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「月兎と竜宮亀の物語Ⅱ永遠編」第二章壁画

第二章その一
ゼットと名乗る老人は老人というより精悍な顔つきの老いていない人でした。さきほどの老人が白髪だったのに比べてまだ髪は黒々としていました。竜亀は、『どういうことだろう』と思って眺めていると老人は少し微笑んで、「竜亀さん いやターレスさんですね 少し待ってください」と言って隠し扉の向こうに消えました。しばらくするとさきほどの白髪の老人が現れました。老人は、「私の普段の姿はこうなのです さきほどの姿が本当の私ですが 今は隣の部屋のカールの父ヘッケルということになっています だからケントの祖父です」と言いました。竜亀は一瞬なんのことかと思いました。ゼットは、「貴方と別れてからも私はずっと長生きしているのです あとで説明しますが 孫のケントには秘密ですが本当のケントの祖父が亡くなった後に私がなり代わったのです このように変装してね このことは父のカールと執事のヨシダとカールの妻だけが知っています 今のカールがいつか死んだときには私がカールになりかわります いつか我が一家の秘密もケントに伝えなくてはなりません 私はこのようにしてローランド家の秘密を担ったまま今まで貴方をお待ちしていたのです ローランドは貴方も一度会ったことのある毒蛇と海鳥の島にいた私の父の姓なのです」と言うとその時ドアの向こうからノックの音が聞こえました。ゼットが、「どうぞ」と言うと執事がワイングラスとワインを持ってきて二人の前のテーブルに置きました。ゼットは執事が去ると、「貴方はお酒がお好きだと聞いています 人になられた今もそうだといいのですが」と言って竜亀のワイングラスにワインを注ぐのでした。竜亀はグラスを手に取るとワインを一口飲みました。竜亀は口に含ませその美味しさを味わいながら微笑んで、「ええ人になっても大好きです」と言いました。ゼットもワインを美味しそうに一口飲むと、竜亀と海岸で別れてからの話をはじめるのでした。ゼットの話を聞きながら、部屋の大きな窓の向こうに空から白いものが降ってくるのが見えました。竜亀は、『雪が降っている 深海の雪にくらべてなんと美しいのか 海で空からの雪を見ていたときは何も感じなかったのに』と思いながらゼットの話に聞き入るのでした。「貴方と別れた後 どこへ行っていかわからず あの海岸に戻り 魚を獲ってしばらく暮らしていました そのうち黒い玉が炎の中に現れたことを思い出して 浜で火を起こし火に黒い玉を入れて クレオパトラを呼び出して相談しました クレオパトラは自分の故郷のエジプトに行きたいと言うので北をめざすことにしました そこで行商をしながら北へと旅をすることにしました最初は干した魚や野で採った果物のような物々交換の単純なものでしたが 野宿しながら時々焚き火でクレオパトラと行商の方法を相談しながら 北のエジプトへと旅を続けたのです」。

第二章その二
「クレオパトラは王族ですが 商売というか駆け引きに長けていて 私は無一文で出発しながらもエジプトに着く頃には 駱駝一頭の背に大きな荷物を持つようになったのです しかしエジプトに着いたのですが かつての王宮は跡形もなく消え失せていました 海の底に沈んでいたのです クレオパトラは悲観してこの世に甦る気持ちも失せてしまいました そのうち私はクレオパトラから学んだ商才を発揮して その地でひとかどの財産を築きました そして地元の美しい女性を見初め結婚しました どこの誰かわからないよそ者ということで彼女の両親には警戒されましたがね そしてふたりの男女も生まれましたが 少し大きくなったので その島に帰ったのです 両親は老いていましたが健在で妻や子たちを見てたいそう喜んでくれましたエジプトへ両親を迎えようとしたのですが 両親は島に残ると言うのでしかたなく私はエジプトに戻りました そしてしばらくして私は偶然にもメルキアデスという人物に出会ったのです」とそこまで一気に言うとゼットはグラスのワインを飲み干すのでした。