就職か進学か

 本日も何とか月曜日を乗り気りました。
後は流れに乗って残りの平日を潰していき、待ち遠しい休日へと突っ走るだけですね。これがまた長いのですが。

 ところで皆さんは大学院に進学しましたか、それとも大学を卒業した後就職しましたか。私は今大学二年生をしていて、その二択で悩んでおります。

 私は大学に入学してから様々なアルバイトを経験してきました。なぜ様々なアルバイトをしてきたのかというと私はアルバイトで首にされるほど仕事が出来ない人だからです。そのため、首にされた後は他のアルバイトをしては、長続きせずまた別の仕事や単発バイトを転々として生活しています。
 このような者ですので、
「自分は将来社会に出て上手くやっていけるのかな。」とか、
「自分は社会に出てもいいのかな。」
等と思ってしまいます。

 では、院進学して研究、学問に没頭すればいいのではないかと思うのですが、私は卒業後就職するのだろうと予想しています。 
 恥ずかしながら、その理由は自由になりたいからです。
 私は中高はがり勉で、それ以外はどうでもいいという狭い世界で生きてきました。しかし、大学では受験などといった義務的な目標は無くなり、与えられた目標に疑いもせず取り組んで狭い世界で生きてきた私は何をすればいいのか分からなくなりました。思い返してみれば私の人生に遊びというものが無かったので、大学で与えられた膨大な時間を上手く使えていないことが大きなコンプレックスとなりました。
 しかし、そのコンプレックスが
「何かせねば!」
という焦燥感に変わりすこしづつ何かに挑戦するエネルギーとなりました。
 そして挑戦をしてみて初めて自分にはやりたいことをする権利と実力が備わっていることに気づきました。そうしてもっと自由に、何かに縛られたくないと思うようになったのです。

 そうしているうちに気づいたのですが、大学を含む学校の勉強は思考の統一化ではないかと思うようになりました。
 私たちは解釈の世界で生きています。というのも、例えば私は人によって友達、娘、彼女、後輩などとして見られています。いくら正式な名前があっても、どうしても友達などといった概念で捉えられてしましますので、その概念を破って別の見方をするのは中々難しいように思います。
 これが学校での勉強となると、先生が自分はまだ持っていない概念の物事をその物事の解釈を付けて教えてきます。すると、生徒は教えられた概念でしか物事を捉えることが出来なるので、学校で勉強を続けると皆の物事に対する考え方が一緒になってしまします。

 しかし、これは悪いことではないと思います。なぜなら、私たちは他者から与えられた言葉、つまりは物事に対する解釈を吸収することでしかその物事を解釈することが出来ないからです。そして、私たちは物事の解釈を得てやっと、その物事を認識することが出来ます。
 今まですれ違っているはずなのに、話をしてみて知り合いになったとたんにその人のことをよく見かけるようになったことありませんか。
 私はこの現象をその人と会話を通じてその人に対する解釈を得た結果、その人を認識することが出来たので自分の解釈の世界に取り込むことが出来た
のだと考えています。

 学校での勉強は自分が知らなかった物事の解釈を得ることが出来るので、その物事を認識して、自身の解釈の世界を拡大するきっかけとなります。しかし、自分の解釈の世界の拡大は本や対話でも出来ますし、何より私は
「この人の解釈を知りたい!」
と思えるような人を見つけて、自分の意志でそこへ行って世界を広げていきたいです。これが私にとって、本当の学びだと思います。

 卒業後は私の苦手な働くという課題がありますが、これからは学校に頼らず自分の意志で自由に学んでいきたい。
 そして、自分が持つやりたいことをする権利、実力を実感していきたいのです。

拙い文章でしたが、呼んで下さった方ありがとうございました。
ではまたいつか。
  






 

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