9.11の8年前 ビン・ラディンにインタビューしていたジャーナリスト

ジャーナリストのロバート・フィスク(Robert Fisk)はオサマ・ビン・ラディン(Osama Bin Laden)に三回インタビューする機会があった。インタビューの記事はインディペンデント紙(イギリスのタブロイド紙だった。現在はオンラインのみ)の1993.12.6、1996.7.10、1997.3.22 に掲載された。

ビン・ラディンは1993年、インディペンデント紙のロバート・フィスクのインタビューに初めて答えた。これは彼が西側のジャーナリストに対して行った初めてのものだった。そのタイトルは、
「反ソの戦士は平和への道に軍隊を置く」で、ビンラディンと彼の集めたムジャヒディン(ジハードに参加する戦士達・聖戦士)はスーダンで道路建設と農業プロジェクトを監督する事業に関連していた。また、1993年のフィスクの最初のインタビューで、彼はオサマ・ビンラディンについてこう書いている。
「高い頬骨、細い目、長い茶色の衣をまとったビン・ラディン氏は、ムジャヒディン伝説の山の戦士のように見える。チャドレッド(イスラム教徒の女性が着用するマント)を着た子供たちは彼の前で踊り、説教者たちは彼の知恵を認めた」としながらも、彼が「さらなる聖戦のための訓練」をしていると非難されていることに触れている。ソ連・アフガン戦争中のアラブ人ムジャヒディーン(聖戦士)に対するアメリカの支援について尋ねられたビンラディンは、
「個人的には、私も私の兄弟たちもアメリカの支援の証拠を見なかった」と答えた。

フィスクは1996年にビンラディンに再びインタビューした。ビンラディンはスーダンを追放されたばかりで、アフガニスタンに戻っていた。このインタビューは、サウジアラビアのアルコバルで米兵19人が死亡した爆弾テロ事件の10日後に行われた。この攻撃の責任はアルカイダとイランの両方にあるとされているが、ビンラディンはフィスクに、
「これは、西側諸国と西側諸国民に対する宣戦布告を意味するのではなく、敵対するすべてのアメリカ人に、アメリカ政権に対する宣戦布告を意味するのです......アルコバールでの爆発は、アメリカの占領に対する直接的な反応として起こったのではなく、イスラム教徒に対するアメリカの行動、パレスチナにおけるユダヤ人への支援、パレスチナとレバノンにおけるイスラム教徒の虐殺の結果として起こったのです......」と語った。

フィスクがビンラディンにインタビューした際、フィスクはビンラディンが彼を改宗させようとしたことを指摘した。
"シェイク(Sheikh アラブ首長の敬称)・オサマ、私はイスラム教徒ではありません。...私は真実を伝えることを仕事とするジャーナリストです"
ビンラディンは
「あなたが真実を語るなら、それはあなたが善良なムスリム(Muslim イスラム教徒)であることを意味します」。

そして、ビン・ラディンに再度インタビューした。彼は当時の活動について、
「我々はまだアメリカ軍に対する軍事行動の初期段階にある」と語った。また1997年の最終インタビューでも、ビンラディンは、
「アメリカをそれ自体の影に変える」ために神の助けを求めると語った。

出典:ウィキペディア

(ロバート・フィスクのインタビューでビン・ラディンは示唆していた)