竜亀は、「そうですか メルキアデスさんに会ったのですか」と言いながらメルキアデスの腰の金色の瓶を思い出して、ゼットの長生きの理由に納得したのでした。「それこそ偶然のように出会ったのですが 私はメルキアデスさんの人柄や知識に感激して私は彼の擁護者のようになり屋敷に住んでもらい 地元の教育者として彼のために学校を作り私も一緒に学ぶことになったのです そしてある時私もメルキアデスさんも竜宮の亀である貴方と共通の知り合いであることを知ったのでした私は貴方との付き合いは一時のものでしたが 貴方とメルキアデスさんは20年も一緒にある島で暮らしたのですね」とゼットが言うと、竜亀は少し涙をうるませて、「ゼットさん 今はっきりと貴方がゼットさん本人だということが分かりました 1000年ぶりにお会いできてなによりです まだまだ貴方の話を聞きたいのですが 私は人の世界に来たらまずメルキアデスさんに会いたいと思っていたのです メルキアデスさんは今どうしているのですか」と聞くと、ゼットは「今は分かりません 彼からはほとんど連絡は来ないので でもこの長い年月に我が一族とは少なからずの関係があったのです というよりいろんなことでローランド家の危機を何度も救ってくれたのです 今ローランド家があるのも彼のおかげといっても言い過ぎではありませんそれから 私は以前にメルキアデスさんから亀島に貴方が現れるからいろいろと準備してほしいと そして服も用意して届けてほしいと頼まれていたのですよ そして一匹の亀が亀島に現れたと知って急いでケントを向かわせたのです 私も半信半疑でしたがね ああそれから彼は貴方がこれからどこへ向かう予定がご存知なようです 貴方が現れたこともすでにご存知かもしれません その時には彼の方から貴方の前に姿を現すはずです」と言いました。竜亀は、『そういうことか では私はその日が来たら とにかくあの浦島に行って満月を待てばいいのか それにしても私が亀島にいることを どのようにして知ったのだろうか』と思いました。

第二章その三
「私が50歳になったとき クレオパトラの魂が宿る黒玉をどうするかについてメルキアデスさんと相談しました クレパトラに竜亀様が1000年後に人の世界に来られることを教えたところ 彼女はそれまで黒玉に留まって貴方を待つと言うのです そして黒玉を女系の家系に伝えてほしいとも 不思議なことに娘の家系は結婚しても女性しか生まれませんでした ハフナー家や黒玉を遠くから守り続ける交換に私はエジプトの王家の谷にある秘密の財宝のありかを教えてもらい いわば盗掘して莫大な財宝を手にいれました また私はメルキアデスさんと相談して私もメルキアデスさんの黄金の瓶の液体を飲んで不死になったのです そうして娘の家系とは距離を置きつつ見守るようにして娘が嫁いだハフナー家とは親密な関係でこの1000年間続いているのです このことはわが家系の長男だけに伝えられてきたのです わが家生まれないのです ケントの父の世代になったので貴方を迎えるために 事の真相を執事のヨシダやカールの妻にも教えたのですが でも彼等は単なる伝説か迷信だといまだに思っているのですよ 私も何と思われていることやら 執事のヨシダは貴方が本当に現れたので今は執務室で頭を抱えているでしょう でもたぶん貴方のことを何か理由があって南海の孤島で何十年も暮らしてきたとでも想像しているのかもしれません ケントもたぶんそうです」とそこまで語ると、ゼットは立ち上がると部屋の中央の奥にある大きな大理石のマントピールスの暖炉に薪をくべました。そして暖炉の椅子に竜亀を案内すると自分も竜亀に向かい合うように椅子に腰掛けました。奥の棚からブランデーを出してブランデーグラスに注ぎ、竜亀にすすめるのでした。竜亀はブランデーを飲むのは初めてでしたが酒好きの上に酒の美味しさをよく理解しているのでその美味しさに、『人の世にはこんなにも美味い酒があったのか 今までの酒はなんだったのか これがブランデーというものだな』と感激しました。