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愛は炊きたて

久しぶりに高熱が出た。
午前2時、暗闇に光るデジタル文字は38.8。
予想以上の数値に驚きつつ、安堵も少々。

若い人ほど熱が上がるというウワサがどの程度信頼できるものかわからなかったけれど、2回目の接種後に はっきりと感じる副作用がなかったら、不安を覚えるのはわかっていた。それでも平熱が低いだけにこの数値は想定外。

やっぱり仕事を外してもらってよかった。そう思いながら、受けていればもらえたはずの報酬について考えてしまう。断ったのは明日から数日セットで動く案件で、せっかく声をかけてもらえたイレギュラーな仕事だった。電話の向こうで担当者は「2回目の後は万全がいいですから。枕元に菓子パンとポカリは必ず備えてくださいね」そうアドバイスをくれたあと、また電話しますと言って電話を切った。また、か。次に起用してもらえる確率を考えようとして意味がないことに気づく。こういうのはタイミングが重要なのだ。

息子の誕生日プレゼントは削れないから、欲しかったバッグはまたにしよう。ポカリはちょっと苦手だからアクエリアスでもいいかな。あっ、今月の請求書って今のうちに作っておかないと間に合わなくなるんじゃない?まって、菓子パンと一緒にカップラーメンも買っておけば便利かも。

あっちこっちに飛ぶ思考。体調を崩したくないから打つと決めた注射なのに、直後にほぼ不具合が出るとわかっているのはなんとも不安で落ち着かない。結局、特別な準備もせずに当日を迎え、接種後、菓子パンとカップラーメンとアクエリアスとアイスを買って家に戻った。枕元には鎮痛剤と冷えピタ。息子と段取りを打ち合わせておく。夏休み最終週、気晴らしの外出もできず、部活動も中止でさぞがっかりしているだろうと思ったら、休み明けのテスト勉強とゲームで手一杯らしい。同級生とはオンラインで繋がれるし、さみしくないとのこと。さすがインドア派、たくましい。

夕方から徐々に上がった熱は、寝る直前、ちょうど37度だった。でも、体内にはあきらかに熱がこもっていたから枕をアイスノンに変えて布団に入る。そして午前2時の高熱。

こんな熱、何年ぶりだろう。もしかしたら何十年ぶりかもしれない。こういう時はすぐに薬を飲むべきなんだっけ?息子が小さい時、小児科の先生はすぐに薬をくれなかった。熱は菌と戦ってる証だからと。でも友人は、大人は我慢しないで薬を飲んだ方がいいと言っていた気がする。あー、もうどっち?暗闇で検索してみると、飲んでいいとは書いてあるけれど、飲まない方がいいのかどうかの肝心なところがわからなかった。こういう時に困るのは優柔不断な性格だ。スマホを片手に悩むばかりで決められない。ただ、寝つきがいいことは幸いした。結局そのまま寝落ちしてしまう。

数時間ごとになんとなく目を覚ましながら気づけば朝。38.6度。やっぱり下がっていないか。昨日はなかった頭痛がプラスされたため、さすがにキツイ。とりあえず薬を飲むことにした。

ここからの丸一日、寝たり起きたりを繰り返しながら、途中、冷やしておいた小さな蒸しパンを一つだけ食べた。寒がる私に息子が布団をかけてくれるのを見ながら、いつの間にか大きくなっちゃったな、なんてぼんやり考えた。新しいアイスノンと冷えピタを渡してくれる中学1年生はもう、手をキュッと握って私を見上げていた男の子ではない。こんな時に気づいてしまうなんて。弱った心に息子の成長は刺激が強すぎたようだ。そのあとの記憶がほとんどないまま、翌朝を迎えた。




目覚めると嘘のように体が軽かった。昨日までの熱はどこかに消え、残ったのは少しの頭痛だけ。途端に激しい空腹を覚える。体全体が我に返ったみたいだった。

息子は私のそばで眠っていた。今日は日曜日。起こさないように布団を抜け出し、顔を洗って新しい部屋着に着替える。キッチンから聞き慣れた電子音が聞こえてきて、あれっと思いながら見に行くと、朝8時の予約炊飯が完了したところだった。こんなこともできるようになっていたんだね。

コップに一杯の水を飲み、ふうーっと息をつく。炊飯器を開けると立ちのぼる湯気からほんのり甘い香りが伝わってきた。ゆっくり しゃもじを入れる。炊きたてのお米はつやつやで一粒一粒がふっくら。そして適度に粘り気があった。

「あーおむすび食べたい」

ラップを取り出し調理台に広げ、しゃもじでお米をドサッと乗せる。自分用だと思うと分量も作り方もいい加減。なにか具になるものをと考えて、冷蔵庫に知人が送ってくれたちょっとおいしいふりかけがあることを思い出した 。「いか昆布」半生タイプ。全国ふりかけグランプリ金賞のシールが貼ってあるやつ。あれを入れてみよう。取り出した冷たい袋を逆さにして振り、お米の真ん中あたりに中身をガサッと乗せる。ラップを両手で持ち上げたら、具の部分をそっと押しながら包み込んでギュッと握る。ドサッ、ガサッ、ギュッ。たったこれだけの工程で、三角と丸のハーフみたいなおむすびができた。海苔も巻かない、塩もふらない。素敵女子のランチだったら軽く2個分くらいあるビッグサイズ。

それを立ったままほおばった。

食べ進めていくうちに、さすがにお腹が満たされてきて、とりあえず椅子に座った。ペースを落として食べ切った頃には体中がポカポカ、いつもの私に戻っていた。

コーヒーを落としていたら息子が起きてきて「食べられたんだね」と言った。ニコッと笑った顔があどけなくて、なんだかすごく安心してしまった。

洗面所に走っていく背中に「ありがとー!」と声をかけたら返事はなかったけれど、きっと向こう側には照れ笑いする息子の顔があったはず。

そうだ、息子のおむすびには好物を入れてあげよう。私はグリルに鮭を並べて、コーヒーのおかわりをカップに注いだ。



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こちらの企画に参加させていただきます。


最初に企画を見た時、これは私には書けないと思いました。白米は好きだけれど、手軽に食べようと思ったらパンを選ぶ方が多いし、そもそも心からおむすびを食べたくなる瞬間がどうしてもイメージできなかったからです。

でも、体がエネルギーを求めた時、私が欲したのは間違いなくおむすびでした。「あーおむすび食べたい」(厳密には「あーおにぎり食べたい」でしたが)の気持ちが本当に沸き上がってきたんです。お米のパワーってすごいなと思いました。

ハスつかさんの食リポートに登場するおむすびたちとはまったく違って、ぜひ食べてくださいと言えるようなものではなかったのですが、息子の心が込められた炊き立てご飯のおむすびは、私にとって最高のごちそうでした。

書き残しておく機会をいただき、ありがとうございました。

最後になりましたが、ハスつかさんの1000日チャレンジの成功を陰ながら応援しています。


届けていただく声に支えられ、書き続けています。 スキを、サポートを、本当にありがとうございます。