長面

事前復興 今ある暮らし

Q 1:私の家と周辺環境
A 1:家は何坪あり、その家と外部環境との関係はどのようになっているのか

Q 2:その一、私たちの住まい「住んでいる町・集落」はどのような生活で担保されているのか
A 2:一次産業、二次産業、三次産業、六次化、半◯半◯、四半◯四半◯四半◯四半◯

Q 3:私の家と隣の家の関係はどのくらいの範囲で形成されているのか(集会所単位)
A 3:30世帯、100世帯、300世帯、1000世帯

Q 4:集会所単位に在る施設は
A 4:八百屋、魚屋、郵便局、コンビニ、スーパー etc

Q 5:隣接する集会所単位との重なり方は
A 5:全く別、スーパーは一緒、娯楽施設は一緒 etc

ここでは個人単位から集会所単位の暮らし方を尋ねている。
東日本で考えれば、これが最も機動力と組織力の高いまとまりであり、これの再生なくして復興はないんではないかなと考えているためである。

例えば、漁村集落は一次産業のなかの漁業の中の養殖産業であり、世帯数は30世帯、施設はなく、隣接する集会所圏域にコンビニがある、といった具合である。
一時産業集落に特化している場合、実は自分で畑を持っている人も多く、物々交換の文化も残っていた。
週末に大型スーパーへ車で買い物へ備品を買い貯めてはいるが、必要最低限の暮らしを集会所単位で担保している。

ふと思う。都市にはこうした機能がない。
自分の住んでいる地域に対するコミュ二ティを持っていない人は恐らく上記のような質問、特に1、2は答えづらいのではないかと思う。
他人の暮らしに対して、イメージの弱い想像をするしかない。
その代わりに別のコミュニティの存在、会社のコミュニティ、趣味のコミュニティ、が存在する。
それさえないと、災害時に頼る人がいない震災弱者になる可能性が高い。
なので、これから当てはまるのは集会所単位を意識できる人たち向けへの文章である。

Q1-Q5をまとめれば、集落(集会所単位)の構造が捉えやすくなる。
これを地図に落とせば、集落のマップ、人々の活動マップが出来上がる。
また、マップ上で余白が出てくるところ、または活動が重なる場所が浮き彫りになる可能性がある。
それが集落が集落らしさを築くきっかけとなっている可能性が多いにありうる。
無意識下における集会所単位の「暗黙の了解」的土地利用である。
余白はある時はただの更地になっているけれども集落の生活道路になっている場合があったり、活動の重なりは共同作業場のような同じ生業を持つ人たちの場所であったりする。

震災後の津波被災地にはこうした場所の記録は残念ながらほぼ残っていない。
そのため、蛇足ではあるが、「記憶のまち」は本当に良いプロジェクトだと感じる。全てが更地になってしまった津波被災地の痕跡を、人々の活動や記憶が重なり、描き出すのである。

標題は事前復興である。
震災がきていない地域は、Q1-Q5のような質問に答えるのは容易だと思う。
集落が、まちが街らしく存在していることを記録するのが何よりも事前復興の準備だと思う。
例えば、防潮堤を建設することは対策の一つであることは間違いないが、あくまでも対策の一つである。
震災前に考えたるべきことは、どんな震災に直面しても人や集落が、これからどう生きていくか、持続可能な生き方に対する思慮を持てるかだと思う。

現実論を伝えつつ、事前復興について

復興事業が動く際、予算要求が必ず必要となる。
大災害の際は市町村への国庫補助が基本となるため、地域への不平等さを無くすために統一した見解やルールの基で事業が実施される。
それに対し、地域ごとのきめ細やかな復興と対応をしていくのには、国(出資元)に対する証拠・大義が必要となる。

「私たち集落はこうした集落なので、これを達成するために、これだけの予算が必要である」
とは言え、そういうことをみんなが自由に言い出すのは筋が悪い。
国や自治体の予算が潤沢にある時代や人口が右肩上がりの時代はこれでも構わないかもしれないが、そういう時代は私が生きている間には訪れないだろう。
とすれば、
「私たち集落はこうした集落なので、これを達成するために、これだけの予算をこっちの事業からこっちの事業へ回させて欲しい」という判断が必要になってくる。東日本は前者のようなシステムで運営しているし、後者のような運営は非常に難しかったと言わざる得ない。

そして、この予算付けの優先順位は、地域を知らないと計画づくりは困難を伴う。繰り返しになるが、国が統一のルールとして適用する一般論的計画は平等性を念頭に置いているものであるから、それを遵守すれば(ある意味で)平等なまちは出来上がる可能性は存在するからである。

優先順位は To be weired、to have civic pride for my or our town、といった個人・集落の強さや、首長の(日本経済、地域経済、政治、計画屋等の総合的)判断が必要となる。

その時に直面する問題は、事業毎に予算がつくというsectionalism「縦割り社会」である。ちなみに、それを超えるために創られた復興庁(そういうものだと思っていた)は東日本大震災では機能不全で、手続きを増やす審査機関が増えただけであった。

事前復興
・集落、まちの素敵なところを見つけ、育て、競争力を持たせ、産業とする ⇄ 永く続く集落はなぜこの集落が続いているか、何が集落を集落をたらしめているかを考える。
(To find why sustainable villages have lasted for a long time)
上記を探していくことで、「私たち集落はこうした集落なので、これを達成するために、これだけの予算をこっちの事業からこっちの事業へ回させて欲しい」という話が出来るようになってくる。

震災後
・初期段階で、sectionalismを統合する予算から計画まで見渡す部署の創生ー首長の直轄室の設置(既存の部長を集めるのではなく、直轄・実働部隊の編成である)
・投資先を集落構造・産業構造から判断する。

最後にちょっとした妄想である。

リアス式海岸部の小さな浜を持つ集落は何百年と海と山と供に暮らしてきた場所である。
そこでは今、高台移転と防潮堤事業が動いている。
恐ろしい津波に襲われたとしても、海が見えずして生活を育むことができるのか些か私は懐疑的である。また、高台移転者の多くは高齢者であり、数世帯から数十世帯単位で移動している。
おそらく、数十年後には高台が必要なくなる集落が出てくるだろう。

人が棲みつくのは自然の豊かさ、無理のない暮らしが基本だと感じている。
その時に、防潮堤が存在し、海も見えず、環境の豊かさが直感的にわからない場所に魅力を覚えることができるのであろうか。

本来かけるべき防潮堤事業にはお金を払わず、
低平地への居住許可(本来災害危険区域指定することで国が被災者の土地買収による収入は、防潮堤事業費の分配により担保)し、津波が来た場合に備えて避難路だけ整備するので良かったのではないか。
現地嵩上げなど余分なことを考えなければ、早期の移転も完了出来る。
本当に資産を守るというのであれば、最低限の道路と供に資産を守るためのtiny house住宅と別荘地的につくり込み、居住地の分離を図る。

自然環境と供に暮らすのはリスクと供にリターンと供に暮らすことだと同義ではないのであろうか。
昔の人は山裾から住み始め、山の方へ行き、最後に海の方に集落を広げているという歴史的背景を聞くと、ふとそんな風に感じる。

何が、その場所で暮らしていくうえで重要なことなのか、生活する人自身、それを支える事業主自身で日々考えることが事前復興の始まりであると考えている。

次回は、コミュニティの単位について考えてみたい。

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