ゼットはすこしいたずらっぽく、『このブランデーはとても高価なのですよ それに見合う美味しさです 私も長生きのおかげで 酒の味だけは見分けられるようになりました』と言いました。竜亀も微笑んで、「人になっても私の酒好きは変わらない それに味覚も衰えていない いやむしろもっとよく分かるようになったのかな それにしても美味しいです」と言いました。ゼットは喜んでようやくくつろいだ表情になってこの1000年の間のことを話すのでした。そしてメルキアデスのことも語るのでした。それは竜亀の想像をはるかに超えたローランド家とメルキアデスの、いわばふたつの物語でした。窓の外の雪はまるで空から滝の水が落ちてくるように降り続けるのでした。竜亀はふとこれと同じような光景を眺めたことがあるような気がしました。

第二章その四
シーラは泉の横の宮殿の遺跡に入っていきました。天井は崩れ落ち石の壁や柱がむなしく空に向かって直立していました。ギリシアのオリンポスの遺跡のようだと思いました。柱の装飾や微妙なふくらみを見てギリシア建築の様式が観られたからです。デジタルカメラで撮るとシーラは、もと来た洞窟とンネルを通り、北の台座のところへ戻ると、ちょうど迎えに来たボートに乗り、母船の海洋調査船にもどるのでした。その海洋調査船はローランド家が出資している石油会社所有でしたが、国家の依頼を受けて深海の土壌のサンプルを採取しているのでした。それが偶然にも深海の海底に巨大な湖を発見して、その外郭部分にレアメタルの膨大な埋蔵量を推量させるサンプルを回収して、技術者たちは大騒ぎをしているのでした。その騒ぎの中、シーラは自分のために特別に割り当てられた部屋に入り、助手に島で採取した壁画の塗料らしい顔料や土の分析を依頼するのです。そして今度は自分のパソコンでロンドンの大英博物館の友人に壁画部分の画像を送りました。シーラは次の日、探査船が予定を変更してその海域に留まって海底の探査を続けるため、ふと思いついて、近くの島でダイビングするいい場所をネット検索して探し出しました。そしてそこへ行こうと酸素ボンベなどを用意してボートに乗り向かうのでした。ボートを操縦している最中、携帯が鳴りました。大英博物館の友人からでした。「シーラ大変 情報を送ったからとにかく見て」。シーラはボートを止めパソコンを開いてアンテナを探査船に向けて受信するのでした。それはシーラが送った壁画のデーターを博物館の膨大な画像データーとの照合作業をコンピューターで自動照合したところ1000年前のある巻物の絵と一致したということでした。その巻物とは死海文書と言われる2000年前のキリストに関する文書類にまぎれこんでいた巻物でした。ただその巻物だけは放射能炭素同位元素の測定でおよそ1500年前のものということで不可解な謎の巻物といわれているものでした。それはかつて竜亀が陸の竜宮で見た壁画を写しとったものでした。その一部が一致したというとでした。シーラは考え込みました。『1000年以上前に描かれた壁画があったなんて どういうこと』。一部の文字はどこの地球文明とも関係のない奇妙な形でした。ただ数字らしき文字が判別できるのでした。現代の1や2や3や8や7という数字がそれでした。学者の中にはその文書は宇宙人が書いたものだという人もいましたが、学会ではほとんど無視され黙殺された
のでした。誰か過去の人のいたずらの産物とみなされたのでした。その原型となる壁画が存在したと言う現実にシーラは混乱しました。『壁画もいたずらの産物なのか でもそんな手のこんだいたずらは誰が可能なのか』と。

第二章その五
