話せばわかる、俺は良いやつだ。

「話せばわかる」こう思い続けているが話す機会を設けてもらえない。というか、私が人事とかいう人種と話してわかられるのは、彼らが人事という肩書きを捨てた居酒屋やバーでしかない。

私の就活は沈みかけている船のような状態である。船体に大きな穴が開いており、確実に沈むことはわかっているが、沈むことを完全には認めたくないため、新しく提出するエントリーシートという小さなスコップで必死に水をかき出している状態だ。そのスコップで水をかき出すのにも疲れてしまったため、半ば船にさらに穴を開けるようなヤケクソの気持ちで、自分の心情を吐露していきたいと思う。希望がない中でもがき苦しむよりは、いっそ一思いに沈んでしまった方が気持ち的には楽なのである。

就活は他者からの評価が良い人間が勝つものである。そんなものは就活が人事が評価する制度である以上分かり切っていることである。しかし、「他者からの評価が良いこと」と「他者からの目を気にすること」は異なっている。というか、「就活の選考で人事から評価される」ことと、「日常生活で他者から評価されること」は全く異なるように思われる。

私は幼少期からずっと他者からの評価を気にして生きてきた。物心ついたときから、私の全ての行動原理は他者からどう思われるかということで、そこに自分の意見というのは全く存在していない。自分がどうなりたいかという気持ちは全くなく、そこにあるのは自分がどう見られたいかということだけである。面白いことを言えば、クラスで人気者になれる。玄関で靴を並べれば、友達の親御さんからの評価が上がる。良い成績をキープすれば、親も担任も喜ぶ。若いうちから渋い居酒屋に行っておけば、センスのある人間だと思われる。
実際にこういうふうに行動してきて、私は友人のお母さんから気に入られ手料理を振る舞ってもらったりだとか、担任に気に入られて2年連続ドラフト1位指名を勝ち取ったりだとか、酒飲みの紳士に気に入られキャバクラを奢ってもらったりだとか、それなりに恩恵は受けている。社会で生きていく中で最低限の「良い人」さは身につけている。

実際に就職活動も、親に心配をかけたくないという気持ちでやっているし、大手企業にしかエントリーをしていないのも、「東大に行ったのにちっちゃい会社に入るなんてねえ…」などと、どこぞの知らないおばさんなどから舐められたくないからである。自分が「これがやりたい!」などという気持ちは一切持たない打算的なモチベーションだ。ただ、親を喜ばせ、他人から一目置かれたい。
しかしそのせいで無職というもっと親を悲しませ、他人から舐められてしまうヤバい状態になろうともしている。
私はただ人からすごいと思われたいがために、美容室や居酒屋に行ったときに大学名を聞かれないかソワソワし、聞かれた瞬間に食い気味に「東京大学です!!!」と声帯だけでなく、ありとあらゆる靭帯を使って答えていた人間である。そんな食い気味大学紹介ボーイが、卒業するや否や行きつけのお店に行って今の職業を聞かれるとモゴモゴと口をつぐみ、ネズミに負かされたトムのごとく項垂れるのはあまりにも滑稽である。無職には絶対になりたくないが、小さな会社にもいきたくない、と目標だけ一丁前に掲げて結局無職になるという、古代中国にいたら古事成語になること間違いなしのことをしているのが私なのだ。

就活の選考で好かれるような行為は日常生活なら確実に嫌われている。
話し合いの場で、他人の意見を内心見下しながらなんかうまいこと言おうとする奴。自分がいかに難しいことを成し遂げてきたかを目を輝かせながら喋る奴。自分がどれほど有能で役に立つかを自信満々に語る奴。
こんな奴らしかいない小学校に私が通っていたとしたならば、私は1年生の1学期で中学受験を決意していたに違いないだろう。

しかし就職活動ではこれが良しとされているように思える。(私のような雑魚就活生の妄想でしかなく、実際は違うのかもしれないが。)小さい頃から人から嫌われないように、気に入られるように心がけてきた自分にはどうも模範的就活生のような振る舞いができない。他の人たちで話し合いを軌道に載せられていたら、仏のような微笑みを浮かべてただ頷くだけ。冷静に自分を俯瞰してでしゃばりすぎない。決して驕らずイツモシヅカニワラッテヰル。サウイフモノニワタシハナリタイ。のような雨にも負けずスタイルが幼少期から染み付いてしまっている私には、就活という場で人事に向かって自分をアピールする力が圧倒的に欠損してしまっているのだと思う。

マジで実際、大企業にでも職場で嫌われているような人間なんてたくさんいるんだろう。セクハラ・パワハラとかをしたり、OB訪問してきた女子学生にレイプまがいのことをしたりしてる奴らもたくさんいることはニュースにもなっている。商社マンとかイケイケコンサルマンとかはたくさんの女の人を殴ったり泣かせたり、お酒に酔ってトラブルを起こしているのだってよくある話だ。そんな奴らも、俺が大嫌いで、何もない澄んだ風が吹いている朝に号泣してしまうぐらい心を病んでしまっている「就活」を突破してきていることが納得できない。仕事ができれば良いのか?というか仕事ができそうならばそれで良いのか?俺は絶対にセクハラもパワハラもレイプも暴言も酒の席でのしらける自慢話も説教も出会い目的のOB訪問も、事務職の女の人へのキモいLINEもコリドー街でのしつこいナンパも高くて量が少ない店での会食も絶対にしない自信がある。というか絶対にしない。なぜなら常に他者からの目を気にして「いい人」に徹した生き方をしてきているからだ。

21歳かそこらの時点でハキハキ喋れていただけの、セクハラ・パワハラ、悪質なナンパなんでもありの大悪党が年収2000万でタワマン住み?一方で人に優しくをモットーにして生きており、夜中に感傷的な音楽を聴きながら何のためにもならない文章を綴っている素直な青年が無職でバイト生活?こんなんでいいのか?

おい、全会社の人事、俺とトリキで3時間飲もうや。お前らに絶対に気に入られてみせるから。話せばわかるからzoomなんか使わずにトリキに来いよ。


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