46年前の7月 ニューヨークで発生した大停電の写真

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ニューヨークを襲った1977年の大停電は、うだるような熱波、金融不況、貧困と格差の拡大、そしてすでに街に沈んだ暗い雰囲気の中で起こった危機だった。


7月13日午後9時半ごろ、ウェストチェスターの変電所に落雷があり、25時間の停電が始まった。それから間もなく、別の落雷でさらに2本の送電線が切れ、クイーンズのレイベンズウッド第3発電所がダウンすると、街は真っ暗になった。

ニューヨーク・ポスト紙によれば、好機を狙った泥棒たちは、高級車から流しの栓や洗濯ばさみまで、手に入れられるものは何でも手に入れた。うだるような通りは戦場となり、ポスト紙によれば、"略奪者までもが強盗に襲われた"。

無秩序の根本的な原因として金融危機を指摘する者もいれば、東海岸が残酷な熱波の真っただ中にあったため、7月の暑い気候を指摘する者もいた。また、1977年の停電は、企業が閉鎖され、その所有者が帰宅した後であったことを指摘する者もいた。1977年の略奪者たちは、警察が警戒する中、日中も活動を続けた。

略奪と破壊行為は広範囲に及び、31の地域を襲った。おそらく最も被害が大きかったのは、5ブロックにわたって75店舗が略奪されたクラウンハイツと、放火が横行し、翌朝になってもまだ25件ほどの火が燃えていたブッシュウィックだった。

電力は翌日にかけて徐々に回復し、午後10時39分には街全体が復旧した。出動した火災は1,037件で、うち14件が複数火災だった。市史上最大の集団逮捕では、3,776人が逮捕された。

その多くは、過密状態の独房や管区の地下室、その他その場しのぎの収容所に詰め込まれなければならなかった。議会の調査によると、損害額は3億ドル強(現在の貨幣価値で約12億ドルに相当、円ドルレートで1800億円以上)に上ると見積もられた。