目的の島に近づきました。真ん中に大きな穴があり、そこから縄梯子が垂れていました。シーラはどこか繋留できる場所をみつけたら、ウエットスーツを着込んで遊泳するつもりでしたが、その縄梯子に興味を持ち洞窟に入ってみたくなりました。今にもちぎれそうな縄梯子を伝って洞窟に入ったところ、散乱している人骨を見て、彼女は文献でしか知らなかった風葬の墓だと理解しました。彼女はもう一度ボートに戻りパソコンで検索すると、そこが100年前まで風葬として使われており、かつては亀島と呼ばれたことも検索できました。『なぜ 亀島なのか』とさらに調べると、1000年前に亀がよく昼寝をしたという伝説のためと知り、『そんな馬鹿な』と、さらにグーグルアースの画像で見たところ、島の頂上に何か大きく奇妙な形のものがあるように見えました。シーラはロンドンの友人に協力を求め、その島の軍事衛星の最新の鮮明な画像を依頼するのでした。「人も住んでいない場所の衛星からの画像なんて変におもわれるわよ」と友人は笑って、「シーラの依頼だからと伝えてローランド家の執事のヨシダに頼んでよ」と言うシーラの頼みをしぶしぶ了承するのでした。しばらくしてロンドンの友人から送られた画像を見て驚き、頂上に登ることを決めたのでした。シーラは平らな岩のある場所を見定めてそこまで登り、そこから岩伝いに島の頂上へ行き、そこに一本の巨大なイチジクの枝葉が広がっていることに驚きながら、石の段差を降りて洞窟に入ったのでした。古人の遺跡のようなものかと、洞窟の中を眺めていました。ふと洞窟の隅に小石が積まれてあるのを見て、その石をどかしてみました。出てきたのは紫の布にくるまれたルビーの嵌め込まれた黄金の鞘に入った短剣でした。しかしその布はシーラの手が触れると跡形もなく崩れてしまいました。シーラは短剣を手にしながら、『これは布の状態からすると500年以上は過ぎている このすばらしい短剣はエジプトのツタンカーメンの墓から出た遺物のように旧い物』と感激していると、突然黒い塊が手の上に落ちてきました。シーラは驚いて短剣を床に落としました。そして短剣の上に乗りシーラをにらみつける大きな蜘蛛が現れました。威嚇するかのごとくシーラの前にたちはだかったのでした。シーラは毒蜘蛛タランチュラだと思い、危険を感じて引き返そうかと思いました。でもその黄金の短剣を考古学者としての興味で手に入れて調べることより、その美しさに魅了されどうしても自分の所有物として欲しくなりました。蜘蛛を捕獲できないかと考えたのでした。どこかで捕虫の網や虫かごを調達しようと考えて洞窟から抜け出してボートに戻りました。その時、探査船の助手からの携帯電話でデータを送ったという連絡を受けパソコンに送られた壁画の粉の分析結果にシーラは再び驚くのでした。

第二章その六
それは壁に塗られていたと思われる顔料などの分析結果でした。データはその塗料は5000年以上前に描かれたということと、その顔料の成分はフレスコ画の顔料のほかには油絵の具やアルキド樹脂やアクリル樹脂の成分もあるということでした。シーラは、『現代になって発明されたアルキド樹脂やアクリル絵の具があるなんて』と驚いてしまいました。シーラは直感的にこの亀島と言われた島とかつて陸の竜宮という伝説のある島の間に、なんらかの想像もできないほどの関係があると思いました。シーラはふと自分がなんのためにこの島に来たのかを思い出して、アクアラングの用意をするのでした。そのとき置かれたバッグの中の袋が動きはじめたのでした。黒玉が袋から抜け出しコロコロとシーラの足元まで転がるのでした。シーラは驚き、ふと、『黒玉も一緒に私と海底に行きたいのかしら それも悪くないか」と袋ごとその紐を首からぶら下げたのでした。そうしてウエットスーツを着込むとボートから飛び込んで海底へと潜っていくのでした。しばらくは浅いところで海中を泳ぐ魚たちに眼を奪われてたのしく眺めていましたが、島の絶壁はまっすぐと深い海底へとそのまま続いていることにシーラは興味を抱き、どこまで深いのか調べようとアクアラングを装備してどんどん潜っていきました。そしてこれ以上潜ると酸素がなくなり戻れないと引き返そうと思ったとき、海底でなにやら黄金の光と赤く光る物が見えました。近寄って砂にうずもれたものを掻き出すと、それは大きなルビーの首飾りでした。そして砂の奥になにやら黒い石が見えました。さらに砂を払うと女性の顔の彫像が見えたのです。シーラはどうしようか迷いました。酸素の残量が少なくなってきたからでした。