科学では解明できない記憶伝搬の事実

1926年にインドのデリー(Delhi)で生まれた娘シャンティ・デヴィ(Shanti Devi)は、4歳の頃からマトゥラー(Mathura インド北部・デリーから約140kmの都市)出身で夫と家族がいると主張し始めた。当初、彼女の両親はこの主張を単なる想像だと一蹴した。それでもシャンティは6歳のときに家出し、家に連れ戻された。やがて彼女は通学する校長に打ち明け、マトゥラー方言で話し、夫の名前をケダルナート(Kedarnath)と名乗り、眼鏡をかけた色白の店主で左頬にイボがあると言った。彼女はまた、子供を産んで10日後に死んだとも言った。

興味をそそられた校長が調査したところ、ケダルナート・チャウベ(Kedarnath Chaube)という店主を見つけた。彼の妻ルグディ・デヴィ(Lugdi Devi)は確かに息子を出産した10日後に亡くなっていた。

その話を聞いたチャウベは変装してデリーに行くと、シャンティはすぐに彼に気づいた。彼はシャンティが亡き妻の生まれ変わりだと確信した。

この話は全国的に注目され、マハトマ・ガンディー(イギリス領からインド独立に至る政治指導者、宗教家)にまで届き、彼は調査を決意した。1935年、シャンティーが9歳のとき、彼女はマトゥラーに連れて行かれ、そこで何人かの家族に気づき、死の床でルグディ・デヴィと交わした約束(再婚しないことなど)にまで言及した。1936年ガンジーの委員会報告書は、シャンティが妻ルグディ・デヴィの生まれ変わりであることを認めた。

何年もの間、シャンティ・デヴィは様々な研究者からインタビューを受け、彼女の主張を支持する者もいれば、異議を唱える者もいた。彼女は結婚することなく、1987年に61歳でこの世を去った。