからなかったけれど、頭に乗せていた冠が、選ばれた者だけの勲章みたいにキラキラしていた。

彼女は私にないものを二つ持っていた。
もちろん火の女神に選ばれるくらいだから見た目の美しさは別格だけれど、それ以外で二つ。


太陽のように明るく、利発な女の子になりますように。ひかりちゃんのご両親はきっとそんな願いを込めて「陽利」という漢字を選んだのだろう。最後に「子」の付かない名前というだけで羨ましかった10代の頃。当たり前のように「子」で終わり、商店街にあるスナックの看板に似合いそうな名前をもらった私が持っていなかったもの、まず一つ目は華やかな名前だった。


その上、彼女は華奢だった。放課後のグラウンドで見かけたことはなかったから、おそらく文化部に入っていたのだろう。小柄で色白で声は小さめ、いつもみんなの後ろで微笑んでいるような女の子。同じクラスになったことはないから勝手な印象だけれど、廊下で見かける彼女は決して目立つタイプではなかった。私は運動部で夏は真っ黒、どんなに薄目で見ても華奢とはほど遠いスタイル。ひかりちゃんにあって私に足りなかったもう一つは、圧倒的な女の子らしさだった。


とは言っても、その二つが欲しかったわけではない。父がつけてくれた名前は秘かに気に入っていたし、微笑むよりも仲間と大笑いしている方が断然私らしかった。スタイルはちょっと羨ましかったけれど、それも部活終わりに近くのスーパーに寄り道する時間と比べたら些細なこと。みんなとおしゃべりしながら食べる100円のアイスは本当においしかった。




でも、あの時。
彼女が三つ目を手にしたあの日ばかりは、さすがに穏やかではいられなかった。


「後夜祭のあと彼女に告白したらしいよ。で、付き合うことになったんだって。」
「まぁお似合いだよね。インターハイ出場選手と女神さまだもん。」

友人たちのそんな会話を聞きながら、そうだよね、背の小さい子が好きって言ってたもんね、なんて心でつぶやく。あなたの元カノは、背は小さかったんだけどすぐ大笑いしちゃうし、駅前の喫茶店のパフェがおいしいから一緒に行こうって誘われれば喜んでついていっちゃうような子だったもんね。そっか華奢な子が好きだったんだ。でもさ、彼女だってあのパフェ食べたら太っちゃうかもよ。バナナとチョコと生クリームいっぱいのすごいやつだったもん。


なんのスイッチが入ったのか、私はそれから毎晩走るようになった。サランラップを巻いて運動すると痩せるらしいと聞いて、お腹にも足にも巻いて走った。アイスはもちろん封印、友達には願掛けをしていると言って、おしゃべり会にはお茶で参加した。食事の量を極端に減らし、水分も最低限しか摂らない日々。心配した家族に何度も説得されたけれど私は取り憑かれたようにダイエットを続けた。痩せたらきっとかわいくなるから。私も華奢になれるから。

生理が止まってやっと、自分が間違ったことをしていると気がついた。



ダイエット前より見た目が良くなったのかどうかは別として、私には新しい彼ができた。一緒に大笑いをしてアイスを食べてくれる人だった。電話がかかってきたのは、もうアイツのことなど気にならなくなった頃のこと。


「やっぱりオマエじゃないとダメなんだ。」

この人は何を言ってるんだろう。
そう思った。


「火の女神はおとなしすぎるんだ。
 オマエの方がかわいいよ。」


ふざけるな。


深呼吸をして、めいっぱい明るく答えた。

「ごめん、私はあなたではダメなんだ。」



この経験は私の盾になったのだと思う。サークルの打ち上げで憧れの先輩にかわいいと言われても、酔っぱらった友達の彼にかわいいと言われても、私は笑ってスルーできるようになっていた。

銀座のクラブのママに「この子かわいいやろ」と紹介するのは、隣に座らせておくには化粧の仕方もよくわかっていないような私がラクでよかったから。同僚に「コイツかわいいだろ」と紹介するのは鼻筋の通った長身の彼女とケンカしたすぐ後だったから。


自分より弱い者に対する「かわいい」を見抜けるようになった時、本当に大切にしてくれる人は私に「かわいい」を言わないことに気がついた。多分、同じ目線で私を見てくれているからだ。かわいいよりも素敵な褒め言葉が世の中にはたくさんあることを私は知った。



だけど。

たった一つだけ例外がある。


ーーー



「ママは、ほんっとかわいい。」

息子がこっちを向いて笑う。外では私をお母さんと呼ぶくせに陰ではまだベッタリ。そんなキミの方がうんとかわいいよ、なんて思いながら私はそれを口に出さずに笑い返す。

友達のお母さんよりだいぶ年上の私に、かわいいはきっと似合わない。自分の機嫌で接し方が変わってしまうほど余裕のない母は、口紅をつけ忘れることだってある。それでも屈託のない笑顔で贈ってくれる言葉は、心を上向きにしてくれる私のお守りだ。


「ママはかわいいんだよ。怒ってる時はちょっとあれだけど。だからいつも笑ってた方がいいよ。ニコニコしてるママは、ほんっとかわいい。」


たった一つだけ例外がある。

息子の言う「かわいい」は無敵だ。


***


こちらのエッセイコンテストに応募させていただきます。


かわいいと聞いてまず初めに浮かんだエピソードがこれだったことで、意外にも古傷になっていたことに驚いています。
でもおかげで、息子からもらっている「かわいい」の尊さにも気づけました。

素敵な機会をありがとうございました。



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