シーラはあきらめて海上に浮上しようと上をめざしました。そのとき巨大なクエがシーラの前に立ちはだかり大きな眼でにらむのです。シーラは海中で静止したままおびえ、銛も何も持たずにきたことを後悔しました。その時、胸の袋の黒玉が抜け出し、シーラとその巨大なクエの目の前のちょうど真ん中に位置したのでした。黒玉は怪しい光をはなち、なにやら信号のように点滅を繰り返すのでした。巨大なクエはその黒玉の光をじっと見つめていましたが、途中で口をパクパクとするのでした。シーラにはまるで黒玉と魚がそうして会話しているように見えたのでした。しばらくすると巨大なクエは去っていきました。黒玉はふたたびシーラの胸の袋にもどるのでした。シーラは黒玉が何らかの意志をもっていることを初めて理解したのでした。ハフナー家に伝わるこの黒玉が自分の常識いや現代の常識を超えた存在だと知って、『肌身離さないで持っていなさい』という母の言葉を改めて思い起こしたのでした。

第二章その七
竜亀とゼットが暖炉の横で会話をしていました。暖炉の炎が二人の頬の片方を赤く染めブランデーグラスも暖炉の光を反射させて紅く輝くのでした。ドアが開き、執事のヨシダが入ってきてゼットに小声で伝えました。執事が去ったあとゼットは、「竜亀様 いやターレスさん 執事のヨシダからの連絡ですが 偶然というか 貴方が昨日までいた名もない島ですが そこに今一人の女性が立ち寄っているそうです シーラという女性で彼女はハフナー家の末裔で 例のクレオパトラの黒玉の所有者です どういうことか貴方に想像はできますか」と尋ねました。竜亀は、少し驚くと同時に、『この現代世界では人が今どこにいて何をしているのか分かるのか これじゃ<時空と予知の泉>と同じではないか』と思いながら少し考えて、「黒瑠璃の彫像の頭部があの島の海底にあるのです それはもともとクレオパトラの宮殿にあったものです 黒玉は昔 その頭部の首の窪んだ穴の中にあったのです シーラという女性はその黒玉に導かれてそこに行ったのでは あるいは偶然にせよ運命がそこに招き寄せたのです 私は運命という
言葉は好きではありませんが」と言うとゼットは、「ターレスさん ではケントと一緒に亀島に戻られてはどうでしょうか まだまだ貴方と話し合いたいことは尽きませんが」と言うと竜亀は、「そうですね そうしたいと思います 何が起きるかわかりませんが 私もまた黒い玉に引き寄せられているのかな クレオパトラも待っていることだし」と笑って言うとゼットは執事のヨシダとケントを呼び、亀島へすぐ戻る手配をするようにと告げました。ケントは、「なぜシーラさんがそこに居るのですか わけがわからない」と言いながら少しうれしそうにするのでした。竜亀はふと、『ケントはそのシーラという女性に恋でもしているのかな』と思いました。ケントは雪のため一層冷え込んできたために、暖かそうなダウンのコートを用意して差し出すのですが、竜亀は暑くるしいからと断り、着ていた服も脱ぎ去り、白い肌着のような最初に着ていた竜宮での姿そっくりな奇妙なファッションでサンダルを履き、一緒に黒塗りの車に乗って飛行場まで行き、再び飛行機に乗って亀島へと向かうのでした。ケントはジエット機の中で備え付けられたテレビのスイッチを入れました。テレビは世界中のニュースを伝えていました。竜亀はびっくりして、「これは何ですか」と聞くとケントは少し驚いて、「テレビを知らないのですか ではいったい貴方は何年文明社会から離れていたのですか よほどテレビのない世界で育ったのですね そして今までどこかの孤島にいた いや失礼ターレスさん これが現代の文明社会というものです」と言いました。竜亀は、『これこそ竜宮の<時空と予知の泉>と同じだな 四角い泉か』と感心するのでした。

第二章その八
