銃殺を免れたチェスの名人

1950年代のモスクワ、冬でも雪の降るツヴェトノイ大通りでは、チェスプレイヤーたちがゲームをする。私の好きなチェスの話のひとつに、ロシアのグランドマスター(国際チェス連盟が定めた名人位)、オシップ・ベルンシュタイン(Ossip Bernstein)の話がある。

1918年、彼が36歳のとき、ベルンシュタインはオデッサの街で、「反革命主義犯」の捜査と処罰を目的とするボリシェヴィキの秘密警察に逮捕された。彼は、銀行業界の法律顧問を務めていたため、銃殺刑に処されることになった。

処刑の日、ベルンシュタインは銃殺部隊が自分の前に並ぶのを見た。直前になって、指揮官が囚人名簿を確認するよう求めた。指揮官はチェスの愛好家であったためベルンシュタインの名前に気づいた。ベルンシュタインに身分を問いただすと、指揮官は彼に断れない取引を持ちかけた。チェスをしようというのだ。もしベルンシュタインが勝てば、彼は命と自由を手に入れる。しかし、引き分けたり負けたりすれば、他の囚人たちとともに銃殺される。

ベルンシュタインは過去の対戦についてこう書いている。(勝負の経験として)
あるトーナメントで、私の親友だったベテランの名手バーンが、12手目で私に引き分けを申し出てきた(これは将棋ではありえないが、ポーカーゲームでのドロップするかレイズして勝負するかに似たような取引、勝負が決まる前に引き分けとして、申し出た方の負けを避ける)。 私はそれを断り、勝つためにプレーし、完全に負けた。面白半分で、私もバーンに引き分けを申し込んだ。彼は眼鏡越しに私を見る目を狡猾に光らせながら、顔をしかめて答えた「あのとき君が私の申し出を受け入れてくれていたら、今君の申し出を受け入れていただろう」(将棋でいえば「待った」は無しだ)

ベルンシュタインは冷静さを保ち、攻撃的なスタイルで指揮官を完全に圧倒した。釈放後、ベルンシュタインは家族とともにフランスに逃れ、新しい生活を始めた。