シーラは、『黒玉はまるで意志があるかのように私と魚の間に入って まるで魚と何かを伝え合ったみたい それにあの彫像はオニキスで出来ている あんなに大きなオニキスがあるなんて それにあの真っ黒な輝きは尋常じゃないわ もしかしてあの彫像かしら でもそうだとしたら大発見だわ 考古学者達が大騒ぎする もう一度潜って確かめなくては』と思うのでした。そして、『それに 昨日見た壁の下に散らばっていた壁の粉末はとても1000年も経っていない 削り落とされてせいぜい数百年 ではおそらく数百年前まで存在したということかしら 5000年と言う数字はどこから出てきたのかしら それにあの絵や文字はいったい何なの 誰かのいたずらとしか思えない』と心の中でつぶやくのでした。また、『ひとつの可能性として 誰かがあそこで壁画を修復しようとして 現代の画材で修復後 また何かの理由で壁画が消されたそのために古代の顔料と現代の顔料が混在してしまったこともあり得る』と考えたのでした。シーラは海底の黒い彫像と洞窟にある短剣とをどうするかを考えました。そこで一日かけてボートで観光地の島に行き一泊すると酸素ボンベの補充と捕虫網や銛などを用意して再び島にもどり、短剣のある洞窟に入りこみました。シーラが洞窟に入ると早速、天井からタランチュラが床の短剣に飛び乗りました。シーラがじりじりと近づき捕虫網で捕獲しようとしましたが、まるで人の動きをすべて知っているかのように逃げ、そしてシーラが短剣に近づこうとすると邪魔をするのです。シーラは怖くなり一計を案じて黒玉を床に置きました。するとまたもや黒玉はコロコロとタランチュラの前まで転がり静止すると、光を放って輝きました。タランチュラはしばらくして壁をよじ登り、天井の奥に退いてしまいました。そうしてシーラはその短剣を手に入れたのでした。それから海底にもぐり海底の黒い彫像を砂の中から掘り出しました。でもその重さではどうすることもできません。シーラは海底でその黒い彫像を眺めながら、どうしようかと考えこんでしまいました。ロープを購入することを忘れたことを後悔しました。シーラは途方にくれてしかたなく洞窟に戻ると、座り込み首飾りを自分の首からぶら下げて、短剣に紐を通して腰に下げ、ウエットスーツを着たまま横になり、休憩のため浅い眠りにつきました。しばらくして誰かが洞窟に入ろうとしている気配を感じて立ち上がりました。向こうに二つの影が浮かびあがりました。「シーラさん どうしてここに」。「海女のユカリがどうしてここに いや クレオパトラか」。知っている人の声と知らない人の声のふたつがほとんど同時に聞こえました。

第二章その九
シーラは、同時に聞こえてきたふたつの声にとまどいながらも、逆光のためよく見えないふたつの影を、瞼を細めながらよく見ると、一方のケントの姿を認めて、「ケント どうしてここにどういうことなの」と問いかけながら左側の見知らぬ男性を見つめました。ケントは、「こちらこそ聞きたいよ シーラさんはどうしてこんな所にいるのですか」とすこし上気したような声で言うのでした。そこでシーラとケントはお互いの状況を洞窟の真ん中で、立ったまま話し合うのでした。竜亀は二人の話の最中、二人から少し距離を置き、近くの大きな台のような石に腰掛てぼんやりと洞窟の外の海の景色を眺めていました。やがてふたりの話が終わるとケントは竜亀に、「ターレスさん シーラさんを紹介します ハフナー家のお嬢さんでシーラと言います 我がローランド家とは長い付き合いです」と言いました。竜亀はとまどいながらも、「ターレスです」と一言言うのでした。シーラの話では偶然にもこの島で趣味のダイビングをしようと来たところ、海底に黒い彫像を発見したことを、また洞窟に大きな毒蜘蛛がいることを言いつつ、短剣を見せるのでした。シーラは興奮した調子で、「海底の重くて黒い彫像をぜひとも引き上げなければならない どうすればいいのか」とケントにまくし立てるのでした。ケントは困り果てた様子でふと悪戯っぽく竜亀のほうを向いて、「ターレスさんなら出来るかも」と言うのでした。そして下の洞窟から垂れ下がっている縄を編み直して自分のリュックを結びつけ、中に入れて引き上げればいいのだと、思いついたかのように言うのでした。シーラはケントのそうした発案を小ばかにしながら、『どうもケントの言うことは思いつきばかりでうまくいくはずがない でもやってみてダメだとわかってから もう一度考えるのがいいのかも とにかくこの正体不明のターレスと言う人の助けを借りるしかない』と思うのでした。竜亀は、『さて困ったな 私は人になったのだけどはたして泳げるのかな 溺れて死んだらどうしよう』と思いながら、なんだか泳げる気がしたので無謀にも、「ではあの縄はしごを取ってきて もう一度編みなおそう」と言うや縄を取ってくると洞窟に座り込み縄をほぐし、もう一度編みなおすのでした。竜亀は縄を編みながらメルキアデスと暮らしたときに、縄を何度も編んだことがありました。編みながら、『人になって
また縄を編むなんて想像もしなかったな』と苦笑するのでした。 編みあがった縄は海底にはとても届かないほどの長さでした。シーラは、「これでは長さが足りないかも とりあえず ターレスさん海底までどれくらい足らないか調べましょう」と言って岸壁によせていたボートから海底へと縄を伸ばすのでした。竜亀は大きく空気を吸い込むと、綱を結びつけ口を大きく開けたリュックを受け取ると海底へと潜っていきました。

第二章その十
竜亀は亀の姿のときより今の人の姿のほうが泳ぐことが楽になったと感じて有頂天になり、泳ぐことがこんなに気持ちいいものかと思いながら海底へと潜り続けていると、歯欠けのクエに体当たりをされたのでした。竜亀は歯欠けのクエに、「私は竜亀だよ」と言うと歯欠けのクエは口から泡を出して笑いながら、「分かっているよ 竜亀さんや 久しぶりだな 銀嘴のセキレイさんに教えてもらったよ 三郎蜘蛛さんが人になった竜亀さんに会ったそうじゃないか 今の姿がそうなのかい パンツまではいて甲羅の代わりに今は人のパンツかい アハハ」と言うのでした。竜亀はそこで黒瑠璃の彫像を、海底まで届きそうもないので、縄の先のリュックに入れるのを手伝ってほしいと頼むのでした。歯欠けのクエはその大きな口で彫像を丸ごとくわえて竜亀と力を合わせて、開いたリュックの中に押し込むのでした。竜亀が海中に潜ったままでなかなか戻らないので、シーラは竜亀が海中で溺れたのではないかと心配でした。シーラはアクアラングを装備してターレスを助けに潜ろうかとケントに言ったとき、縄を引く合図がありました。ケントとシーラは力を合わせて黒瑠璃の彫像を海面のボートまで引き上げたのでした。引き上げたあとに、竜亀ことターレスが海中からひょっこりと、息継ぎなんか必要ないような、普通の表情で顔を出したのでした。シーラは驚き、『ケントの言うとおりだと 海で長く暮らしたとか でもこの海底の彫像のある海底までは相当深い 素潜りの大得意の私でも潜るだけがせいいっぱい それに長さの足りない縄まで10メートル以上ある どうしてこの重い彫像を持ち上げたのだろう まるで超人だ こんな人間がこの世に存在するなんて』と唖然として言葉を失うのでした。ケントは彫像がどれくらいの深さで海底にあったのか、無頓着でなおかつどれくらい息もせずに竜亀が潜っていたのか、まるで興味もなく、「すごいね やはり海の男はすごい」と褒めて言うのでした。でもシーラは、『このターレスと言う人は何者なの』と考えるのでした。そうしていちどボートまで引き上げられた彫像は、風葬の穴まで引き上げられ、そこからまたその真上の洞窟まで縄で引き上げられたのでした。引き揚げるのはケントとシーラで、竜亀が下から支えたのでした。竜亀はケントとシーラが言い争いをしながらも仲良く引き上げる様を見て、『シーラはともかくケントはシーラのことをとても好きなのだな』と思いました。竜亀が洞窟に戻ると彫像はうす暗い洞窟の中で横たわっていました。竜亀がかつて1000年前に一度見ただけの彫像は、当時と全く同じのままの姿で黒く美しく鈍く光っていました。シーラとケントは興奮した様子で眺めていました。そのときシーラの胸の袋から黒玉がポロリと床に落ちコロコロと転がりながら彫像の首根元まで来ると、「ああ」と声を出してあっけに取られていた三人の目前で、そのまますっと小さな穴に吸い込まれていきました。